「日本の課題2016」カテゴリーアーカイブ

素読のすすめ

スマホ中毒の弊害と読書離れの悪影響に警鐘を鳴らし、素読の必要性を訴える脳科学者で、脳トレの先駆者川島隆太氏(東北大学加齢医学研究所所長)とテレビのコメンテータとしても有名な明治大学文学部教授斎藤孝氏との対談記事が「致知2016.12」に掲載されている。斎藤孝氏も数多くの素読の実践をベースに、その意義を伝え続けておられる(声に出して読みたい日本語)などの著書多数)。
川島氏はかねてから、きわめてプアなセンテンスでやり取りしているSNSに警鐘を鳴らされている。仙台市の7万人の子供たちの脳を7年間調べ続けているそうだが、スマホやSNSの利用と学力との関係が明らかになってきたという。すなわち、これらを使えば使うほど学力は低下するという。脳の中の学習した記憶が消え、例えばSNSを1時間やると、百点満点の5教科のテストで30点下がるとのこと。
一方で、読書は作者の脳みそ、すなわち考え方との対話と考えることができるが、目で追うだけではなく声に出す、手で書くということで、視覚、聴覚、運動情報を多く使うことになりより記憶に刻まれることになる。さらには、人間の前頭葉の中心、ちょうど眉間の上あたりに背内側前頭前野という高度なコミュニケーションを司る部分があり、お互いの気持ちが通じ合っている時には、その脳の揺らぎが同期することが今年初めて分かったそうだ。このことは、江戸時代の寺子屋での論語などの素読をベースにした教育法が、生徒たちの脳の同期を促し、一体感を生むものだったことにつながる。斎藤氏はNHKの「にほんごであそぼ」に携わったとき、幼児も含め、子供たちには難しい言葉の意味が分からなくても面白がって次々に覚える、敢えてこちらが説明を加えなくても言葉の奥行に自然と興味を持ってくれることにとても関心を抱いたという。
イギリスやフランスでも文豪の著書を学校教育で暗唱する教育がなされているが、明治維新の原動力にもなった日本の暗唱文化が失われていることに両氏は警鐘を鳴らす。さらには家庭でも親が本を読まず、子供と食事をするときも親がスマホをいじったり、テレビを見たりしている現状を嘆く。幼少時代、母親からの読み聞かせで童話を全部暗誦できるまでになった川島氏は「それが自分の読書の原点」といいつつ、家庭と学校双方が、再度読書と素読の重要性を認識し、若い人たちのスマホ中毒の蔓延を双方が力を合わせて防ぐことが重要と訴える。ちなみに斎藤氏は著書「親子で読もう実語教」、「子供と声に出して読みたい童子教」(共に致知出版社刊)などを出版されている。これらは江戸時代の子供たちが使っていた素読の教科書で、企業から市町村や学校への寄贈も相次いでいるそうだ。

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”生きる“らしく生きる

多彩な経歴を経て、今、慶応義塾大学准教授で異言語・異文化コミュニケーションを基盤にした英語教育をしておられる長谷部葉子氏。24歳で帰国子女の経験を活かし「寺子屋」を開設。高卒ながら35歳で慶應義塾大学に入学、48歳で同大学専任教官となり、「寺子屋」経験に基づいて「長谷部研究会」を作り、約50名の学生を対象に現場での実践やフィー-ルドワークを重視しながら社会問題を学ぶ場を運営している。学ぶ場でのフィールドの一つである「コンゴ民主共和国での小学校の設立・運営」に関係して、ある時コンゴの大使から言われた言葉が長谷部氏の心の中で響き続けていると言う。
「コンゴに行くのであれば、人々がどんな生き方をしているのかを見てきてください。日本は豊かな国なのに、なんでこんなに自殺者が多いのですか。“死”は誰にでも平等に訪れます。“死”とは訪れたときに受け入れるもので、自ら選ぶものではありません。それがわからないというのはどういうことですか。」
日本という安全な国、豊かな国にいると「生」を与えられて生まれてきたこと、「生きること」の価値の素晴らしさに鈍感になる。命をいただいていることへの感謝が薄らいでいる。長谷部氏は、多くの人が生きることに最大の喜びをもって真剣に生きてほしい、そのためには、普段の生活、つまり食事や睡眠、暮らしに関するすべてにおいて喜怒哀楽をもって人と共感しあうことが「生きる」ことの醍醐味だと言う。そして研究会のテーマを「”生きる“らしく生きる(”生きる”は長谷部氏の造語で名詞として表現)」と掲げている。学生たちは言葉や文化の全く異なる現地の人と生活を共にし、生きることの厳しさと喜びを掴んでいく。
自殺大国と言われて久しい日本だが、特に若者の死因のトップが自殺というのは、先進7か国では日本だけという。テレビやゲームに熱中するのではなく、外に出て世の中を知り、人との接触・対話の中で生きることの喜びを知る場を提供する教育の役割は大きい。「“いま”“ここ”に真剣に向き合い自分の力で人生を切り開いていく、そういう人を一人でも多く育てるためにこれからも教育に力を注ぎたい」と長谷部氏は語る。(「致知2016.9」致知随想より)
ちなみに世界保健機関が毎年発表している「10万人当たりの年齢調整自殺数(2015)」は日本が17位(18.1人)、コンゴ民主共和国が67位(10.1人)となっている。

検証なき国は廃れる!?(日経)

「政治家と言う人種には“反省”と言う言葉がないのでは」と常々不思議に思っている。政治とカネの問題や、選挙違反で謝罪する事はあるが、自分の過去の失敗を認めると、選挙に響くから、明白な証拠がない社会的事象に関しては反省や総括の言葉は聞かない。企業においては、“失敗”は成長のエンジンであり、昨今企業の成長に必須と言われるイノベーティブな風土を創るために失敗を奨励する雰囲気まである(http://okinaka.jasipa.jp/archives/1865)。

自民党政権下で進めてきた原発に関しても、福島第二原発の大事故に関しての総括はまだ聞かない。4月24日の日経2面のコラム「風見鶏」に「検証亡き国は廃れる」との刺激的なタイトルの記事が目に留まった。その記事は、

「市場の競争にさらされる企業は失敗から教訓を学び、生かされなければ、廃れてしまう。国も同じだ。」

で始まる。当記事では、イラク戦争時の大量破壊兵器問題を論じ、英国は8年越しの検証を終え6月に結果を公表するのだと言う。誰が、何処で、なぜ間違った判断をしたのか?ブレア首相(当時)はじめ、当時の要人や軍幹部百数十人が尋問に応じたそうだ。「あの戦争は英国民に、英米同盟への強い懸念を植え付けてしまった。その後遺症は癒えていない。」と政府の元高官は自省する。英国には、失敗から学ぼうとする能力があるとする。

米国も01年の同時テロの教訓も含めて独立調査委で洗い出しそれぞれ約600ページの報告書を10年ほどかけて出した。日本と同様、攻撃に参加しなかったオランダも戦争を支持したことが正しかったかどうか調査し、約550ページの結果を発表している。

一方日本では、大量破壊兵器があると言う前提でイラク戦争支持を決めたその経緯に関して、民主党政権の要請で、支持を決めた経緯に関して外務省が調査し、4ページの要約を発表し「これ以上公表すると各国との信頼関係を損ないかねない情報がある」と説明した。

日本はなぜか、失敗を深く分析し、次につなげるのが苦手と言う。が、失敗を謙虚に反省につなげることで、企業も着実に成長していくことは著名な経営者が説くところだ。政治も同じく、外交、内政に関わらず時々の政策が正しかったかどうか、もっといい施策があったのかどうかの反省をすることで、将来の政権にも引き継げる知恵が出てくるのだと思う。時に第三者委員会を設けて検証することも有るが、結論ありきの委員会であることが多いように思う。当コラムでは、特定機密文書に関する情報監視審査会が第三者的検証を行えるかどうかの今後の試金石と言っている。が、「政府側は19万点の文書の件名もすべてを明かそうとしない」(審査会メンバー談)。

東北地方太平洋沖地震から9ヵ月後の12月、福島第一原発事故の根本的な原因を調査するために、国会に調査委員会が設置された。「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(通称「国会事故調」)。国民の代表である国会(立法府)に、行政府から独立し、国政調査権を背景に法的調査権を付与された、民間人からなる調査委員会が設置されたのは、我が国の憲政史上初めてのこと。その委員長の黒川清氏が、600ページにわたる報告書をまとめた。「規制の虜に陥った「人災」であると明確に結論付けた。「規制の虜」とは、規制する側(経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会など)が、規制される側(東京電力などの電力会社)に取り込まれ、本来の役割を果たさなくなってしまうことを意味する。その結果、「日本の原発ではシビアアクシデント(過酷事故)は起こらない」という虚構が罷り通ることになったのだ。米国が9・11テロ対策として、原発で起こった場合の防御策(電源喪失問題など)を二度日本にも伝えたが日本側は何の対策も取らなかったと言う。報告書での提言も、国会で全く議論されることなく、原発再稼働、原発輸出の道を突っ走る状況について警告を発する意味で本を出版された。「規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす」(講談社、2016.3)だ。読んでみたいと思っている。

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