「日本人の誇り2」カテゴリーアーカイブ

自分の強みを把握することの難しさ?!

先日伊勢神宮の式年遷宮のテレビ番組の中で、「日本の建築の素晴らしさを世界にアピールしたのは、ドイツ人のブルーノ・タウトだ」との説明があった。ブルーノ・タウトはドイツを追われ、1933年日本に亡命。日本には3年ほどしかいなかったが、その間に、桂離宮、白川郷、伊勢神宮に関して、「パルテノン宮殿に匹敵する建造物」「天から降ってきたようなこれらの建築物は、世界の王座である」と絶賛したと言う。それで日本の建築家は、そのすばらしさに気付いた。

25日の朝日新聞「未来を拓く“森のミクス”」の記事の中で、米沢市で開かれた「国民参加の森林(もり)づくり」シンポジウムの基調講演をされた椎名誠氏の言葉が掲載されている。「日本が緑に囲まれた国であることは、中からは分からない。北極圏に住んでいるエスキモーは、昔も今もアザラシなどの生肉を食べている。焼いて食おうにも、高緯度になると森林限界を過ぎて木が生えていない。」と。モンゴルでも木があまりなく牛の糞を乾燥させて燃料にしていることや、木がないところでは火葬にできず、北極圏では海に流し、チベットでは鳥葬、モンゴルでは風葬、つまり野ざらしだと言う。自然に恵まれた日本の良さを認識し、森を守り、生かすことを全国レベルで考えるべきだと訴える。

事業戦略を立てる場合、自社の強み、弱みなど(SWOT分析)の把握が必須だ。しかし、これが自社だけでやるのは難しい。競合他社など外の世界を知らずして、強み、弱みを知ることは出来ないのだ。第三者的視点で見つめ直さないと分からない。安倍総理も言っているが、日本文化を日本人は当たり前と思っているが、外国人が日本文化に接すると、その良さに感動する(財布を落としても戻ってくる!)。したがって事業戦略を立てる上でも、如何に外の世界を知るかが非常に重要となる。私も、例として、ソニーのデジカメの話をよくする。古い話で恐縮だが、日経ビジネス2002.3.18の特集で、ソニーのデジカメのアフターフォローに関する顧客満足度が最低との記事が出たが、翌年№1になったそうだ。日経ビジネスのお蔭で、自らのデジカメのアフターフォローの世間の評価が認識でき、対策を打つことが出来たと言うことだと思う。上の例でも、ブルーノ・タウトという世界の建築を理解している人が日本に来たから、その良さに気付くことが出来、また椎名さんという世界の実情に詳しい方がいたからこそ、日本の良さをアピールできたと言う事ではないだろうか?

自社の強み、個人の強みを知るためには、積極的に外の世界と交流し、自社を、自分を“素直”に見つめ直すことが必須ではないかと思う。JASIPAなどの集まりに参加することで、他社との人脈を広げる機会を得ることも、その意味では大いに意味あることと思う。普段当たり前と思っていることが、意外とそうではなく、自分の強みだと分かれば、大きなエネルギーに変わり、大きな生きがいにもなる。

親日国台湾の方から言われた言葉

「海外での日本の評価は、私たちが想像する以上に高い。それは海を越えた異郷の地で活躍した先人たちの功績に負うところも大きいが、いまの学校教育ではその貴重な事実がほとんど語られていない。台湾のインフラ整備で多大な功績を遺した八田與一もその一人である」との前文で始まる「台湾の近代化に尽くした土木技師―八田與一」の記事が「致知2013.3」に掲載されている。昭和56年に文部省海外派遣教師として台湾に派遣された時、初めて八田氏の業績を知り、現在「八田技師夫婦を慕い台湾と友好の会」顧問をされている古川勝三氏の記事だ。八田與一氏に関しては当ブログ(http://jasipa.jp/blog-entry/8285)でも紹介しているので省くが、古川氏が八田氏の事跡を取材中に台湾の方から言われた言葉が印象的だったため、今回紹介することとした(実は今朝のFBで「致知出版社」がこの言葉を紹介しており、読み返すことになった)。

「古川さん、あなたは日本人だから“日本精神”を持っていますよね。日本精神を持っているあなたがた日本人を、私たち台湾人は心から尊敬しています」と。その時、古川氏は“日本精神”の意味が分からなかったが、台湾人に教えてもらったそうだ。

日本精神とは、
嘘をつかず、
不正なお金を受け取らず、
己の失敗を他人のせいにせず、
卑怯なことをせず、
己のやるべき仕事に全力を尽くす

古川氏は、私たち日本人はいま、この言葉に恥じない生き方をしているだろうかと問題提起する。古川氏は、自虐的な戦後教育(マスコミも含めて)の問題に義憤を覚え、多忙な教職の傍らで、八田氏の足跡を綴り「台湾を愛した日本人―土木技師 八田與一の生涯」(創風社出版)を結実させ、日本人の誇りを子供たちに教え、普及させる活動を展開されている。かって、貧しくとも誇りを持って公のために生きていた日本人の姿こそが、今日も全世界の人々に求められている気がしてならないと締めくくる。

いままさに、“教育再生”が政治の課題として議論されている。日本人の誇りを取り戻す教育の再来を期待したい。

「たのしみは・・・」で始まる独楽吟(橘曙覧)

エニアグラムで有名なシスターで文学博士の鈴木秀子氏が「致知」の連載記事「人生を照らす言葉」で紹介されている(2013.5号)のが幕末の歌人で国学者の橘曙覧(あけみ)だ。平成六年に、天皇皇后両陛下が訪米された際、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチの締めくくりに「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用して、「日米両国民の友好の心の中に、一日一日新たな日とともに、確実に新しい花が咲くことを期待する」と述べたことで再び脚光を浴びた歌人だ。また、彼の死後明治になって32年、正岡子規は源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛したと言う。その作品に「独楽吟」という歌がある。

その歌は「楽しみは」で始まる短歌だが、読んでみると、日常のさりげない出来事の中に楽しみや、喜び、感動を見出す歌で、鈴木氏は「人生を幸せに生きる大切なヒントを与えてくれる」と言う。いくつかの歌を紹介する。

たのしみは 3人の児ども すくすくと おおきくなれる 姿見る時
たのしみは 空暖かに うち晴れし 春秋の日に 出てありく時
たのしみは 心をおかぬ 友どち(友達)と 笑ひかたりて 腹をよるとき
たのしみは まれに魚煮て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時
たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かえりけるとき

「曙覧は「清貧の歌人」と呼ばれている。その生き方は貧富と言う概念すら超え、貧しさそのものを味わっていたようにも思える。彼は凡人が見過ごしてしまいそうな何気ない日常に贅沢を見つけ出す達人でした。それはモノの豊かさでは推し量れない心の豊かさを楽しむことであった」と鈴木氏は言う。さらに『忙しい日常に振り回されていると、なかなか意識することができませんが、いま「当たり前」のように目の前に繰り広げられている現実は本当は大変な奇跡です。その命を生かしてご飯を食べ、歯を磨けることも、家族団欒を持てることも、通勤・通学できることも。』日々感謝の気持ちを持って過ごすことの大切さが、曙覧の歌を詠むと蘇って来る。

私も短歌は初めてであるが、挑戦してみた。恥ずかしながら披露する。

たのしみは 毎日ジムで 目いっぱい 汗かいたあと 汗ながすとき
たのしみは アンテナ高く ブログネタ 探してアップ コメントある時
たのしみは 人と人との 絆にあふる NPOの あつまりの時(JASIPA)
たのしみは そぞろ歩く みちばたで ひそかに咲く花 見つけしとき

日常の感動や、ささいな楽しみを思い出すために、「たのしみは・・・」と、まずは始めると面白いかも・・・。駄作でも、鈴木氏の言う「心豊かな生活を送る一つのアイディア」であることを実感できた。