「自己改革2」カテゴリーアーカイブ

「知好楽」って聞いたことは?

松下電器(現パナソニック)の元社長山下俊彦氏(昭和52年に先輩24人を飛び越えて社長になった)が、色紙を頼まれると好んで書かれたのが「知好楽」だったと言う。その「知好楽」が「致知」最新号2013.5号のキーワードだ。その総リード文の一部を紹介する。

「知好楽」の出展は、論語だ。

子曰く、これを知る者は、これを好むものに如かず。これを好むものは、これを楽しむものに如かず。

極めてシンプルな人生の真理で、仕事でも人生でも、それを楽しむ境地に至って初めて真の妙味が出てくる。

稲盛和夫氏は、新卒で入社した会社(松風工業)はスト続きで給料も遅配状態で、一時は嫌気がさし、転職を考えたが実兄から反対され踏みとどまった。そして「こんな生活をしていても仕方がない」と思い、「自分は素晴らしい会社に勤めていて、素晴らしい仕事をしているのだ」と無理やり思い込むことにした。すると不思議なもので、あれ程嫌だった会社が好きになり、仕事が面白くなってきたのだ。仕事が楽しくてならなくなり、通勤時間を惜しんで、布団や鍋釜を工場に持ち込んで仕事に打ち込むようになった。稲盛氏は「会社を好きになったこと、仕事を好きになったこと、そのことによって今日の私がある」と言う。

松下幸之助氏の言葉「人間は自らの一念が後退する時、前に立ちはだかる障害がものすごく大きく見える。それは動かすことが出来ない現実だと思う。そう思うところに敗北の要因がある」。さらに「困難に直面するとかえって心が躍り、敢然と戦いを挑んでこれを打破していく。そんな人間でありたい」とも言う。

昨年水泳で日本新、高校新を連発した瀬戸大也君(埼玉栄高校)がテレビ朝日の報道ステーションで取材を受けていた。ロンドンオリンピックで同級生の荻野選手が銅メダルをとったことがきっかけとなり、国体、短水路選手権、W杯でことごとく荻野選手に快勝した。個人メドレーを主レースとするが、平泳ぎ、バタフライなどにも出て高校新を連発している。その瀬戸選手、小さい時からポジティブ思考を父親からしつこく言われ、「ダメ、無理、出来ない」などの発言を禁止されていた。ロンドンオリンピックの選考会で荻野選手に負け、選考に漏れたときはすごく落ち込んだが、荻野選手が銅メダルをもらって火がついたというか、再度ポジティブ思考になった。その結果、上記のような状態になったそうだ。

何事も前向きに考えて、遺伝子をスイッチオンすれば、運も味方に引き込め、自分の人生を充実したものにできる。そんな事例は多い。

我が身を削って人のためになる鉛筆!

25日のNHK「ゆうどきネットワーク」で紹介された創業60年の学童鉛筆製造メーカー北星鉛筆(葛飾区)。そこには、代々受け継がれてきた家訓がある。

鉛筆は我が身を削って人の為になり、真中に芯の通った人間形成に役に立つ立派で恥ずかしく無い職業だから、鉛筆の有るかぎり、利益などは考えず、家業として続けろ

この精神で、従来の鉛筆の需要が激減する中で、鉛筆を作る過程で出る木屑から作った粘土やウッドペイントなどいろんなアイディア商品を出し創業60年を迎える事が出来たと北星鉛筆の社長は言う。

知り合いの社長がFBで紹介していたPRESIDENT Onlineの記事が面白かった。「解明!運がないひとは、なぜ運がないのか」と言うタイトルでの京都大学工学研究科藤井聡教授の記事だ(http://president.jp/articles/-/8829)。

他人に配慮出来る人ほど運がいい

自分から遠い存在である他人のことまで思いやる利他的な人ほど得をし、目の前の自分の損得のみしか考えない利己的な人ほど、運をつかむチャンスを失い損をするという「認知的焦点化理論」を主張される。藤井教授は、犬(嗅覚)や蝙蝠(超音波聞き分け能力)と同じく、人間は「悪者を見破る能力」を進化の過程で異常に発達させ、それに成功した人たちが生き残ったとの淘汰説が、実験を通じて証明されていると言う。人間は悪者をすばやく発見する装置を備えた生き物だと指摘している。したがって、利己主義者が本性を隠して表面を取り繕っても、我々はほんのささいな言動からでも敏感に察知でき、そういう人には真の友人やパートナーが出来ない。一方で、利他性の高い「いい人」には、人が寄ってくる。

企業も同じで、成果主義が効果を上げても、全社的に利己的体質が過剰になれば、やがては会社自体が崩壊に向かう。利己主義者が効率を追求してビジネスライクに当面の利益をあげる一方、利他性の高い人は商売抜きで幅広い会合に付き合ったり、得にならない役割を自発的に引き受けたりで、日頃はとても非効率な存在に見えるが。が、「平時」から「危機(今回の東日本大震災のような)」になった時、利他主義者は強い。平時に培った人脈や関係が対応策の選択肢を広げてくれる。逆に利己主義者は変化に弱い。

創業100年をこえる企業は、国内に約2万社、全体の2%ほど。不況や戦争、災害を乗り越えてきた老舗には、家業を守り続けてきた立派な家訓があり、その家訓を守り続けてきた企業が長生きしているとも言える。

「頑張っているのに自分だけなぜこんなに不運続き」と嘆く人は、一度自分の胸に手を当てて考えることを、藤井教授は薦めている。

「ありがとう」の反対語は「当たり前」???

最初、この話を聞いたとき、正直何を言っているのかよく理解できなかった。「致知4月号」の随想記事、蓮華院誕生寺内観研修所長(熊本)大山真弘氏の『「ありがとう」の反対語』の中に一文としてあった(「内観」については、ソフトバンク小久保氏の話として話題にしたhttp://jasipa.jp/blog-entry/8562)。同じ時期に、これもブログ(http://jasipa.jp/blog-entry/8564)で紹介した「社長のための‘お客さま第一’の会社のつくり方(小宮一慶著)」の中の一文に出てきた。

「ありがたい」を漢字で書くと「有る事難し」。日頃の生活を振り返っても、自分が今生きていること、毎日食事が出来ていること、家族といることなど、「当たり前」の事と思えば、何の感慨も出てこない。「ありがたい」と思う心は、それが「当たり前」ではないことに気付くことによって、起こる心と言える。しかしながら、悲しいことに我々人間は、あたり前と思っていることが、当たり前でなくなるまで、なかなか気づくことが出来なくなってしまっている。

「内観」では、まず母親についての記憶を辿りながら、「してもらったこと」「お返しをした事」「迷惑をかけた事」の三つの問いかけをする。一人静かに記憶を辿る内に、不思議なもので、心の奥にしまいこまれていた遠い日の思い出が一つ一つ蘇ってくると言う。まさに母親との関係で、「当たり前」と思って気にも留めなかったことが、「内観」によって、母親の深い恩に気付き、感謝の気持ちが沸々と湧いてくると言う。大山氏は、商社マンから転身、得度され、摂食障害やうつ病、アルコール依存症など、様々な問題を抱えた人たちを対象に、内観を実施されている。1週間も内観を続ければ、それまで他者を非難し、被害者意識に陥っていた方が、問題の原因が自分にあることに思い至るそうだ。正しいと思い込んでいた自分が、如何に人に迷惑をかけてきたか、にもかかわらず、如何に支えられて生きてきたかを悟り、感謝の念を抱くことで、楽に明るく生きられるようになると言う。まさに「当たり前」と思っていたことを「有ること難し」と気づくことによって、感謝の念が湧き出し、気持ちを楽にできると言う事だろう。

小宮氏は、自分の経営するコンサル会社の社員には、電話がかかると、まずは「ありがとうございます。小宮コンサルタンツです」と言うように指導しているそうだ。これは、17年前3人で創業した時、ほとんどかかってこない中、電話がかかってきた時の有りがたさが忘れられないからだと言う。

身近な人が亡くなった時、「生前にもっとよくしてあげればよかった」と後悔する人が多いのではなかろうか。「ありがとう」の反対語は「あたり前」。このことを意識しながら、日々の何気ないことにも感謝の心を忘れないようにしたい。