「組織・風土改革2013」カテゴリーアーカイブ

「掃除道」を説く鍵山秀三郎氏

イエローハット創業者であると共に、「社会の荒み(すさみ)を無くしたい」との思いで、全国に「掃除を学ぶ会」を作り、「鍵山塾」を通して経営者や教育者の教育を80歳の今も続けられている鍵山氏。「致知2013.7」に野村証券常務をやられ、その後退職して三洋証券の経営立て直しをされた後、公文教育研究所に入社、翌年社長になって世界中に「KUMON」ブランドを広められた杏中保夫氏と鍵山氏の対談記事がある。杏中氏は野村常務時代に部下の紹介で鍵山氏に会われ、鍵山氏の話に体が痺れたと言う。その対談の中での、印象的な言葉をいくつか紹介する。

大きな努力で小さな成果

「お客様第一」は名ばかりで、小さな努力で大きな成果を求められ、まさに生き馬の目を抜く社内で生きてきた杏中氏は、鍵山氏のこの言葉に体が痺れ、まるで神様に出会ったかのような感覚を覚えたと言う。鍵山氏も、証券業界にいる人が自分の考え方に共鳴してくれたことで驚き、以降お二人のご縁が続くことになる。杏中氏は、この時鍵山氏から頂いた「人間学言志録」(越川春樹)を読んで、陽明学に傾注することになったそうだ。これが三洋証券で、不安と恐怖、諦め、怒り、絶望の淵にいる社員を奮起させ、立て直しに成功することにつながる。

「やっておけばよかった」ではなく「やっておいてよかった」の道を歩む

20歳でカー用品業界に入ったとき、なんとあくどい、質の悪い業界かと驚かれたそうだ。接客が乱暴、雪が降ればタイヤチェーンの価格を10倍、20倍にする、手形商売で支払いが遅いなど、自分の会社の収益はともかく、この業界の体質を変えることが第一義と、怖い目に何度も会いながら施策を実行された。その経験に基づいた言葉で、「言っておいてよかった」「会っておいてよかった」など含めて悔いを残さない人生を説かれている。同じような意味で“”ゼロから一への距離は、一から千までの距離より遠い(ユダヤ格言)

誰にでも出来る簡単なことを、誰にもできないほど続ける
自分に与えられた権限、権利、それを使い尽くしてはならない

前者は、「継続は力なり」と同じことで、何事も継続することの大事さを言われている。まさに掃除道を50年以上説かれている方の言葉だ。後者は、何でも自分の権利を精一杯使おうということが往々にして世の中を悪くしているとの主張だ。

トイレ掃除で世の中を変える運動は着実に企業や学校で広まっている。中国にも指導に行かれているそうだ。「世の中のために」粉骨砕身頑張っておられる方の言葉は心に響く。

自責文化を吹かせろ!

以前も「全員経営」に関して記事を書いた(http://jasipa.jp/blog-entry/7685)が、その中で「リーダーは“自責”の文化を吹かせろ」(PHP Business Review松下政経塾2012.7・8号)という新将命氏の記事を紹介した。「全員経営」のためにも「自責の企業文化を作る」ことの必要性を説いている。全員経営とは、社員全員が自分が責任を取ろうとする態度であり、社内にそのような習慣が定着していることであると新氏は言う。さらに「会社の中に吹く風を「社風」という。社風が社内に定着すると、そこに企業文化が生まれる」とも。一人の人間が自責の風を吹かせ、3人、4人が真似するようになるとソヨソヨと自責の風が吹き始める。20人、30人になると、ザワザワと音が高まる。50人、100人になるとゴウゴウといううねりを立てて自責の風が吹き巡る。

論語でも、自責の文化を言う言葉があった。「致知2013.6号」に連載中の「子供に語り継ぎたい論語の言葉」(安岡正篤師の令孫、安岡定子氏著)より。

君子は諸(これ)を己に求む、
小人(しょうじん)は諸を人に求む

「諸を己に求む」とは何事も自分の責任で行動したりすること、「諸を人に求む」とは何か失敗した時に言い訳をしたり人に責任を押し付けたりすること。安岡氏が言うには、小さなお子さんでも本能的に善悪の判断が出来るのは、人間は生まれつき正しい心、清い心を持っているから。「失敗したり、友達との約束を守れなかっときどういう気持ちになる?」と問いかけ「まずい」「あんなこと言わなかったらよかった」と自分を顧みることが出来る。この素直な感情が湧きあがったあと、どうするかがポイント。間違いを反省してきちんと友達に謝れるか、それとも誰かのせいにして誤魔化してしまうのか?誤魔化すといつまでも後ろめたい気持ちを引きづる。寺子屋で子供たち相手にこんな教育をされている。

論語には、似た章句は多い。

過ちて改めざる、これを過ちという

過てば則ち改むるに憚ること勿れ

このことを噛みしめ、会社でも、失敗した人を責めるのではなく、「折角失敗してくれた」教訓を、みんなが自責の念を持って、みんなで反省し教訓とすることが出来れば、強い会社文化が作れるのではなかろうか。

「俺は聞いてない!」と怒り出す人たち

標題は、本の題名だ。2012.12.30発行、心理学の専門家榎本博明氏著作、朝日新聞出版(朝日新書)のものだ。

「俺は聞いてない!」と怒る発言は、部下の報告を聞いて、鋭い質問や有効なアドバイスが出来ないときの自分の存在感を示すための発言だと言う。「見下され不安」で、自分より部下の方が優れている事実(Ex.現場の情報を部下の方がよく知っている、部下が素晴らしい提案をする)を素直に受け止められない時に発する。折角、部下がいい提案をしても、上記発言で議題がストップしてしまう。この発言は最後の切り札的発言であるため、全てが止まってしまう。

上司、部下の関係に、榎本氏は「メンツ」と「甘え」の構造が入り込み、「すねる」「ひがむ」と言った心理が生ずると言う。このような関係の中で、上司の存在感を満足するために「報連相」も上司の心のケアとしての意味合いがあるとも言う。日本では、「メンツ」に対する配慮がはびこり、真の実力主義とはなっておらず、実力のない人物が高い地位につくことも多い。そのため、能力の高い部下ほど葛藤を覚えることにもなる。優秀な人材を潰さないような配慮と共に、上司のメンツをつぶさないようにする配慮も必要と説く。

作れば売れる「大量生産時代」を経験した私も、上司に「俺は聞いていない」と怒られないよう、上司への「報連相」には常に気を配っていたものだ。しかし、グローバル時代を迎え、環境変化は激しく、意思決定のスピードが求められる今の時代でも、「すべての情報を自分が把握しておかなければならない」と、事細かく「報連相」を強制する管理者がいるのも事実だろう。

有名な話だが、未来工業㈱では「報連相」は禁止だ。「常に考える」廊下、階段、トイレなど未来工業の本社内で、いたるところに張られている標語だ。「ホウレンソウ禁止」もこの理念に基づき、1人ひとりが自ら考える自発性を重視したためだという。上司への報告は必要最小限にとどめる。業務の遂行は自分で考え、自分の判断で進める。必要と判断するなら上司の許可をあおがなくても出張は自由。すべて相談する義務はない。その前に自分で考えてやってみようということだそうだ。

この4月に管理職となった人も多いと思うが、自分の発言の重みを認識しつつ、部下との信頼関係をはじめ、効率的な組織運営を目指してほしい。