夫婦円満の秘訣(ベスト・パートナーになるために)

以前NHKの「家庭内別居スペシャル」の番組を紹介(http://okinaka.jasipa.jp/archives/1509)し、自省の弁を述べた。今回紹介するのは、「ベストパートナーになるために~男は火星から、女は金星からやってきた~」(ジョン・グレイ著、大島渚訳、三笠書房、2013.7)の本だ。この本での指摘が、我が家のコミュニケーションのすれ違いの原因として、面白いほど納得性があることから、その一部を皆様にも紹介することにしたい(ただし、我が家には当てはまるが、男女の違いに関して普遍性があるとは思わないことは言っておきたい)。”男性“を私、”女性“を家内と読み替えて頂きたい。

女性がストレスや心に不安定さを覚え、男性にそのストレスをぶつけた時、男性の反応にさらに落ち込んだり怒らせたりするのはなぜ?→→こんな時、女性は親しい人の愛情が欲しくて、自分が決して孤独な存在ではないと確信したい。相手からの同情、理解、慰めを強く求める。男性はその心理に気付かず、むしろ女性の事を気遣うが故に、そっと一人にしておいてあげるべきと考えたり、あるいは問題解決してあげればいいと、性急に解決策を示して女性を追い込むことになりやすい。

たまったストレスの対処方法が、男性と女性では違う→→男性は自分の心の穴に閉じこもり、問題解決することに全神経を集中させる。そのため、相方の女性への気遣いがおろそかになる。一方、女性は自分の感情について思いっきり話したくなる。ひとたび話し始めると問題の重要性に関係なく、ただアトランダムに様々なことについて自分の感情をぶちまける。問題の解決をしたいのではなく、自分の感情を相手に理解してもらい、自分なりに救われた気持を得ることを優先する。パートナーに自分の、話に耳を傾けてくれた、理解してもらえたと実感できたことでストレスは一気に解消する。

男性は女性のひと言を”誤解“している→→例えば「あなたは私の話を少しも聞いてくれない」と言う言葉を彼女は「少しも」と言う言葉を文字どおりに解釈してほしいとは望んでいない。「少しも」とか「絶対に」と言う言葉を使うのは、彼女のフラストレーションの度合いを表現している。すなわち女性は自分の感情を目いっぱいに表現する。一方、男性はその言葉を聞いたとおりに解釈してしまうため、行き違いを生じさせる。

”大きな贈り物“と”小さな気遣い“は女性にとっての価値は同じ?→→とかく男性は”一点豪華主義“の愛情表現だけで安心し、女性が本当に望んでいる”小さな幸せ“を積み重ねる努力を怠ってしまう。女性には”愛情タンク“があり、ガス欠にならないよう小さな愛情でもいいから頻度を多く、常に”満タン“状態に保つことがベストパートナーになる秘訣だ。

家内とのやりとりで、コミュニケーションが上手くいかないケースも多いが、上記の事が、我が夫婦の事を言っているのかと思うほど、当てはまるのに驚いた。こういうことを認識しながら、家内への心配りを心掛け、今以上のベストパートナーを目指して頑張りたいと思う。

「繁盛創り、人創り」理念で60年続く町の酒屋さん(泉谷酒販)

かつてはどこの街角にも見られた「町の酒屋さん」も1990年以降の規制緩和でスーパーや大型量販店に押され廃業を余儀なくされ次々と姿を消した。私の故郷でも以前何軒かあった町の酒屋さんが今は全くなくなっている。そんな状況の中で、創業60年を経た今も、年商35億円、利益率はコンスタントに3%以上挙げている町の酒屋さんが福岡県久留米市にある。「泉屋酒販」だ。理念を掲げ、その理念を徹底的に追及し、具現化していったその知恵と行動が、今につながっている(「PHP松下幸之助塾2015.1-2」の「酒文化の創造と伝承で人と地域を幸せにする」記事より)。

泉屋酒販は、飲食店や外食産業にお酒を納める業務用酒販店で、自らの事業を「酒文化価値創造業」と位置付け、お酒を販売するだけでなく、それを通じて酒の文化的価値を伝え、お客さまである店の繁盛や人の幸せを創造していくことを目指した。そして「繁盛創り、人創り」の経営理念を掲げた。「繁盛創り」とは、お客さまである飲食店の繁栄を実現する事。業務用に絞って営業展開してきたことで、飲食店が繁盛するためのノウハウを50年以上にわたって蓄積してきた。その蓄積を活用して、久留米随一の歓楽街「新世界」(1960年代)や「文化街」(1970年代後半)の基盤を作ったのは泉屋酒販だ。

そして、このようなお客様の繁栄に貢献できる社員を育成することが「人創り」だ。酒の文化を伝えていくには、社員自身がその知識に精通している必要がある。そのため、ソムリエや唎酒師(ききざけし)、焼酎アドバイザーなどの資格取得を奨励し、多くの社員が何らかの資格を持つ「お酒のプロ集団」となっている。

1955年(昭和30年)に4坪の店舗からスタートした土師軍太現会長の理念を、息子の現社長(康博氏)と専務(正記氏)が受け継ぎ、現在も博多や北九州、熊本の八代などまで取引先を拡げている。泉屋酒販が扱っているのはお酒と言う「モノ」ではなく、お酒と言う「文化」であり、社員やお客さまと共に、お酒の夢やロマンを語れ、人の幸せにつながるお酒の飲み方、売り方を今後も提案していくと息子たちも言う。

東京町田市にある「でんかのヤマグチ」を何度かこのブログでも紹介した(http://okinaka.jasipa.jp/archives/180)。「町の電気屋」も酒屋さんと同じく多くの店が廃業に追い込まれる中、地域のお客さまに対するサービスを徹底することで安売り競争に巻き込まれることなく、今なお高い利益率(粗利率35%)を挙げられている。日本の課題「地方創生」の大きなヒントになるのではなかろうか。

「昭和史」は何を物語る?

戦後70年の年、戦争体験のない私にとって、昭和史を勉強するいい機会になった。思い返せば、学生時代、なぜか昭和史は学校の授業でもあまり詳しく教えてもらっていなかったことに気付く。傷痍軍人が駅前などの繁華街に立っている姿をよく見かけたが、その姿が唯一戦争の悲惨さを思い知らされるものだった。

約320万人が亡くなり日本本土が焦土化した3年9か月にわたるアメリカとの戦争は必然だったのか?避けられなかったのか?・・・、この悲惨な戦争に至った経緯を知るのは将来の日本を考える上でも、特に戦争を知らない世代の責務とも思える。昭和20年8月15日の天皇陛下直々の玉音放送に関しても映画「日本のいちばん長い日」が物語るように、戦争継続・一億国民総玉砕を言い張る青年将校が宮城を占拠し、それが成功していた暁には今の日本は存在していないかもしれないのだ。

「日本のいちばん長い日」の作者半藤一利氏の「昭和史」(平凡社)を読んだ。慶応元年(1865)に開国し、明治維新を経て日清戦争(1894-1895)の勝利、さらに日露戦争(1904-1905)でも世界の予想を覆す勝利をおさめ、世界に日本の名を轟かせた。開国から40年間かかって日本は世界に誇れる近代国家を完成させたとも言える。そして大正、昭和の時代に入るが、日露戦争の勝利が「日本は世界の堂々たる強国」と日本人はたいへんいい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命つくった国を亡ぼしてしまう結果になったのが日露戦争勝利から40年だった太平洋戦争だったと半藤氏は言う。

日露戦争勝利で対ロシア防衛のための生命線である満州を得て、そこを守るために配置した関東軍が勢力を増していくことになる。勢力拡大(満州の管理権拡大?)のために、張作霖爆殺事件(昭和3)、柳条湖事件(昭和6)、上海事変(昭和7)と立て続けに日本の謀略により戦争を仕掛け、国際批判を受けての国連脱退(昭和8)に至る。この間、大元帥である天皇陛下は戦線拡大を懸念するも、関東軍や軍部の独断(本来なら大元帥の判断なくして戦争すれば責任者は死刑)で仕掛けた戦争だ。総理と言えども反対すれば犬飼毅のように暗殺(昭7.5・15事件)されるほど、軍部が独走し、またメディアも「行け!行け!」一色で、国民も日本が謀略で仕掛けた戦争とは知らされず、勝ち戦に「イケイケドンドン」だったそうだ。昭和12年に盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまり、南京陥落、漢口陥落で日本では旗行列、提灯行列が続いた。昭和14年には蒙古とロシアとの境界線争いのノモンハン事件で関東軍がロシアと対決し、双方に多大な死傷者をだすことになった。その反省もなく、次代の流れの中で、「国家総動員法」を制定、中国との戦争時欧米諸国が中国を助けたとのこともあり、イギリスとの友好関係を破棄し、日米通商条約廃棄を通告、ヒトラーの勢いにのっかり、独伊との三国同盟に傾く。このあたりから、陸軍、海軍の主導権争いの中、無益な戦争より日米外交交渉を第一に進めるべきとの天皇陛下の意向に反して、第二次世界大戦、そして太平洋戦争に突入していくことになる。三国同盟に反対し、日英協調路線を主張する山本五十六などは中央幹部を離れ、かつ無能な(半藤氏曰く)近衛第二次内閣でアメリカとの決戦に一挙に傾いていった。支那事変の時陸軍大臣だった杉山参謀総長と天皇のやりとりがある。

  • 天皇「日米に事が起これば、陸軍としてどれくらいの期間で片づける確信があるか?」
  • 杉山「南方方面だけは3ヵ月で片づけるつもりです」
  • 天皇「支那事変の時杉山は1ヵ月くらいで片付くと言ったが、4か年の長きにわたり、まだかたづいていないではないか?」
  • 杉山「支那は奥地が拓けており、予定通り作戦がうまくゆかなかったのであります。」
  • 天皇「なに?支那の奥地が広いと言うなら、太平洋はもっとひろいではないか。いかなる確信があって3ヵ月と言うのか」杉山参謀総長答えられず。

大元帥である天皇陛下にさえ事実をまともに説明せず、国民的熱狂を醸し出し、昭11.2.26事件でテロの怖さを政権などに植え付け、山本五十六など慎重派を遠ざけ、仲間を要職につけ、戦争拡大に突っ走った昭和史には、学ぶことが多い。半藤氏は言う。「政治的指導者も、軍事的指導者も、日本をリードしてきた人々は、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか、ということでしょうか。あらゆることを見れば見るほど、なんとどこにも根拠がないのに“大丈夫、勝てる”だの“大丈夫、アメリカは合意する”だのという事を繰り返してきました。そして、その結果まずく行った時の底知れぬ無責任です。今日の日本人にも同じことが多く見られて、別に昭和史、戦前史と言うだけでなく、現代の教訓でもあるようですが」。

いままさに、安保法制が決まりそうな局面に来ている。内閣法制局長官など、あからさまに法案を通すための人事を挙行し、国民の声に聴く耳も持たず、戦後70年築いてきた「平和な国日本」の転換をはかろうとしている。国会論議においても「根拠なき過信、傲慢さ」が目につく。もっと時間をかけて、多くの国民が納得する形にして法案を採決することこそ「立憲国家日本」のあるべき姿と思うがいかがだろうか?太平洋戦争で壊された日本を折角70年かけて作り上げた国民の努力を、無にしないように祈るばかりである。