「恕の精神」は日本人の誇り


前ブログ(http://jasipa.jp/blog-entry/7458)で、「恕(思いやりの心)」について触れた。たまたま時を同じくして、「恕」についての記事が目に留まった。

一つは、「孔子の人間学(致知出版社)」の本の中で、キヤノン電子社長酒巻久氏の「ドラッカーと孔子に学んだこと」で「恕」が紹介されている。

「論語」にある言葉、子貢問うて曰く「一言にして以て終身之を行うべき者有るか」、子曰く、「其れ恕か。己の欲せざる所人に施す勿(なか)れ」。(「ただ一言で終身行うことができるものがありますか?」、孔子が言うには「それは恕という一言であろう。恕は己の心を推して人を思いやるのである。己の心に欲しないことは人も欲しないから、これを人に施し及ぼさないようにせよ」)

酒巻氏は「開発の基本はまさに恕」という。ヘンリー・フォードも、「成功の秘訣は、相手の立場に立って物事を考えることだ」と言った。お客様が喜び、感動するものを作ることは恕の実践そのものと言える。さらに「恕は仕事の上で、そして人間として最も大切な心がけだと実感している。(中略)自分があるのは、それまで多くの人から受けてきた無数の思いやりの心のおかげであり、今度は自分から次の世代に恕の心を施すことで受けた思いやりにお返ししていかなければならないと心に刻んでいる」と。ドラッカーも「論語」から影響を受けたと思われる記述が随所に見られる。ドラッカーの言葉「経営の基本は、そこで働く人たちを不幸にしないことだ」はまさに「論語」を含めた儒教の土台となる精神と言える。

二つ目は、「致知」の月例読者の集いで講演された作家童門冬二氏の講演録より。東日本大震災である光景がテレビで映し出されていた。被災地の体育館で一人の中学生が雑用で駆けずり回っていた。その中学生が「なぜ、そんなに明るいの?」と聞かれて、「3月11日までは悪がきだったが、あの日以降、自分の親も含めてみんなが他人を喜ばせるためにすぐ身近なことを一生懸命やっている姿を見た。それなら僕にもできることがあるんじゃないか。雑用だけど僕が走り回るたびに喜んでくれる人がいる。こんなうれしい生き方は初めてだった」と。童門氏は、この中学生の根底にあるものが「恕」の精神であり、白河藩の松平定信の改革を事例に、いまも確実に日本人の心に引き継がれていると言う。孟子は、孔子の言う「恕」は分かりづらいと言うことで「忍びざるの心(他人の悲しみや苦しみを見るに忍びない)」と言い換えたそうだ。

酒巻氏の言われるように、私もこれからは恩返しの日々と心得、日々精進していきたいと考えている。そして「恕の精神」を日本人の誇りとして引き継いでいくことにも努力したい。

「「恕の精神」は日本人の誇り」への1件のフィードバック

  1. 寛恕という言葉は、許しを乞う場面(手紙)などでつかうシーンもあるにはありましたが、「恕」一文字の深さを 学ばせていただきました。

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