フランス旅行~その6~オペラ座

2007年に海老蔵、團十郎が「勧進帳」などを演じたフランスの“オペラ座ガルニエ”。昨夜は、このオペラ座から歩いて10分ほどのラ・ファイエット通りに面したホテルに宿泊し、当日は徒歩でオペラ座とルーブル美術館に行った。フランスには、このオペラ・ガルニエとオペラ・バスティーユという二つのオペラ座がある。オペラ・ガルニエは、ナポレオン3世の命によりバロック様式で1875年に完成(ガルニエは設計者の名前)。オペラ・バスチーユはガルニエ建設100周年、フランス革命200周年記念で1989年に建立。現在はガルニエはバレー、バスティーユがオペラと棲み分けられている。今回はガルニエの内部見学だ。「オペラ座の怪人」の舞台であったことでも有名だ。とにかくきらびやかで華やかなオペラ座の外観。頂上の両端には、芸術の神ミューズの金の彫刻がまぶしく輝いている。入り口には設計者ガルニエの像。正面右には、はオルセー美術館に展示されているカルポー作のコピーである彫刻「ダンス」が飾られている。

中に入ると、まず、2200席の観客席の模型が飾られている。今日は舞台と観客席の見学が可能らしい。見学可能な日は幸運だと言われる。舞台があるときなどは入れない。

エントランスでは、3又に分かれた大理石の大階段、柱、シャンデリア、そして天井には太陽神アポロンのフレスコ画、まさにパリの社交場にふさわしい豪華さ。その階段を上がった先の、前ロビーと呼ばれる幕間に観客が飲食できるサロン、大理石の床の幾何学模様もすばらしい。

そしてベルサイユ宮殿の鏡の間にもひけをとらない中央ロビー。グラン・フォワイエ(大ロビー)は、高さ18m、長さ58m、幅13m。きらびやかな金の装飾の間にちりばめられたいくつもの美しくて繊細なシャンデリアと天井画が豪華だ。 その外側のバルコニーからは、オペラ大通りとその奥にあるルーブル美術館まで一望することができる。

 

さて、いよいよ舞台と観客席に入る。2200席を数える客席は赤いベルベットで覆われ、その頭上に広がるのは、1964年にシャガールが手がけた大きな天井画「夢の花束」、そして7トンもの重さがある大シャンデリア。オペラ・ガルニエ最大の見どころです。

 

その他重厚な造りの図書館や、オペラ・ガルニエに関する資料が展示されている美術館など、バレーファンなどにとって興味の惹かれる部屋も見学できます。

フランス旅行~その5~オルセー美術館

ベルサイユ訪問後パリに向かい、19世紀美術専門の“オルセー美術館”を訪れる。1900年のパリ万博時に誕生したオルセー駅の駅舎を整備し美術館として開館した。印象派を中心に19世紀中ごろから20世紀初頭までの作品を所蔵している(明日訪問する“ルーブル美術館は18世紀以前の作品を所蔵)。オルセー美術館名物のオルセー駅名残りの大時計(1900年パリ万博時誕生)が有名だ。構内には駅舎の模型があった。入場口近くの彫刻の広場も駅舎を感じさせる光景だ。

マネ、モネ、ルノワール、ドガなど、日本人にも馴染み深い作品が多い。まずマネの作品を紹介する。「草上のピクニック」と「オランピア」。裸婦は女神になぞらえるのが常識の時に普通の裸婦、そして娼婦と、最初は世間から受け入れられなかったそうだ。

次にモネの作品。1日目に訪問したジベルニーの「睡蓮の池」と「庭」、そして妻と息子を描いた「ひなげし畑」。「傘をさす女」の右向きと左向きの絵も有名だ。

ルノアールの「日の当たる女の上半身」、モンマルトルで写生したとされる「ムーラン・ド・ウ・ギャレット」、庶民のささやかな幸せを描いた「ブランコ」、しゃれたドレスで華奢な女性の「都会のダンス」とちょっと太り気味の女性の「田舎のダンス」、対比が面白い。

ドガの「青い踊り子たち」、セザンヌの「りんご」、ミレーの「晩鐘」、カバネルの「ヴィーナスの誕生」、壺から流れる透きとおった水が印象的なアングルの「泉」など。

彫刻では、ブールデルの「弓を引くヘラクレス」、オペラ座の玄関アーチにもあるかカルポー作の有名な「舞踊」(ダンス)、とオルセー美術館名物のポンポン作の「白くま君」など。

次に紹介する“ルーブル美術館でもそうだが、有名な美術作品を目の当たりにすると、作者の見事な筆使いや息遣いを直接肌で感じることが出来、感動する。

フランス旅行~その4~ベルサイユ宮殿

今日は、パリ南西部のベルサイユ宮殿訪問。ルイ14世がその権力、支配力を誇示するために日本の江戸時代前半にあたる16611710年に構築した、庭園も含めると敷地の総面積約800万㎡という広大な宮殿だ。エントランスでは多くの人が入場を待っている。マリーアントワネットが、ルイ15世の孫で後のルイ16世となる王太子のルイ・オーギュストと結婚式を挙げたのもこの宮殿の“礼拝堂”だ。婚礼舞踏会を開いたのが、宮殿で最も有名な”鏡の間“。左が367枚の鏡の壁で、天井画もルイ14世が直接統治する絶対王政をテーマにしたものらしく、すばらしく豪華絢爛そのもの。この部屋で第一次世界大戦時、帝政ドイツ帝国の終焉を告げる「ベルサイユ条約」を締結したのがこの部屋だ(1919年)。右側にはグランカナル(大運河)が窓を通して正面に見える。

 

宮殿には鏡の間を含めて17個ほどの部屋がある。どれも豪華な部屋ばかりだが、その一部を紹介する。礼拝堂の隣の“ヘラクレスの間”は、ヴェネチア共和国から送られたヴェロネーゼ作『パリサイ人シモンの家の宴』(壁の絵)を飾るために作られた。天井画はフランソワ・ルモワアンヌ『ヘラクレスの神格化』空の青とヘラクレスの姿が美しい画だ。次は“ヴィーナスの間”。この部屋は正殿で夜会が行われる時、軽食をとる部屋として使われたそうだ。天井画はこの部屋の名前の由来になった『神々と超大国を従わせるヴィーナス』の絵が描かれている。次の写真はローマ皇帝姿のルイ14世。

次が“マルスの間”。衛兵の詰め所だが、ルイ16世のお妃マリー・レクザンスカの肖像画がある。“アポロンの間”には玉座が置かれ、接見にも利用された。リゴー作のルイ14世の肖像画があり、天井にはシャルル・ド・ラフォス作『太陽の戦車』。次は“戦争の間”、これはオランダ戦争の勝利をテーマに作成され、その時のルイ14世の像がある。この像は、漫画「ベルサイユのばら」で出てきたオスカルの肖像画のモデルとなったことでも有名だとか。

鏡の間を経て、“閣議の部屋”に行く。次が“王の寝室”。王の起床の際、毎日1時間半の儀式が行われるとの事。本日着る服の選定など、配下の貴族が執り行う由。大変なことだ。“王の寝室の横に”貴族の間“や”衛兵の詰め所“がある。

「朕は国家なり」、ルイ14世が世界に覇を唱えるためにフランスが傾くほどの財を投入して作らせた宮殿で、今回見学できなかったが庭園もすばらしいそうだ。東京ドーム220個分以上あるという(当時はその10倍もあったというから驚く)。ルイ14世の狙い通り、ベルサイユ宮殿の影響を受けた宮殿は、ドイツ(サンスーシ宮殿など)、オーストリア(シェーンブルン宮殿)、スウェーデン(ドロットニングホルム宮殿)、ロシア(ペテルゴフ宮殿など)など世界に及ぶ。次は“オルセー美術館”だ。