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マカオ旅行記(香港経由)

3月初めに3泊4日の軽い旅で、香港経由マカオに行ってきました。亜熱帯気候で日本よりずっと暖かいと思っていたが、ある1日、最高温度が14度と言う寒さに驚いた。マカオでは、ホテルの部屋やバスの車内でも、湿気防止の意味合いから暖房は出来ず(バスでは窓の曇り防止のため)、少し肌寒さを覚えながらの観光だった。香港からはターボジェット船で1時間で行ける。今、香港と橋でつなぐ工事が進行中で、3年後にはつながるそうだ。

マカオにポルトガル人が渡来したのが16世紀初め、その後、アヘン戦争で大英帝国が香港を獲得した(1842年)のを契機にポルトガルもマカオを植民地とした(1887年)。また、1977年に香港を中国に返還したのと合わせて1999年にマカオも中国の特別行政区となった。
マカオはカジノで有名だが、カジノで1日450億円、1年で10兆円の収入があるという。一人当たりGDPでも世界で4位(日本は22位)とか。収入の35%が税金として国に入る。このビジネスモデルに注目して日本から政治家など視察に来る人が多いそうだ(これが日本へのカジノ導入のきっかけらしいが、客は中国人の富裕層で9割以上を占めるとか。日本のカジノで中国人をどれだけ集客できるかがポイントになりそう)。ともかく、土地の価格、マンション価格が暴騰している中でも、ホテルや香港への橋など、建設ラッシュが続いている。「日本の企業の進出は?」と問うと「あまりにも地価などが高すぎて日本の企業には手が届かないようだ」との答え。世界各国で韓国や日本の企業の看板が目立つが、マカオではカジノへの投資会社である「ラスベガス・サンズ」の看板が目につく程度だ。我々が宿泊した「ベネチアン・マカオ・リゾートホテル」もサンズグループの経営で、10年前に建てられ、世界最大のカジノリゾートらしい。東京ドーム1個分の広さで、バカラが800台、スロットは6000基あるという(残念ながらカジノフロアは撮影禁止)。

ともかくこのカジノ税で財政は潤い、消費税はなし、10歳以下の子供の送迎義務化とその補助、子供の昼食費(学校では食事はせず、昼も家に帰って食事)の補助、時には所得税の60%還付など、社会保障や人材育成に金をつぎ込み、家賃の高さ以外は住みやすい街だ。20年前に訪れた人は香港に劣らない街の変化に驚く。
日本との関係が深かったのは戦国時代から徳川幕府にかけての16世紀から17世紀の時代で、長崎貿易に見る南蛮貿易と、キリスト教の布教と弾圧におけるマカオとの深い関係だ。貿易では、世界の20%を占める日本の銀の産出量(特に石見銀山)に目を付けた中国、西洋との貿易の振興や、天正遣欧少年使節団(1582年)のポルトガル国王との謁見などに見る西洋文化との交流の仲介に大きな役割を果たした。
マカオを拠点に16世紀中ごろからキリスト教の布教に尽力したフランシスコ・ザビエルが有名(死後、弾劾が厳しい日本では叶わずマカオの「聖ヨセフ修道院及び聖堂」に祀っている)。その後の弾圧で非業の死を遂げた日本人キリスタンがマカオに送られ祀られている、「聖ポール天主堂跡地」(日本も建築に協力)では、その悲惨さが思いしのばれる。


天主堂の近くにある「聖ドミニカ教会」、また先には、世界遺産「マカオ歴史地区」の一つ「セドナ広場」がある。パステルカラーの建物と、波形模様の西洋的な石畳が特徴的だ。その一角に、アジア初の慈善施設「仁慈堂」がある。航海で亡くなった孤児など救う中国で最も古い西洋式の病院でもあり、孤児院や精神病院なども併設していたそうだ(1587年)。

世界一の高さ(233m)からのバンジージャンプで有名なマカオタワー。338mの高さで当時は東京タワー(333m)を抜く世界一を目論んだがスカイツリーに抜かれた(2001年オープン)。マカオ全域と隣接する中国も見渡せる。展望台にはガラス歩道や外を歩くスカイウォークなどもある。見ているだけで足がすくむ。

 

マカオはカジノの国とのイメージしかなかったが、南蛮貿易(坂本龍馬の亀山社中設立にも南蛮貿易の利益が貢献)やキリスト教の関連での日本との関係がいまだに色濃く残っている歴史地区の説明を聞き、日本の文明開化に大きな影響を与えたことが実感できた。タバコ、ズボン、テンプラなどポルトガル語に起因する日本語も多い