北欧2都&ロシア~モスクワ編~その2

前稿でクレムリンを紹介したが、その他のモスクワを紹介する。

まずはモスクワ川南岸の展望スポット“雀が丘”。あいにくの天気だったが、モスクワの中心街や、1980 年にオリンピックが開催されたルジニキ オリンピック スタジアムも見える。振り返ればロシアきっての大学“モスクワ大学”が。

クレムリン近くに“ホワイトハウス”とも呼ばれるロシア連邦政府庁舎(ベールイ・ドーム)がある。1991年ソビエト連邦が崩壊し、ロシア連邦が誕生。第1代大統領のエリツィンがホワイトハウスに立て籠もった反体制派に対してモスクワ川の橋の上(写真を撮った場所)から銃撃し多くの人を殺したいわくつきの建物だ。

モスクワ郊外のノボデヴィチ修道院(1524年)。ピョートル大帝の姉ソフィアが、権力闘争に敗れて弟によって幽閉された修道院でもある。トルストイの「戦争と平和」などにも登場する。湖には今はカルガモが泳いでいるが、チャイコフスキーがこの湖に泳ぐ白鳥を見て、「白鳥の湖」を制作したとか。

市内に戻って、再度クレムリンの“赤の広場”にある“聖ワシリー大聖堂へ(1560年)。イヴァン4世(雷帝)がモンゴル戦勝記念で作らせた。ロシアの聖堂でもっとも美しい建物のひとつと言われ、クレムリンと共にユネスコの世界遺産に登録された。この大聖堂の後方は”赤の広場“だ。右側の白い建物(百貨店らしくないが)は、「グム百貨店」(1893年)。国営時代もあったが、今は民営で高級品店も含め200店舗が営業している。次の写真が百貨店内部の写真だ。赤い広場の奥に赤い尖塔のある建物は歴史博物館、左の尖塔は、クレムリン編でも紹介した“ニコリスカヤ塔”だ。左側で広場に突き出た建物が“レーニン廟”だ。

夜景も美しい。最初の3枚が赤の広場(2枚目の奥に聖ワシリ大聖堂、左がグミ百貨店)だ。
次の3枚は赤の広場からホテルに帰る途中の夜景だ。

モスクワのホテルは「メトロポール」。クレムリンに近く、要人が宿泊するホテルらしく、外観はともかく内部はすごかった。朝食(バイキング)にワインがあるのは初めての経験だった。

これで今回の旅行記を終えるが、最も印象的なのはやはりペテルブルグだ。ヘルシンキからの特急列車で夜はじめてロシアの地に降り立った時は、駅周辺が暗くロシアとはこんな雰囲気かと思ったが、ネヴァ川に差し掛かった時、ネヴァ川周辺のライトアップに印象がガラリと変わった。今回は2日間の見学だったが、見所が多く、もっとゆっくり回りたいと強く思う街だった。ロシアに対する印象が多少変わった。

北欧2都&ロシア旅行記~モスクワ編~その1

いよいよ旅も最後になってきた。サンクトペテルブルグから飛行機で1時間半。モスクワ到着後、すぐ“クレムリン観光”だ。”クレムリン“とは城塞を意味する。12世紀に最初の城塞が築かれた後、15世紀に現在の多くの建造物が建てられた。しかし18世紀には首都がサンクトペテルブルグに移り、クレムリンは一時的な空白期間を迎える。19世紀にはナポレオンの占領で一部が破壊されたが、間もなく修復され、さらに「大クレムリン宮殿」や「武器宮殿」が増築されてクレムリンは巨大化していった。クレムリンが再び国の中心となったのは、1917年のロシア革命以降だ。総延長約2,235mの城壁内には、見どころが満載。

トロイツカヤ塔を通って入城だ。”スパスカヤ塔“や#ニコリスカヤ塔”が見える。クレムリンの城壁には20の塔が併設されている。そのうちの5つの塔の先端には、ルビーでできた直径3mの赤い星(クレムリンの赤い星)が輝いている。

次にウスペンスキー大聖堂に向かう。この広場に面して3つの聖堂と鐘楼がある。
まずもっとも有名な“ウスペンスキー大聖堂”(1479年)。ロシア帝国の国教大聖堂として、皇帝の戴冠式やモスクワ大司教の葬儀なども行われた。近くにあるのが“ブラゴヴェシチェンスキー聖堂”(1489年)。イヴァン大帝のための個人礼拝堂だ。隣り合わせにあるのが金と銀のドームが見える“アルハンゲルスキー聖堂”(1508年)。軍の守護聖人を祀って建てられた。広場の一角には、見張りの塔の役割も兼ねていた“イヴァン大帝の鐘楼”がある(1508年)。その鐘楼前の広場では、高さも直径も6メートルを超え、重量は200トンといわれる鐘が飾られている。一部が欠け、本来の役目を果たすことがなかったそうだ。

少し歩くと、19世紀造営の「クレムリン大宮殿(大クレムリン宮殿)」がある。今日は何かの行事があるのか、国旗が掲げられ、高級車がずらり並んでいる。

次に“武器庫”と”ダイヤモンド庫“に行ったが内部は撮影禁止。”武器庫“は、16世紀には武器の製造・収納庫として作られたが、首都がサンクトペテルブルグに移った際、帝室所有の貴重品を収める宝物殿となり,1813年に博物館として発足した。ここには武器,防具類のほか,キエフ・ロシア時代の王冠をはじめ,代々のツァーリの玉座や衣服や馬車,金・銀製の食器,金糸と真珠をちりばめた高位聖職者のための僧衣などが数多く収められている。どこもかしこもキンキラキンだ。ロマノフの至宝”インペリアル・イースターエッグ“も飾られている(土産物屋で必ずお目にかかる)。”ダイアモンド庫“には、エカテリーナ2世が愛人から贈られた189カラットの世界一のダイヤモンドが見ものだ。

プーチン大統領が職務にあたる“大統領官邸”がある。クレムリンの近くにボリショイ劇場が見えた。

北欧2都&ロシア ~サンクトペテルブルグ編その4~

エルミタージュ美術館、エカテリーナ宮殿、ピョートル大帝夏の宮殿を紹介してきたが、サンクトペテルブルグにはほかにも見所は多い。

まず朝一番に行ったのはスモーリヌイ修道院。ピョートル1世の娘であるエリザヴェータ女帝が18世紀に創設した。中央にあるメインの建物が有名で、青と白の壁の上に3つの尖塔と高さ94mに達する時計塔が立っている。

サンクトペテルブルクには、ロシア正教の美しい教会がたくさんある。そのうち、”血の上の救世主教会”と”聖イサク大聖堂”に行った。”カザン聖堂”はネフスキー通りでバス内から写したものだ。

“血の上の救世主教会”は、公式にはハリストス復活大聖堂という。ここは、1881年にロシア皇帝アレクサンドル2世(62歳)がテロリストにより暗殺された場所で、その弔いのために建てられた(高さ62m)。サンクトペテルブルグの他の教会と異なり、ロシアの民族性を意識した玉ねぎ形の屋根に見られる中世ロシア的な造形が特徴。横にはエカテリーナ運河があり、遠くにカザン聖堂が見える。

聖イサク大聖堂は高さ102m、面積が800平方mを誇る世界最大級の教会で、圧倒的な存在感がある。ピョートル大帝の守護聖人であるダルマチアの聖イサクの名を冠したこの聖堂は、アレクサンドル1世の時代に、フランス人建築家モンフェランの設計により建築されたが、地盤の関係で40年もの歳月を費やし、1858年に完成した。内部に入場すると、その圧倒的な大きさに驚かされます。圧巻は中央大ドームで、102mの高さの内部空間を仰ぎ見ることができる。東正面にキリストの復活を描いた大きなステンドグラスがある(ロシアで初めてのステンドグラス)。ロシア正教の寺院では珍しいものだ。この両側には、ピョートル大帝、エカテリーナ2世、アレクサンドル1世、聖ネフスキー、聖母子、聖パウロ、聖イサクなどの絵が飾られている。緑の柱はクジャク石。樫の木にブロンズのレリーフを貼り付けた扉と、キリストの誕生と聖ペドロのモザイク画。

デカブリスト広場(元老院広場)にあるピョートル1世(大帝)の騎馬像は別名「青銅の騎士像」とも呼ばれる。後ろの黄色いきれいな建物は広場の西側に建つ元老院の建物。ネヴァ川ほとりのワシリ島にあるロストラの灯台柱(円柱)。「ロストラ円柱」とは、拿捕した敵艦船の船首「ロストラ」を切り取り、それを柱に装飾として固定したものを意味するそうだ。 この円柱は海戦勝利記念柱だ。もう一つはネヴァ川ほとりのペテルパヴルフスク要塞だ。処刑されたロマノフ王朝のラストエンペラーのニコライ二世と、その家族が眠る所だ。

これで4回にわたって紹介したサンクトペテルブルグ編を終える。ほんとに見所一杯の美しい都市だ。