「トイレ掃除で業績を上げる」とトイレ掃除を世界的な社会運動にまで高めたイエローハット創業者の鍵山秀三郎氏が今年1月2日91歳で亡くなられた。人間学を学ぶ月刊誌「致知5月号」に鍵山さんのご子息鍵山幸一郎氏と、鍵山氏と親交の深かった東海神栄電子工業会長の田中義人氏、松下政経塾の塾長もやられた上申晃氏の対談記事があり、あらためて鍵山氏のすごさを認識できた。
上申氏の話として、松下幸之助は松下政経塾の塾生に「立派な指導者になるための第1歩は、身の回りの掃除をしっかりやることや」と諭したが、塾生は納得するどころか、反発し、やればやるほど塾生との関係が悪くなったと言う。そんな時に鍵山さんを紹介され、話を聞きに行ったそうだ。鍵山さんの苦労話を聞き、松下幸之助が言いたかったのは、「知識や技術は道具にしか過ぎず、それを使う人が立派な人間にならない限りどんなに優れた知識、技術を身に着けても本当の意味で生きてこないと言うこと」と気づくことになったと言う。鍵山さんが始めたカー用品業界は、社員も荒んでおり、いくら注意しても言うことを聞かない。その時職場環境をきれいにすれば社員も落ち着くのではと掃除を始めたそうだ。鍵山氏自ら早朝に出社し、一人で黙々と10年黙ってやり続けた結果、手伝う社員も増え、20年経って全社的な活動になると共に業績も上昇したそうだ。
田中氏も、バブル崩壊の頃、このまま経済一辺倒の生き方を続けていてはダメだとの危機感から、素晴らしい生き方をされている方の話を聞く場「20世紀クラブ」を地元恵那で立ち上げ、その場に鍵山氏をお呼びし話を聞かれたそうだ。その時「私は30年間トイレ掃除を続けてきました。そのお陰で人生も会社も大きく変わりました」と当時年商500億円を超える大社長の話に共感を覚え、近くの神社のトイレ掃除をはじめたところ、その神社が地元の人による社殿立て直しにつながり、参拝者の増加にもつながったそうだ。会社でも取り入れたところ、業績も黒字転換したそうだ。この縁で、「日本を楽しくする会」を立ち上げた所、掃除の運動が全国に広がり、さらにブラジル、台湾、中国、ルーマニア、イタリア、ハンガリーと世界へも展開されたという。田中氏曰く鍵山氏は「とにかく人が喜ぶこと、相手に負荷をかけないことに人一倍気を遣われた凡事徹底の人」と言う。
ご子息が言うには、「タクシーに乗ればチップを必ず渡す、チップを渡せば運転手は喜んでお客さんを大切にし、安全運転をしてくれる」、また生涯8万5千枚のはがきを出会った人に出されていたとか、10万枚を目標にされていたそうだが、脳梗塞で達成できなかったことを後悔されていたそうだ。
鍵山氏の薫陶を受けられた上申氏は、塾生やご縁をもった方に感動をお裾分けをするために「デイリーメッセージ」の発信をほぼ32年間1日も欠かさず続けられている。ご子息もイエローハット社長退任後、父の教えを広めるために、山口県で「朴(ほう)の森 鍵山記念館」を運営され、勉強に来る方と共にトイレ掃除もやっておられるとの事。今幼稚園を創る準備もされており、活動を通じて誰にでもできる良いことを躊躇なくできる人を増やしたいと意気込んでおられる。上申氏によると、松下政経塾卒の国会議員が党派を超えて「国会掃除の会」を立ち上げ国会のトイレ掃除をやっているとの事。各人の「凡事徹底」が日本を創る、このことが、生前鍵山氏の薫陶を受けた多くの方々により、ますます広がっていくことを期待したい。最後に鍵山氏が初めて会った田中氏にコースターの裏に書かれた言葉を紹介する。
「人間としてもっとも意義のあることは、人の人生を善(よ)くしてあげること」。