「故郷」カテゴリーアーカイブ

家内の故郷(磐田)で孫が自然満喫。そして驚きの・・・。

この3連休、家内の父・妹の7回忌で静岡県磐田市へ、家族で行った。亡き妹の家族8人、私の家族8人、息子たちの従弟同士(子供も含めて)が全員集まる機会はめったになく、亡き父・妹にとっても供養になったのではないかと思う。

孫(といってもほとんどが0~2歳て、私の長男の息子が小3で最年長)は、東京の都会では経験できない虫取り、特にカブトムシ取りや、ザリガニ取り、そして花火などに興じ田舎の生活を堪能していた。たまたま、その日にサッカーJ2ジュビロ磐田対東京ヴェルディの試合が磐田スタジアムであり、夜はみんな揃って(14人で)応援に行った(残念ながら1:2で負け)。磐田スタジアムは家から徒歩でも20~30分で行けるところにあり、狭いがサッカー専用スタジアムで、観客席とグラウンドが至近距離にあり、目の前で選手の活躍が見られるため迫力がある。ジュビロは若返りが進まず、往年の選手(駒野、井野波、松井など)主体だったが、やはり駒野選手などのサイドからゴール前への駆け上がりは見ごたえがあった。

今回の磐田市で一番驚いたのは、家での法事を終えて、お寺を訪れた時だ。本堂でお参りを済ませた後の住職との歓談の時、住職がこんなこともやっているのですよと、パンフレットを配られたが、見ると立川晴の輔(旧名志の吉)の独演会のもの(9月23日のお彼岸の時)。立川志の輔門下の真打に昨年12月に昇格した今売出し中の落語家だ(私の長男と同年代)。実は志の吉(志の輔の一番弟子時代)は、前職NSDの食堂で仮設の会場を作って「NSD落語会」を何度か開いていた際の専属落語家だった。私のNSD時代お世話になった檀上さん(晴の輔の本名も檀上)の甥っ子と言う関係で特に配慮して頂き開催していたもの。今でもNSDにはファンが多く、東京駅界隈や三鷹などでの独演会には多くのNSD社員が訪れていると聞く。このお寺は、「医王寺」と言い、天平16年(744)行基菩薩が聖武天皇の勅命を奉じてこの地を訪れ、伽藍を造ったのが医王寺の始まりという由緒あるお寺だ。武田信玄の焼き討ちに会い、徳川家康が再建したとか、いろんな歴史的な史実があるそうだ。独演会当日は重要指定文化財の一つでもある小堀遠州の庭園もライトアップされる。NSDの方は分かってくれると思うが、ピンポイントで独演会が志の吉だったので、正直すごく驚いた。

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このお寺の森の中にカブトムシがいる木があり、そこで孫は6匹捕まえ、近くのホームセンターで用意した駕籠に入れて東京に持ち帰った。

私も小さい頃、夏と言えば近くの山へカブトムシやキリギリスを採りに行ったり、近くの海へ泳ぎに行ったり、懐かしい思い出ばかりだ。今、安倍政権では地方活性化を最重要施策として進めようとしているが、その思い(来年の地方選のため?)はともかく、田舎の里山保全はしっかりやってもらいたい。満天の星空を見て「気持ち悪い」と言う子供がいると聞くが、やはり田舎の自然は子供にとっても大いに意味あるものと思う。

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姫路城「白鷺」の色蘇る!

21日の日経朝刊40面文化面に「城を基の姿に 平成の大修復」と題した大きな記事があった。姫路出身者としては、副題「姫路城―白鷺の色蘇る」に目が止まった。姫路城は平成21年秋から5年かけての修復工事が来年3月で完成する。記事によると、「これまでの囲いが外され、初夏の晴天の下、鮮やかな白鷺が蘇った」とある。今月12日の姿が姫路市のホームページに掲載されている(http://www.city.himeji.lg.jp/s60/2851146/_21909/siro-weekly-photo)。Twitterなどでは「白すぎ」との意見もあるようだが姫路市の担当は「これが昔の姫路城の白さだ」と言う。東京オリンピックの年に「昭和の大修復」(木曾から芯柱を運び、姫路駅前の大手前通りを練り歩いた姿を思い出すー高校3年)以来50年ぶりの大修復だ。来年4月が楽しみだ(この時期に合わせて、高校卒業50周年記念同窓会の4月4日姫路での開催が既に決まっている)。

記事によると全国の城址で歴史的な建造物の修復が進行中らしい。天守閣や石垣を修理したり、戦災などで失われた建物を木造で復元する。主に鉄筋コンクリートで整備された「昭和の大修復」とは異なり、多数の城址が建造時の姿と工法を尊重しているのが、「平成の大修復」の特徴と言う。修復中または修復を終えた主な城は、北から弘前城、仙台城、白河小峰城、会津若松城、小田原城、掛川城、名古屋城、大洲城、熊本城。弘前城は10年かけての本格的な修復、仙台、白河小峰、会津若松は東日本大震災での損傷修復だ。

特に興味深いのは名古屋城。天守は太平洋戦争末期の空襲で焼失。現在は1959年に鉄筋コンクリート造りで再建されている。掛川城、大洲城、白河小峰城も木造での復元例があるが、名古屋城のような巨大な天守では例がないそうだ。天守も含めて本丸御殿も4年後の18年を目標に完成させるとの事だ。

熊本城も戦後コンクリート造りで天守を復元したが、1998年からやぐら門、塀や御殿を木造で復元する作業が続き、今後10年以上完成までにかかると言う。熊本城は、江戸時代には多数のやぐらを持つ全国有数の巨大な城だったそうだが、その復元を目指している。小田原城もコンクリート造りの天守を木造で復元中だそうだ。

記事では、明治維新後の廃城令や、戦災で失われた城を復元する動きが増えてくるだろうとみている。何と言っても城は次代に継承していかなければならない貴重な日本の財産だ。世界遺産姫路城は我が故郷の自慢だ。来年4月が待ち遠しい。

 

駕籠(かご)の嫁ぎ先が決まりました!

姫路の家の玄関の梁にぶら下げられていた駕籠の引き取り先がやっと決まりました。同級生が持って帰ってくれ、保存してくれることになりました。この駕籠は、先祖が嫁入りに来た時の駕籠らしく、私の姉(77歳)の記憶でも小さいころから玄関の梁にぶら下げている記憶しかないため、恐らく100年以上前からぶら下げていたのではないかと推測されます。私の祖母が乗ってきたとしたら120年前となりますが祖母だったかどうかも不明です。

これを友人と一緒にゆるりゆるりと降ろしました。ある骨董屋は、降ろそうとすると空中分解してしまうのではと言っていたので心配しましたが、全く大丈夫でした。屋根は埃まみれでしたが、埃を取ると、黒の漆喰塗が出てきました。また中から外に飾る赤い房が4個、真新しい形(保存方法が良かったのか)で出てきました。引き戸を開けると、絵模様のある背もたれと肘掛もあり、畳風の床と共に、座っている姿を彷彿とさせるイメージの部屋でした。

駕籠に関してインターネットで調べてみましたが、ある人の話では、故渡辺美智雄さん(みんなの党の渡辺喜美の父君)にひいお祖母さんの嫁入り駕籠を見せてもらったことがあるそうで、屋根裏に上げて梁に縛りつけてあったそうです。それは、嫁いだ後、実家に帰れないように実家の家紋入りの駕籠を縛りつけてしまうのだそうです。新妻のマイカーでなくて、婚礼の時一回限りに使用する「嫁入り駕籠」と言うと書かれていました。

私が東京に転勤してから実家は空き家が続き、これからの保存もままならぬため、引き取り先を捜していました。古いものは出来るだけ残して、若い人たちに引き継ぎたいと思うのですが、市町村でも保存場所がなく、なかなか古民家同様残すのは難しくなっています。テレビでも時代劇の数が激減し、演出家も俳優も減ってしまうのではと懸念されています。残念ですが、ますます江戸、明治も遠くなります。