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桜に想う

今日も好天気のもと、満開の桜を楽しみ、愛でる人たちでどこも賑やかなことと思う。桜の花ははかなく、休日で楽しめるのはこの週末しかないと思われる。

今朝の日経「春秋」に桜に関する西行の記事がある。「春秋」は「満開の桜を見るたびに、わけもなく胸騒ぎがする。その美しさ、見事さに息をのみつつ、心のどこか秘密の場所で苦しさが息づく。」で始まっている。そして西行の句を紹介している。桜を詠んだ句が最も多いと言われ、西行の桜好きは異常なほどとか。

散るを見て 帰る心や 桜花 むかしに変はる しるしなるらむ

花を想って花から離れられずにいるのに、花のほうは今年も容赦なく去っていくという消息を詠んだ歌である。桜が好きであればあるほど、散ることを考え侘しくなる気持ちは分かる気もする。

西行で思い出すのは、父のことである。25年前に亡くなったが、葬儀参列者の皆さんへの喪主としての挨拶で、父の好きな西行の言葉を紹介した。

願はくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ

父が亡くなったのが4月7日。まさに父の願いがかなったとの思いを伝えさせてもらった。居間の壁に、自分で描いた上記句を張り付けていた。父の人生は、奉仕の人生であり、自らの人生を家族で楽しむ雰囲気は全くなかった。村の自治会長を何十年も続け、自分で鍬を持って道路の補修をしていた姿が思い出され、そんな父の自分に関する唯一の願いが叶えられたことに感慨を覚えたことを思い出す。

西行の出家前は佐藤義清(のりきよ)と言い、NHKの大河ドラマ「平清盛」に出てくる。清盛が「義清(のりきよ)。義清、お前がおらぬようになってしもうたら、俺はどうすればいいのじゃ。誰が俺に難しきことを教えてくれる。誰が俺の手本となってくれるのじゃ。義清」と出家を決意した義清に言う場面があった。清盛が言う「真の武士」でもあり、後鳥羽院にも仕えた文武両道の若者であった。芭蕉も師と仰いだ西行であるが、芭蕉は『西行上人像讃』で、「捨てはてて 身はなきものとおもへども 雪のふる日はさぶくこそあれ」という西行の雪の歌に付けて、「花のふる日は 浮かれこそすれ」と詠んでみせた。まさに芭蕉の言うとおり、西行は花にばかりあけくれたそうだ。

今日も、いろんな思いを持って満開の桜を愛でる人で、名所は賑わっていることでしょう。

今日の錦糸町猿江恩賜公園の桜です。人出の多さにびっくりです。