忍術を操る鳥、ヨシゴイ

日曜日夜7時30分~のNHK番組「ダーウィンは来た」は」私の好きな番組です。いろんな動物が生きるために進化し、環境にうまく適応した動物だけが生き残っている様子が、分かりやすく捉えられています。

25日のテーマは「忍術を操る鳥」。新潟県の越後平野にある瓢湖は、田んぼに囲まれた小さなため池ですが、ハクチョウなども飛来する水鳥の楽園です。ここに、一風変わった鳥が暮らしています。全長30センチあまり、体重100gほどのサギの仲間のヨシゴイ(ヨシ原に住むことでこの名前がついた?)。一日の大半を、水辺に生えるヨシの茂みに潜んで過ごしている。ヨシ原を歩くときは、ヨシの茎を足でつかみ、地上に降りることなく草を渡り歩きます。人呼んで“忍者歩き”。上空からトビなどの敵が近づけば、ヨシの葉そっくりになりきる(子どもも本能的に同じ行動をとる)“葉隠れの術”で身を隠します。そして水面がハスの葉に覆われると、不安定なハスの葉を軽々と移動。この様子はまるで“水ぐもの術”です。狩りの腕前も超一流。ヨシやハスの茎にじっと掴まり、身じろぎもせずに獲物を待ちます。そして小魚が近づいた瞬間、首を普段の2倍以上の長さに伸ばし、一瞬で仕留めるのです。狩りの成功率は90パーセント、1日に200匹獲る、動物界トップクラスの名ハンターです(カワセミが成功率60%、チータが50%)。初夏、子育ての季節を迎えると、ヨシゴイは水辺に生えるヨシの茎を器用に編み込み、空中に浮かんだ巣を作ります。陸からも空からも敵の襲来を寄せ付けない完璧防御のすまいは“忍者屋敷”そのものです。暮らしの全てをヨシに頼り、忍術さながらのスゴ技を操って生き抜く鳥ヨシゴイも生き抜くために進化してきたのです。

以前、NSD社員向けのブログで、同じ番組で紹介された「川の水面を走るバシリスク」、「シカゴで大量発生した17年ゼミ」、「あきる野市などに生息する投げ縄クモ」などを紹介しました。そこには、 厳しい生存競争や、環境変化の中で、生き延びるために進化した姿があります。昔、上司から良く言われました。「サルでも、犬でも努力する。人間だったら知恵を使え!」と。しかし、動物でも頭を使い、進化している姿に驚くとともに、人間として考えさせられます。

感動!感謝!感激!

昨夜は、幾度も涙しました。NSDで私が会長になった時に社員有志が集まる“冲中サロン”の24回目が開催されました。実はこの3月末でNSDを退職することになった私の送別会を兼ねての最後のサロン会でした(「送別会」では「これでお別れ」となるので、「NSD卒業式」という名に変わっていました)。いつもは社員食堂で行っていたのですが、今回は同じビルの1階のPRONTの一室を借り切っての会になりました。これまで冲中サロンに集ってくれた方中心に、いつも通りの送別会だと思って行ったのですが、始まってみるとまさにサプライズの連続で、私は感激しっぱなし!

冲中サロンは、社内有志で始まったのですが、社員の人脈を広め、刺激をもらうために途中から外部の方にも参加してもらっていたのですが、今回その6名全員に参加頂き、まずは感謝の気持ちで一杯でした。しかしそれ以上に驚いたのは、T社の社長が宴の途中で、姫路の鯛の塩蒸し1匹(皆さん「おいしい」と言って喜んでいました。秘書のYさんありがとう)を携えて乱入してきたのです。この社長は、当ブログ(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2012/1/26)でも紹介しましたが、1月26日の日経「交遊抄」で「青春の通学電車」とのテーマで私を紹介してくれた高校時代の友人です。最後まで付き合ってくれましたが、青春時代の暴露合戦的様相を呈してしまいましたが、彼も参加者と親しく、楽しく接してくれていました。T社長、ありがとう!

次のサプライズは、私の歴史を綴ったドキュメンタリー画面でした。生のNSDバンド(ギターとクラリネット)をバックグラウンドに、壁に映し出されたいろいろな場面と、私が社員の皆さんに伝えたかった言葉がほとんどすべて網羅されているのにほんとに感動しました。なんでこんな写真まで?とビックリするほど念入りに調査が入っていました。大作でした。かなりの時間を割いてくれたと思います。ありがとう!

さらに驚いたのは、私の家内からの手紙でした。最近は家内といる時間がかなり多いのですが、この日までそんな手紙を家内が書いていることは全く知らず、司会者が「奥様からお手紙が来ています」と言われたとき、全くあり得ない話で、誰かが書いたものを読むのだろうと思ったのですが、中身を聞くにつれ、家内からだとの確信で、これも涙でした。よくぞ長い間隠し通せたものと思いますが、家内は「結婚して初めての隠し事だった」と言い訳をしていました。ありがとう!

NSSOL時代の私の秘書も、近くでの仕事の帰りに寄ってくれ、場を盛り上げてくれました。仕事帰りの多くの社員の皆さんも会場に足を運んでくれました。

5年以上続いたブログも、捨てるしかないとあきらめていたのですが、きっちり焼き付けてくれたCDを、そして腰が痛くて歩く姿を心配してトレーナーを、私の似顔絵を見事に描いてくれた額を、出版社さくら舎の方からは本2冊を、色彩心理診断の方からは幸福を呼ぶキャンドルを、そして最後には花束を頂きました。そして宴が終わり、司会者から参加して下さった全員とハグをとの呼び掛けに、感動の余韻のままに、照れくささも忘れ、心から感謝の意を表しながらハグさせて頂きました。失礼しました。

こんなサプライズ一杯の、感激、感動の数時間を演出してくれた幹事の皆さん、そしてお忙しい中足を運んで下さった皆さん、ほんとにありがとうございました。一生涯忘れ得ぬ1日となりました。ほんとにありがとう!

下記は昨夜頂いたものです。

新日鉄入社後41年ぶりの全国レベルの同期会

昨夜、新日鉄昭和46年入社組の同期会が代々木倶楽部で開催された。北は室蘭から南は大分まで、入社297人の内50数名が参集した。まだ現役の人も多く、東京まで出向くのが困難な方も多かったと思われる。全国レベルで集まるのは、41年前の入社後の集合研修(1週間?)以来のこと(代々木倶楽部にて研修?)。昭和45年に八幡製鉄と富士製鉄が統合され、また今年は新日鉄と住友金属が合併することから、我が昭和46年組は、新日鉄として採用され、41年間純粋に新日鉄時代を生き抜いた貴重な面々と言える。

子会社の現役社長が3年間で100名山を踏破した話や、日本の城300か所を回った人、ブラジルの勤務経験を活かし本を出版した人、福岡県古賀市長(現役)、2か月に1回海外旅行を楽しむ人など多士済々で、来週でNSDを退職する私にも大きな刺激となった(鹿児島県知事も同期入社組だとか)。5年後の再会を期して別れた。

読むとやる気が湧いてくる「一流たちの金言(致知出版社)」に政財界でご活躍の牛尾治朗氏の文章がある。退職を控えた私にとって考えさせられるものであり、その一部を紹介する。題名は「『無所属の時間』を意識する」。

50歳を過ぎてからは、「無所属の時間を意識するようになりました。
これは作家の城山三郎さんの言葉で、
人は会社や団体など、どこの組織にも属さない無所属の時間を持ち、
そこでどう生き直すかを自身に問わなければならない。
それが、人間の大きさをつくるというのです。

私自身も、経営以外の時間に、様々な感動、感激、悲しみ、苦しみを味わい、
多様で彩に富んだ体験をすることが、経営にもプラスになることを実感しています。
仕事に追われ、自分の時間が持てないと嘆く人はたくさんいますが、
実は一人ひとりが毎日、自分の個性をどう生かし、
与えられた時間を如何に使うかということを試されているのです。
(中略)
自分に与えられた時間をどう生かし、何を創造するかはその人次第。
流れる時間は有意義なものにも、無益なものにもなります。
一人ひとりが人事を尽くし、豊かな人生を築いていただきたいものです。

昨夜の同期会でもらった刺激をバネに、遅きに失したとは思うが、今からでもいい、「無所属の時間」を精一杯生きていく方策を考えたい。

冲中一郎