フィデューシャリーの時代!?

今朝の日経17面のコラム「大機小機」で「フィデューシャリーの時代」という聞きなれないタイトルが目に入った。記事によると「最近、運用会社や大手金融グループが“フィデューシャリー・デューティ宣言”を発するようになった。」とある。敢えてわかりやすく訳すと「お客様の期待・信任に応える責任・義務」ということらしい。金融庁が2014年に「金融行政方針」でキーワードとして使ったことから最近各金融機関で上記宣言を発するようになった。調べてみると、株式会社三菱UFJ フィナンシャル・グループはつい先日の5月16日に「資産運用分野におけるMUFG フィデューシャリー・デューティー基本方針」を発表している。みずほ、住友など信託銀行関係も企業理念などで発表している。

記事によると、金融庁は、行政方針において「運用会社は投資信託の製造において“お客様のためになる商品”より“系列の親会社が販売しやすく手数料を稼ぎやすい親会社のためになる商品をつくっていなかったか」と問いかけ、「金融商品の開発・販売・運用・管理に関し、真に顧客のために行動しているかを検証し、自主的に改善するしくみの構築」を促している。コラム子は、最近の不正問題の多さに、政治家や企業も社会や市民、投資家の信任で成り立っている点を考慮すれば同概念の徹底の重要性がもっと強調されるべきだと論じている。

金融業界は、金融庁があらためて問題指摘しなければならないほど、内向きの企業運営になっていたのかと驚かされる。一般企業においては、上場会社の90%は「お客様第一」のスローガンを企業理念や基本方針に以前から掲げていると言われている(実際の行動に移しているのはそのうち10%とも言われているが)。

それにしても、もっと深い意味があるのか、難しい言葉を使うものだ。調べてみると「英米法において信認を受けた者が履行すべき義務を指す。この概念は英米法においては信託受託者以外にも弁護士・医師・会計士などその専門的能力と裁量権をもって他者のために働く者にまで拡張されている。」とある。これから、この言葉を聞く機会も増えてくるのだろう。

DSC01149

気仙沼で東京出身の20代の女性が“未来の老舗作り”!!(御手洗瑞子)

東京大学を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、ブータン政府の初代首相フェローとして産業育成に従事(2010~)し、2012年に「気仙沼ニッティング」社を立ち上げた(27歳)、新進気鋭の女性社長御手洗瑞子さんが、「PHP松下幸之助塾2016.3-4」に紹介されている。

ブータンに赴任中、東日本大震災の被災地の映像にショックを受け、「日本のために働きたい」と2012年に帰国、復興支援に携わった。「被災した方々が自分で稼ぎ、自分の足で立つことのできる仕事を生みだして”誇り“を取り戻すことが必要」との感じを抱いた。その時、ブータン時代から親交のあった糸井重里さんから「気仙沼で編み物の会社をやりたいんだけど、社長やんない?」と誘われたそうだ。東京出身で気仙沼の事など分からず、編み物も得意なわけではなく悩んだが、「誰かがやらなきやならないんだ」と準備を始める。やると決めれば、「お客さまと編み手双方が幸せであること」との志をしっかり心に持って、自立できる企業を作るためには「お客さまに満足いただけるクォーリティを重視」、そしてそのために「編み手が常に成長し続けるために、常にステップアップできる環境を作る」ことを徹底的に追及する。気仙沼を「被災地」ではなく、最高品質の編み物の生産地という憧れを持たれる土地に変える

抽選販売のノルディックセーター(税込19万4400円)、オーダーメイドのカーディガン(税込15万1200円)には注文殺到。レディメイドのエチュードも人気商品で、在庫も少なく、作れば売り上げも上がるが、これは編み手が最初に手掛ける商品で、習得すればより高度なものにチャレンジしてもらうため、むやみには作らない。「気仙沼以外にも支部を作っては」との話もあるが、「編み物の盛んな東北の街、気仙沼」とのストーリーをぶれさせないことに注力するために保留している。今は気仙沼ニッティングを永続的な事業にするために、編み手さんたちとしっかり哲学を共有し、浸透させていく、そして品質基準も徹底したい、そのためには拠点は一つの方がいいと。

まだ発足して2年半、まだ始まったばかりだが、このような事業を一つの契機にして、長い年月をかけて気仙沼に根づく事業を追求し続けたいと御手洗氏は言う。気仙沼ニッティングを「未来の老舗」にしたいと、”お客さまの嬉しさと、働く人の誇り“を軸にして、これからも挑戦を続けていくと語る。

まだ30歳そこそこで、マッキンゼー、ブータン、気仙沼と、それぞれ強い志を持って突き進むそのエネルギーに驚かされる。「私は、新たな一歩を踏み出す時に、今いる状況を守りたいと思ったり、拘泥することはない。知らない土地に行くのもためらいはない。」と言い切る。バングラディシュで幾多の困難を克服してマザーハウスを立ち上げられた山口絵理子氏もそうだが、私など足元にも及ばない女性企業家は多い。「女性活躍社会」とのスローガンが掲げられているが、御手洗さんのような人がもっと働きやすい環境を整備してあげることも重要ではなかろうか。

DSC01129

検証なき国は廃れる!?(日経)

「政治家と言う人種には“反省”と言う言葉がないのでは」と常々不思議に思っている。政治とカネの問題や、選挙違反で謝罪する事はあるが、自分の過去の失敗を認めると、選挙に響くから、明白な証拠がない社会的事象に関しては反省や総括の言葉は聞かない。企業においては、“失敗”は成長のエンジンであり、昨今企業の成長に必須と言われるイノベーティブな風土を創るために失敗を奨励する雰囲気まである(http://okinaka.jasipa.jp/archives/1865)。

自民党政権下で進めてきた原発に関しても、福島第二原発の大事故に関しての総括はまだ聞かない。4月24日の日経2面のコラム「風見鶏」に「検証亡き国は廃れる」との刺激的なタイトルの記事が目に留まった。その記事は、

「市場の競争にさらされる企業は失敗から教訓を学び、生かされなければ、廃れてしまう。国も同じだ。」

で始まる。当記事では、イラク戦争時の大量破壊兵器問題を論じ、英国は8年越しの検証を終え6月に結果を公表するのだと言う。誰が、何処で、なぜ間違った判断をしたのか?ブレア首相(当時)はじめ、当時の要人や軍幹部百数十人が尋問に応じたそうだ。「あの戦争は英国民に、英米同盟への強い懸念を植え付けてしまった。その後遺症は癒えていない。」と政府の元高官は自省する。英国には、失敗から学ぼうとする能力があるとする。

米国も01年の同時テロの教訓も含めて独立調査委で洗い出しそれぞれ約600ページの報告書を10年ほどかけて出した。日本と同様、攻撃に参加しなかったオランダも戦争を支持したことが正しかったかどうか調査し、約550ページの結果を発表している。

一方日本では、大量破壊兵器があると言う前提でイラク戦争支持を決めたその経緯に関して、民主党政権の要請で、支持を決めた経緯に関して外務省が調査し、4ページの要約を発表し「これ以上公表すると各国との信頼関係を損ないかねない情報がある」と説明した。

日本はなぜか、失敗を深く分析し、次につなげるのが苦手と言う。が、失敗を謙虚に反省につなげることで、企業も着実に成長していくことは著名な経営者が説くところだ。政治も同じく、外交、内政に関わらず時々の政策が正しかったかどうか、もっといい施策があったのかどうかの反省をすることで、将来の政権にも引き継げる知恵が出てくるのだと思う。時に第三者委員会を設けて検証することも有るが、結論ありきの委員会であることが多いように思う。当コラムでは、特定機密文書に関する情報監視審査会が第三者的検証を行えるかどうかの今後の試金石と言っている。が、「政府側は19万点の文書の件名もすべてを明かそうとしない」(審査会メンバー談)。

東北地方太平洋沖地震から9ヵ月後の12月、福島第一原発事故の根本的な原因を調査するために、国会に調査委員会が設置された。「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(通称「国会事故調」)。国民の代表である国会(立法府)に、行政府から独立し、国政調査権を背景に法的調査権を付与された、民間人からなる調査委員会が設置されたのは、我が国の憲政史上初めてのこと。その委員長の黒川清氏が、600ページにわたる報告書をまとめた。「規制の虜に陥った「人災」であると明確に結論付けた。「規制の虜」とは、規制する側(経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会など)が、規制される側(東京電力などの電力会社)に取り込まれ、本来の役割を果たさなくなってしまうことを意味する。その結果、「日本の原発ではシビアアクシデント(過酷事故)は起こらない」という虚構が罷り通ることになったのだ。米国が9・11テロ対策として、原発で起こった場合の防御策(電源喪失問題など)を二度日本にも伝えたが日本側は何の対策も取らなかったと言う。報告書での提言も、国会で全く議論されることなく、原発再稼働、原発輸出の道を突っ走る状況について警告を発する意味で本を出版された。「規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす」(講談社、2016.3)だ。読んでみたいと思っている。

DSC01131