錦秋の信濃路、越後路を満喫(その1)

28日ー30日紅葉を求めて、信濃路~越後路へ行ってきた。高地では少し峠を過ぎたとは言え、名勝地を訪れる道すがらの、全山黄色、赤色に燃える光景は圧巻だった。当ブログでも紹介した北海道黒岳、旭岳(http://jasipa.jp/blog-entry/6844)もすばらしかったが、見渡す限りの山々が紅葉に染まる光景は初めての経験だった。

高瀬渓谷(大町)

まず長野県大町市にある、高瀬ダムを訪れた。高瀬川にかかる大町ダム、七倉ダムを経由しながら高瀬ダムに到着する。高瀬ダムと七倉ダムは、湖底から出た石を積み上げて作った珍しいロックフェル型ダムで、特に高瀬ダムは176メートルの高さがあり、日本一のロックフェル型ダムだそうだ。七倉ダムから高瀬ダムへは大型バスは入れず専用のタクシーで行くことになる。歩いている人もいたが、徒歩1時間半の工程だ。時折雨が降るあいにくの天気だったが、タクシーの運転手曰く「今日のお客さんは恵まれている。これだけの紅葉が見られるのは珍しい」と。確かに、バス、タクシーの車窓から見る紅葉は、乗客の皆さんが歓声をあげるほどのすばらしさだ。カメラ技術不足で、あまり上手に取れていないが、その一端を紹介する。3枚目は、高瀬渓谷のつり橋からとった光景だ。1枚目は高瀬渓谷に行く途中の車窓写真。

鏡池(戸隠)

大糸線の神城から白馬大池まで乗ったが、晴れておれば既に雪が降った北アルプスの絶景ポイントらしいが、残念ながら見られなかった。翌日は、戸隠高原の鏡池がすばらしかった。時折陽がさすと、背景の山々の紅葉が美しく映え、湖面に映る木々と合わせて素晴らしい光景が見える。当日は曇ったり、晴れたりで、タイミングを取るのが難しく、その一端しか紹介できないのが残念だ。

戸隠神社、秋山郷、そして新潟県の八海山、奥只見湖を訪ねたが次回紹介することとする。

第7回JASIPA経営者サロン実施(10月25日)

今回は、第一部にJASIPA関西支部長杉本浩氏(スキルインフォメーション㈱社長)に登場いただき、いろんな事業に積極的に挑戦され、自社ビルまで持たれた成功体験をお話しいただいた。いわゆる派遣事業を主体とする「ソフトハウス」事業はますます厳しくなってきているが、その時々の環境を考えチャレンジされてきた杉本氏から頂いたテーマは「ポスト・ソフトハウス経営」だった。

組み込みソフトをコア技術として、若干24歳で元同僚と3人で起業されたのが1986年。その後、事業の成長と安定を考慮し、事業の柱を複数作ることを目指し、医療関連に進出。そのきっかけになったのが、IPAの公募プロジェクトに採択され開発した医療パッケージ。しかし、社としての知見不足で苦労し、医療関連ソフトの得意な企業のM&Aや、医療業界と接点の多い医療品卸、販売企業との業務提携を行い、医療関係を一つの柱とすることに成功。フォント事業に関しても、今ではドバイからアラビア語のフォント依頼が来るまでに成長。事業のポートフォリオとして3本柱が出来、事業の安定性が格段に増したと杉本氏は言う。途中紆余曲折も経験され、ツールベンダー華やかなりし時、手を出したが、ダメと見るや素早く撤退。

「ポスト・ソフトハウス経営」として、新たな事業に進出するにしても、やはりお客様から認められている技術をコアにしつつ、官学も含めた人脈を大切にすることによって、新たな事業を発掘する。そして新たな事業を進めるにも、自社でのノウハウがない場合は、人脈を通じてノウハウを補強するための施策(M&A,業務提携など)を打つ。医療関係の学会に、大学の先生の論文作成をお手伝いし、共著として発表し、そのブランドで北海道大学病院から声がかかり、お客様となって頂いたとの話もされた。フォント事業でもJETROとの人脈でドバイにつながったそうだ。

第二部は、「何を持って競合他社との差別化を図るか」とのテーマで、討議資料を用意したが、第一部の杉本氏から、事業の要諦を引き出すことが、当テーマの神髄でもあり、杉本氏との議論にかなりの時間を割くことになった。ガートナーが「事業の成長を目指すプロセスは①既存事業の拡大(既存商品&既存顧客)→②機会の拡大(既存商品&新規顧客)→新規事業の開発(新規商品)というのが、成長と安定のバランスのとれたプロセスだ」と言う。自らにノウハウも技術もない分野に行くのは、挑戦というより「無謀」と言うのだろう。杉本氏も紆余曲折を経験されているが、その経験を活かした新たな事業の創出方法は「ポスト・ソフトハウス」を検討する上で大いに参考になる話と思う。

今回は杉本氏含めて参加者は9名だった。次回は11月21日(水)開催予定です。

リーダーの自己観照

いつも紹介していますPHP Business Review「松下幸之助塾2021.11.12号」の特集テーマが「リーダーの自己観照」だ。冒頭記事に“松下幸之助が心がけた素直な心で自己観照”のテーマ説明記事がある。

松下幸之助は、失敗する経営者の特徴として、自分の適性や力を正しく認識していないことを挙げている。自己観照が必要なのだ。松下幸之助の言う自己観照とは、自分の心をいったん外に出し、その出した心で自分を見直してみることである。つまり、あたかも他人に接するような態度で、客観的に自分を観察することだ。そんなことができるのか。経営者あるいはリーダーなら、たとえ難しくても、しなければならないことだと言う。

本文では、松下氏が昭和39年に、それまで相当つぎ込み、実業化近しと思われていたコンピューター事業からの撤退を決断した時の話が載っている。当時松下含め7社が、コンピューター事業をやろうとしていたが、多すぎて共倒れになるとの判断だったが、当時は好ましくない批判に晒された。その後コンピューター事業は伸び悩んで再編が起こり、松下幸之助の判断は賢明だったとの評価を得たと言う。撤退判断と言う思い決断の時、まさに自分自身を客観的に見るため、意地になることなく素直な心で自己観照に努め、自分の判断の正しさを確信していたそうだ。

「自分の力とか適性が分からなければ、他社や人の言う事、することが気になる。他社がいいところにビルを借りたり、たくさんの人を採用して成長したりしたら、それをまねて大失敗することが往々にして起こる。」と松下幸之助は言う。「自分の事は自分は自分が一番知っている」とよく言うが、自分の考えや行いがはたして独善ではなく、道理にかなっているのかどうか、社会的に正しいかどうか、人情の機微に適したものかどうかを評価する段になると別。人間というのは、どうしても自分中心に、自己本位に物事を考えがちで、他人から見たらずいぶんおかしいことでも一生懸命に考え、それを正しいと信じている場合が多いのではなかろうかと記事編集者は指摘する。しかし、自己観照を自ら実施するのも限界がある。「みずから自己観照するということは、よほどの達人、名人ともならなければできない。けれども、自分というものはどんな格好をしているか、どんな長所や短所があるかということは、自分の友人なり、自分の先輩なりに観照してもらったならば、私は良くわかると思うんです」と松下幸之助氏はある講演会で言っている。

本田宗一郎氏には藤澤武夫氏という相棒、井深大氏には盛田昭夫氏という相棒がいたというのは、理想的な経営スタイルと思える。稲盛氏は、第二電電を起こす決断をしたとき、「動機善なりや、私心なかりしか」と自問自答したと聞く。経営者、リーダーは常に謙虚に自分を振り返り、素直に耳を貸す姿勢が、経営の安定化に必須と言う事だろう。

今回の号には、小林陽太郎氏や、齋藤孝氏などの記事もある。追々紹介したい。