飛鳥へそしてまだ見ぬ子へ


「死との対決」によって「生」を鮮烈にして逝った一人の若者がいました。1979年の1月21日、富山県の砺波市という町で、ガンで亡くなった井村和清さんです。

彼は医師でした。右膝に巣くった悪性腫瘍の転移を防ぐため、右脚を切断しましたが、その甲斐もなく、腫瘍は両肺に転移してしまいます。そして、昭和54年1月、亡くなりました。享年31歳でした。その彼が遺書を残しているんです。その遺書は「ありがとう、みなさん」と題されています。

そしてこの遺書を素早くNHKが取りあげ(1981年朗読:宇野重吉)たり、1982年には映画化され(主演名高達郎、竹下恵子)、そして2005年フジテレビでテレビドラマ化され(稲垣吾郎、紺野まひる)ている。私はどれも見ていないが、今朝の致知出版社の人間力メルマガでこの遺書を知った。FACEBOOKでも紹介されている。その遺書の一部を紹介する。

「心の優しい、思いやりのある子に育ってほしい」と書き、

思いやりのある子とは、まわりの人が悲しんでいれば共に悲しみ、
よろこんでいれば、その人のために一緒によろこべる人のことだ。
思いやりのある子は、まわりの人を幸せにする。
まわりの人を幸せにする人は、まわりの人々によって、
もっともっと幸せにされる、世界で一番幸せな人だ。
だから、心の優しい、思いやりのある子に育ってほしい。
それが私の祈りだ……。
私はいま、熱がある。咳きこんで苦しい。
私はあと、いくらもそばにいてあげることができない。
だから、お前たちが倒れても手を貸してあげることができない。
お前たちは倒れても自分の力で立ち上がるんだ。
お前たちがいつまでも、いつまでも、幸せでありますように。
雪の降る夜に 父より」

「郷里へ戻ると父が毎朝、近くの神社へ私のために参拝してくれていることを知りました。友人のひとりは、山深い所にある泉の水を汲み、長い道程を担いできてくれました。これは霊泉の水で、どんな病気にでも効くと言われている。俺はおまえに何もしてやれなくて悲しいので、おまえは笑うかもしれないが、これを担いできた。彼はそう言って、一斗以上もありそうな量の水を置いてゆきました。また、私が咳きこみ、苦しそうにしていると何も分からぬ娘までが、私の背中をさすりに来てくれるのです。みんなが私の荷物を担ぎあげてくれている。ありがたいことだと感謝せずにはいられません。皆さん、どうもありがとう。

この方の人生は最初の遺書にある「思いやり」の人生であったことが偲ばれます。

この遺書には「あとがき」があり、「奥さんと子供(飛鳥)の二人では心もとない。何としてももう一人子供が欲しいとの祈りが通じ、奥様の胎内に待望の子供が宿った」と書かれています。「子供二人で細い体の妻を支えてくれ」との願いに奥様への大きな思いやりがあります。そして両親(母は継母)に対する思いを綴り、先立つ死を詫びつつ、両親をよろしくと心よりお願いされています。

そして最後に

ありがとう、みなさん。
世の中で死ぬまえにこれだけ言いたいことを言い、それを聞いてもらえる人は滅多にいません。
その点、私は幸せです。人の心はいいものですね。
思いやりと思いやり。それが重なりあう波間に、私は幸福に漂い、眠りにつこうとしています。
幸せです。
ありがとう、みなさん、ほんとうに、ありがとう」

井村さんが亡くなられてから30年以上たち。お子さんたちはお父さんの遺志を受けて成長されていることと思います。ほんとに、涙なくして読めない遺書です。最近「人生のエンディング」に関する書籍や記事が目立つようになりましたが、死に際し「私の人生は幸せだった」と心から言えるようにしたいものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です