「生き方」カテゴリーアーカイブ

24年前の惨劇で娘を失ったお母さんのすばらしい生き方!

私の愛読書「人間学を学ぶ月刊誌 致知」12月号にこんな人生もあるのだと言う感動的な記事が掲載されている。今から24年前の、いまだ記憶にも残る大阪付属池田小、児童8人殺害事件で当時2年生の愛娘さんを亡くされた本郷由美子さんと、当ブログでも何回か紹介した鈴木秀子さんとの対談記事だ。タイトルは”人生の悲愁を超え、命を見つめて生きる」だ。

お母さんは本郷由美子さん、娘は優希ちゃん。叔母が鈴木秀子さんと親交があり、池田小事件の後、亡くなった8人のために都内で静かにミサを挙げて下さり、さらに事件の2年後に愉美子さんが「私とひまわりの娘」と言う本を出版された際、この本を読んで下記のような手紙を頂いたそうだ。

「愉美子さんは意識していないでしょうが、この本は深く心に傷を負った人がその傷を自ら受け止め。癒し続け、恵みに変えていくすばらしい人間性があふれています。」

自ら、当時はこれ以上辛いことはない、瀕死状態と言われ、目に見るものは灰色、匂いも感じられない、音もぼんやりとしか聞こえない、触るものも堅い冷たいなど分からない、五感が麻痺状態だったと言われる。ある時、事件のあった小学校を訪れていた時、笑顔の優希ちゃんが抱きついてきた不思議な現象を体験したそうだ。実は刺されたとき誰が見ても即死状態と思われる状態で68歩(由美子さんが後で実測)歩いて果てたそうだ。その時「最後の力を振り絞って歩いた68歩。私も同じように頑張って生きていく。神様、優希と一緒に手をつないで優希と68歩目を歩ませてください。」と誓ったそうだ。

そこからがすごい!2000年前後は、阪神・淡路大震災をきっかけに心のケアが浸透しつつあったが、まだ犯罪被害者等基本法も制定されておらず犯罪被害者の人権も守れず、犯罪被害者の置かれている状況は過酷な状態だったそうだ。このような状態の中で、事件や犯人への恨みなどマイナスに向かうエネルギーを、精神的な命を繋ぐ生きるエネルギーに変えたいと思い、早速精神対話士という対話型、寄り添い型の支援を行う資格を取得(2005年)。さらにグリーケアの道が開け2011年から3年間上智大学グリーケア研究所の養成講座で学んだそうだ。心のケアは技術ではない、自分の価値観を一度手放して一人ひとりの人生とどう向き合うか徹底して学びを深められたそうだ。

無残な死を遂げた娘を思い、最初は犯人を憎み、一歩間違ったら、加害者になっていたかもしれなかったと言う由美子さん。いまでは犯人にも思いを寄せ、恨みからは何も生み出せないと気付いたと言う。鈴木さんも、本郷さんの歩みを伺いながら、悲しみや寂しさなどの感情を受け入れることで今度は他人のために尽くすようになるという、人間の成長の縮図のようなものを本郷さんに感じたと言う。本郷さんは現在、グリーフケア、グリーフサポート、又それを広げるための講演、研修活動など多岐にわたる活動を展開されている。2022年には都内にグリーフケアライブラリー「ひこばえ」を開設、絵本や童話、事件事故など遺族が寄贈の本1200冊が展示されている。「ひこばえ」とは切り株から出た新芽のことで、幹を切られ風雪に耐えた木から出た芽に人間の可能性を重ね合わせられたそうだ。このような活動の中で、漫画家松本零士氏の出逢いもあり、漫画に宇宙船に乗った優季ちゃんが乗っていたそうだ。2024年に完成した映画「グリーフケアに時代に」の上映初日に紀子妃殿下がご臨席され、本郷さんなど出演者に声をかけて下さった出逢いもあったそうだ。

「ともかく悲しんで哀しんで哀しみつくし、自分なりに折り合いをつけると悲しみの根源にある愛に気がつき、いつしか悲しみの涙の質が変わってきて、安らぎを得た暖かい涙として流れてくるようになる。悲しみと向き合うことで心が成長できる。私はこれからも悲しみを愛しきものとして抱きしめて歩いていきたいと思う」とのこと。

今でも悲しみは消えないことと思うが、それをエネルギーとして世の中のために頑張る本郷さんに、鈴木さんと共に大拍手を送りたい。

「精神爽奮(せいしんそうふん)」を再び!

現役時代含めて本棚には本が溜まる一方で、時々整理しながら、過去読んだ本を紐解く機会が多くなった。最近、「人生の大則」(致知出版社藤尾社長作)を読み直し、懐かしい言葉に再度出会った。「精神爽奮(せいしんそうふん)」という言葉だ。現役時代後半、社内報や、社員への挨拶などでよく使った言葉だ。当ブログでも2011年4月にUPしている(https://jasipa.jp/okinaka/archives/20)。明末の大儒、呂新吾(りょしんご)の言葉だ。

精神爽奮なれば則ち百廃俱(とも)に興る
肢体怠弛(したいたいし)すれば則ち百興俱に廃る

(精神が爽やかに奮い立てば、もろもろの廃れた事が一斉に興る。 手足身体が怠け弛むと、もろもろの盛んなことも一斉に廃れる)

「人生の大則」第6章を下記紹介する。

以前、ある経営者に、人生で、一番大切なものは何か尋ねたことがある。その人は「それは自分にもわからないが、こういう人は絶対に成功しないという条件はある」と答えられ、次の4項目を挙げられた。一つは言われたことしかしない人。二つは楽をして仕事をしようとするーーそういうことが可能だと思っている人。三つは続かないという性格を直さない人、そして四つはすぐに不貞腐れる人である。省みて、深くうなずけるものがある。多くの人生の達人が教える人間学のエキスは、いついかなる状態においても、常に精神を爽やかに奮い立たせることの大切さである。精神爽奮、いつも颯爽としている。いつも颯爽とし気分でいること。そこに幸運の女神が微笑んで来るということだろう。

名だたる成功者とのお付き合いの中から掴まれた「人生の大則10箇条」の一つだ。

現役時代はもちろんだが、喜寿を過ぎた我が身にとっても、「爽やかに生きる」ことを忘れないでいたい。

”スワーダ・アル・ムダファーラ”さんと”いとうまい子”さんの人生!

今年1月にサハル・ローズさんを紹介した。ひどい環境の中で育ちながら、今でも立派に日本でご活躍されている姿だ。今回紹介するのも、並の精神力では出来そうにないご活躍をされている女性の紹介だ。

まずは、8月21日のテレビ朝日の「徹子の部屋」に登場されたスワーダ・アル・ムダファーラさん。オマーン国籍を取得された日本人女性だ。一夫多妻の国で4度結婚して4度離婚!?年齢は明らかにされていないが、恐らく70歳前後と思われる。今から46年前に文化使節団としてオマーンを訪問。その後オマーンの女性に日本の心を教えるために何度かオマーンを訪問し、オマーンの男性と結婚。その後離婚、結婚を繰り返した。そして25年前に当時の夫に資金支援はしないと言われながらも私立学校を作り、校長になったという。最初は5人の幼稚園児だったのが今では高校までの一貫校となり800人の学生を有するオマーン有数の名門校となっているそうだ。この間、資金繰りに苦労し不渡りを出しながらも軌道に乗るまで困難な日々を振り返っている。現在は校長を退任し、青少年のライフコーチとしてご活躍だそうだ。オマーンでは、日本に対する憧れも強く、スワーダさんは、日本人としての証を残す活動の一環として学校を設立し、さらに継続して活動を続けられているという。

次は、致知9月号に掲載されている「恩返しで開いた人生の扉」とのタイトルで、芸能界で活躍のいとうまい子さんのほんとに驚く人生が語られている。記事のリード文は下記。(https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2025/202509_itou/

18歳から芸能活動を続けてきた“いとうまい子”氏はいま、研究者、経営者、そして大学教授等々、八面六臂の活躍で注目を集めている。華やかなデビューから一転、「地獄の10年間」と振り返る不遇の二十代を乗り越えて、彼女はいかにして運命を切り開いてきたのだろうか。人生のターニングポイント、」そして自身を挑戦へと突き動かす思いに迫った。

18歳で芸能界に入り、役者を目指したが、童顔のせいか思いどおりの役柄に恵まれず、悩んでいたとき、飼っていた犬に教えられ、人生の生き方、考え方を変えたそうだ。頂いた仕事は、どんな仕事でも感謝の気持ちで臨むこと、さらに感謝だけではなく恩返ししたいとも思うようになったそうだ。高校を卒業してすぐ芸能界に入った自分は、無知、無教養で恩返しのすべもわからない状態。ということで45歳で早稲田大学に入学。まずは高齢化が進む現状を考え、予防医学を学び、その後事情があって、ロボット工学に。プログラミング経験もない中で、加齢に伴う筋肉や骨の衰えで思うように歩いたり、体を動かしたり出来なくなって要介護になってしまう問題に取り組み、正しいスクワット検出装置を開発し、国際ロボット展に出展。そのときある企業から声がかかり、開発したのが「ロコピョン」というスクワット運動を促すロボット。高齢者の方に2ヶ月試してもらったら30秒間に椅子から立ち上がれる回数が増えたそうだ。その後も早稲田大学で基礎老化学を勉強し修正課程から博士課程に進むことも出来たそうだ。都合15年間、60歳まで早稲田で勉強し在籍中に共同研究していた東京大学で分子構造の解析の研究中だという。今年には請われて情報経営イノベーション専門職大学教授にも就任とか。

芸能活動をやりながらの研究で、寝る間も惜しんで勉強したそうだが、その原動力は?本人の言では、芸能界で苦しいときも「本屋さんでもやるの?」と言われるくらい哲学の本など片っ端から読んで勉強したとか。本から勇気をもらい、自分がどう考えるかで人生は変わること、壁に直面してももうダメではなく、どう乗り越えるかを考えるように教わったと言う。20代の地獄の10年間、いろんな方のおかげで自分がいるのに、それを当たり前と思って感謝を忘れていたが、今は「嫌なことが起きても感謝」を自分に言い聞かせていると、いいことがどんどん起こるという。

あの童顔のスターが、童顔故に苦労した時代をバネに、全く未知の分野へここまで突き進めることを考えると、人生考え方一つで誰にでも開ける世界はあるのではと思わせてくれる。