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信念の人!杉原千畝

昨日25日日曜日10時からのテレ朝「Sundayフロントライン(メインキャスター小宮悦子)」の特集で、本田宗一郎、松下幸之助、土光敏夫、後藤田正晴(三宅島大噴火の際の決断)などの方々と一緒に「杉原千畝」氏が最も時間をかけて紹介されていた。

今回の東日本大震災でいち早くイスラエルが医療機器、医療薬と共に約60人の医療団を南三陸市などに送りこんでくれました。その理由が、ヒトラーのユダヤ人大虐殺当時、リトアニアの領事館にいた外務官杉原千畝氏(1900-1986)がユダヤ人6000人を救ったそのお礼だそうだ。

ナチス・ドイツの迫害で、ポーランド等各地から逃げ出てきたユダヤ人が、リトアニアの日本領事館に押しかけ、日本へのビザ発給を求めてきた。当時(1939年頃)は、ドイツ、イタリアとの三国同盟を近々結ぶ予定の日本政府に、ビザ発給の承認を求めても、全く耳を貸さない状況にあった。当時の松岡外務大臣は「大使館の任務は人道支援ではない」とにべもなく杉原氏の要求を却下。悩みに悩みぬいた杉原氏は「将来を見据えれば、今はナチとの協調より、人道支援。今断れば永遠の恨みをかう」と決断し、毎日指に血豆を作りながら1日300人のビザを来る日も来る日も作り続けたそうです。ビザ発給されたユダヤ人は、シベリア鉄道で日本に渡り、そこから各国へ逃げ延びたそうです。

杉原氏は、帰国後は外務省から即解任(というか辞表提出)。その後は、電球作り、雑貨屋などを営み、ほそぼそと生活を維持していたそうです。この杉原氏の決断は、外務省は省命違反として、1990年頃に鈴木宗男外務省政務次官〔当時〕が、美談としての評価を取り上げるまでは、頑なに否定していたそうです〔ユダヤから金をもらったとかの中傷誹謗もあったとか〕。

今回の大震災の医療団派遣は、「いつか杉原氏のご恩に報いるために、日本の力になりたい」と思っていた人たちが、日本の国難にいち早く派遣を決めたそうです。今は6000人がその子孫を含め25万人になっているそうです。

この強さ、信念は、どこから来るのでしょうか?考えさせられます。