「生き方」カテゴリーアーカイブ

「精神爽奮(せいしんそうふん)」を再び!

現役時代含めて本棚には本が溜まる一方で、時々整理しながら、過去読んだ本を紐解く機会が多くなった。最近、「人生の大則」(致知出版社藤尾社長作)を読み直し、懐かしい言葉に再度出会った。「精神爽奮(せいしんそうふん)」という言葉だ。現役時代後半、社内報や、社員への挨拶などでよく使った言葉だ。当ブログでも2011年4月にUPしている(https://jasipa.jp/okinaka/archives/20)。明末の大儒、呂新吾(りょしんご)の言葉だ。

精神爽奮なれば則ち百廃俱(とも)に興る
肢体怠弛(したいたいし)すれば則ち百興俱に廃る

(精神が爽やかに奮い立てば、もろもろの廃れた事が一斉に興る。 手足身体が怠け弛むと、もろもろの盛んなことも一斉に廃れる)

「人生の大則」第6章を下記紹介する。

以前、ある経営者に、人生で、一番大切なものは何か尋ねたことがある。その人は「それは自分にもわからないが、こういう人は絶対に成功しないという条件はある」と答えられ、次の4項目を挙げられた。一つは言われたことしかしない人。二つは楽をして仕事をしようとするーーそういうことが可能だと思っている人。三つは続かないという性格を直さない人、そして四つはすぐに不貞腐れる人である。省みて、深くうなずけるものがある。多くの人生の達人が教える人間学のエキスは、いついかなる状態においても、常に精神を爽やかに奮い立たせることの大切さである。精神爽奮、いつも颯爽としている。いつも颯爽とし気分でいること。そこに幸運の女神が微笑んで来るということだろう。

名だたる成功者とのお付き合いの中から掴まれた「人生の大則10箇条」の一つだ。

現役時代はもちろんだが、喜寿を過ぎた我が身にとっても、「爽やかに生きる」ことを忘れないでいたい。

”スワーダ・アル・ムダファーラ”さんと”いとうまい子”さんの人生!

今年1月にサハル・ローズさんを紹介した。ひどい環境の中で育ちながら、今でも立派に日本でご活躍されている姿だ。今回紹介するのも、並の精神力では出来そうにないご活躍をされている女性の紹介だ。

まずは、8月21日のテレビ朝日の「徹子の部屋」に登場されたスワーダ・アル・ムダファーラさん。オマーン国籍を取得された日本人女性だ。一夫多妻の国で4度結婚して4度離婚!?年齢は明らかにされていないが、恐らく70歳前後と思われる。今から46年前に文化使節団としてオマーンを訪問。その後オマーンの女性に日本の心を教えるために何度かオマーンを訪問し、オマーンの男性と結婚。その後離婚、結婚を繰り返した。そして25年前に当時の夫に資金支援はしないと言われながらも私立学校を作り、校長になったという。最初は5人の幼稚園児だったのが今では高校までの一貫校となり800人の学生を有するオマーン有数の名門校となっているそうだ。この間、資金繰りに苦労し不渡りを出しながらも軌道に乗るまで困難な日々を振り返っている。現在は校長を退任し、青少年のライフコーチとしてご活躍だそうだ。オマーンでは、日本に対する憧れも強く、スワーダさんは、日本人としての証を残す活動の一環として学校を設立し、さらに継続して活動を続けられているという。

次は、致知9月号に掲載されている「恩返しで開いた人生の扉」とのタイトルで、芸能界で活躍のいとうまい子さんのほんとに驚く人生が語られている。記事のリード文は下記。(https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2025/202509_itou/

18歳から芸能活動を続けてきた“いとうまい子”氏はいま、研究者、経営者、そして大学教授等々、八面六臂の活躍で注目を集めている。華やかなデビューから一転、「地獄の10年間」と振り返る不遇の二十代を乗り越えて、彼女はいかにして運命を切り開いてきたのだろうか。人生のターニングポイント、」そして自身を挑戦へと突き動かす思いに迫った。

18歳で芸能界に入り、役者を目指したが、童顔のせいか思いどおりの役柄に恵まれず、悩んでいたとき、飼っていた犬に教えられ、人生の生き方、考え方を変えたそうだ。頂いた仕事は、どんな仕事でも感謝の気持ちで臨むこと、さらに感謝だけではなく恩返ししたいとも思うようになったそうだ。高校を卒業してすぐ芸能界に入った自分は、無知、無教養で恩返しのすべもわからない状態。ということで45歳で早稲田大学に入学。まずは高齢化が進む現状を考え、予防医学を学び、その後事情があって、ロボット工学に。プログラミング経験もない中で、加齢に伴う筋肉や骨の衰えで思うように歩いたり、体を動かしたり出来なくなって要介護になってしまう問題に取り組み、正しいスクワット検出装置を開発し、国際ロボット展に出展。そのときある企業から声がかかり、開発したのが「ロコピョン」というスクワット運動を促すロボット。高齢者の方に2ヶ月試してもらったら30秒間に椅子から立ち上がれる回数が増えたそうだ。その後も早稲田大学で基礎老化学を勉強し修正課程から博士課程に進むことも出来たそうだ。都合15年間、60歳まで早稲田で勉強し在籍中に共同研究していた東京大学で分子構造の解析の研究中だという。今年には請われて情報経営イノベーション専門職大学教授にも就任とか。

芸能活動をやりながらの研究で、寝る間も惜しんで勉強したそうだが、その原動力は?本人の言では、芸能界で苦しいときも「本屋さんでもやるの?」と言われるくらい哲学の本など片っ端から読んで勉強したとか。本から勇気をもらい、自分がどう考えるかで人生は変わること、壁に直面してももうダメではなく、どう乗り越えるかを考えるように教わったと言う。20代の地獄の10年間、いろんな方のおかげで自分がいるのに、それを当たり前と思って感謝を忘れていたが、今は「嫌なことが起きても感謝」を自分に言い聞かせていると、いいことがどんどん起こるという。

あの童顔のスターが、童顔故に苦労した時代をバネに、全く未知の分野へここまで突き進めることを考えると、人生考え方一つで誰にでも開ける世界はあるのではと思わせてくれる。

こんな人生がある?サヘル・ローズ(俳優)!

「致知2025.1月号」で「一人でも多くの人に“ありがとう”を届けたい」との俳優サヘル・ローズさんの記事があった。正直サヘル・ローズさんを知らなかったが、小さい時からの苦難続きの中を、強い意志を持って日本で俳優の道までたどり着いたその壮絶な人生に、ほんとに驚いた。

記事のリード文は

「戦火の中のイランに生まれ、幼少期を孤児院で過ごしたサヘル・ローズさん。8歳の時に義母であるフローラさんとともに来日。現在は俳優・タレントとして幅広く活躍。難民などの国際人道支援活動にも尽力するサヘルさんに、壮絶な人生の歩みを交え、一人ひとりが心豊かに、幸せに生きるヒントをお聞きした。」

とある。

彼女の生い立ちに驚く。1980年代、イラン・イラク戦争の最中に生まれた。が、自らの記憶は4歳ごろから始まり、その時にはすでにイランの児童養護施設に入っていたが、出生届も出されておらず、実の両親も、自分の名前も、誕生日さえも分からない状態だったそうで、今の年齢も当時の背丈から決められたと言う。そして、7歳ころ当時テヘラン大学の学生で人道ボランティアをしていた今の義母・フローラさんと出会い、今に至る人生が始まった。サヘル・ローズという名前もそのフローラさんが名づけ親だそうだ。フローラさんの家は裕福だったが、孤児を養子に迎えることに反対されたため、家族とは絶縁状態となり、当時日本に留学していた主人を頼ってサヘル8歳の時に来日。しかし、埼玉での義父との生活は始まったが、義父のサヘルへの暴力に耐えきれず、フローラさんとともに家を出てしばらくは公園の土管で寝泊まりしながら小学校に通う生活を強いられたという。しかし、スーパーの店員や学校の給食のおばちゃんなど、周囲の人に助けられた。特におばちゃんは、公園で過ごしていることを知り、フローラさんとともに自宅に住ませてくれたそうだ。外国人だからとレッテルを貼らず、同情ではなく同じ人間として自然な形で自分のできることをしてくれたとサヘルは言う。

中学の3年間も壮絶ないじめを体験し、中学3年の時、家に帰ってフローラさんに「死にたい」と伝えたところ、サヘル以上に生活に苦労していたフローラが「あなたが望むならいいよ。でも、お母さんも一緒に連れて行って」と。この時、サヘルの思いを否定したり、頑張ろうと言われていたら死んでいたかもしれないとサヘルは振り返る。フローラさんを抱きしめたら、骨と皮だけになっていることに気づき、フローラさんはすべてを犠牲にしてサヘルのために人生をささげてきたことに気づいたという。その時、「フローラさんを幸せにしてあげたい」、

フローラさんが施設で自分を見つけてくれたように、今度は私が本当の意味で彼女を見つけた瞬間だった」だったと振り返る。そして、その瞬間が、自分が生きていく意味を見出せた人生のターニングポイントだった、と言う。

その後、大学時代のエキストラから始まり、自分が活躍することでフローラさんという素晴らしい女性がいることを多くの人に知ってもらいたいと俳優の道に進んだという。

このような壮絶な人生を経験したサヘルが言う。「人生は本当に鏡のようなもので、自分が日々どんな言葉を発しているか、投じたものが全部自分に跳ね返ってくる。どんな失敗や挫折も、必ず自分の成長の糧として返ってくる」と。

今、サヘルは「ありがとう」の言葉を大切にしているそうだ。こんな壮絶な人生を経験しながら、「世の中に当たり前のことは一つもない。どんな仕事にも上下はない、だれ一人欠けていい人もいない、あらゆることが繋がっていて“ありがとう”と感謝すべきこと」と言う。

このような考え方で、俳優をしながら、国際人道支援活動にも力を注ぎ、世界の児童養護施設で暮らしている子供たちや、戦争などで居場所を奪われている人々の支援を行っている。

現在、初監督作品「花束」が公開され、大きな話題となっているそうだ。

こんな壮絶な人生を乗り越えられたのは、フローラさんや給食のおばちゃんに助けられたことが大きいが、サヘルの生き方(自分の惨めさを他人のせいにせず前向きに生きる)に心を動かされた人が多かったことではないかと思う。

今のサヘルさんの活動をはじめ、全く知らなかったサヘルさんに関して今後も注目していきたい。