いままさにオリンピック競技がまっさかりで、寝不足の方も多いだろう。期待された柔道・水泳で残念ながら金メダルがとれず、ロンドンの地で国歌‘君が代’がまだ聞けていない(サッカー試合前の国歌演奏はあるが・・・)。この国歌を日本人の皆さんはどのように聞いているだろう。日の丸と同じく軍国主義の象徴にように言われて、教育の場でもあちこちで未だに揉めている実態もあるが、実は‘君が代’は1200年以上も前から庶民に歌い継がれてきたものと言うのは、作家長部日出雄氏だ(致知2010.8号 「君が代に込められた日本人の思い」より)。戦前は「皇国少年」と化していた長部氏は、戦後の教育によって日本の歴史を否定する教育の影響で何事に対しても反権威、反伝統、反体制の立場をとり、高校3年の伊勢神宮への卒業旅行も忌避するほど筋金入りの反体制派だったそうだ。それが還暦を過ぎて、伊勢神宮を訪ねて、その簡素な建築と聳え立つ木々との調和に日本文化の神髄を見て、自らの歴史観、国家観、天皇観のコペルニクス的転回を遂げたそうだ。
‘君が代’の起源は古今和歌集の賀歌(祝賀の際に歌う歌)の部のはじめに「題知らず、よみ人知らず」として掲げられた次の歌であるという。
我君はちよにやちよにさざれいしの巌と成て苔のむすまで
「よみ人知らず」というのは、古今和歌集が編纂されるずっと前から人々の間に歌い継がれてきたわけで、ざっと1200年ぐらい前の歌と考えられると長部氏は言う。これが江戸時代に入って流行り歌「隆達節」の
君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで
という歌詞になり、「君」は婚礼では新郎を指すなど、祝賀の宴の主賓に向けられた寿歌(ほぎうた)として広く庶民に謳われてきた。薩摩の琵琶歌「蓬莱曲」の中にも取り入れられている。そして明治2年、イギリスの軍楽隊長の「諸外国には国歌というものがある。日本にも必要」との進言を受けて薩摩藩砲兵隊長の大山巌が、庶民に歌い継がれてきた歌として「君が代」の歌詞を選定したとのこと。
「君」を天皇を指すものとしても、明治天皇の数ある民の平穏を祈る御製に見る無私の祈り、また直近の今上天皇の東日本大震災の時の被災者を勇気づける幾多の行動、お言葉に見る真に国民を思うお心に対し、天皇の限りない長寿を祈願することで、そのまま我々国民の無事と繁栄が果てしなく続くことへの祈りを意味するものとも考えられる。庶民の天皇の御心に対する返礼と考えてもいい。
長部氏も、天皇や国家に対する考え方が変わって以来、「君が代」の奥深い響きに接するたび、身が引き締まるような粛然とした感動を覚えるようになったと言う。日本人の自信と誇りを持って、‘君が代’をオリンピックの場で数多く聴くことが出来るよう、選手の皆さんに頑張ってほしい。