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“アメとムチ”のマネージメントでは21世紀を乗り切れない!?

従来の“成果報酬”に基づく管理は、新しい発想を生む、いわゆるクリエイティブな作業にはつながらず、むしろマイナスに作用する。「成果主義では人は動かない!21世紀の職場に必要なのは自発的な動機付け」と言うのは、アメリカのベストセラー作家ダニエル・ピンクだ。「モチベーション3.0~持続する”やる気をいかに引き出すか~(ダニエル・ピンク著、大前研一訳、講談社+α文庫)の第6刷がこの8月に発行された。ダニエル・ピンクの提言の概要を下記する。

40~50年前から広範な実証実験で検証されてきた科学的アプローチでは、ダニエル・ピンクが言う”モチベーション3.0“の内発的動機(学びたい、創造したい、世界をよくしたい)が永続的なクリエイティブ性を発揮するということが実証されているそうだ。現在多くの企業が取り入れている”モチベーション2.0“は、アメとムチ、信賞必罰の管理で、古い経営者やブラック企業幹部が大好きな営業ノルマ・歩合制を課す。これらの報酬方式は、20世紀的、昭和的な大量生産時代には大いに役立ったが、これからの先進国特有の満たされた時代は、大量生産や安さだけでなく、価値の需要が高まり、マズローの欲求5段階説の”欠乏の欲求“から“成長の欲求”への変化や“自己実現の追求”段階へ向かわねばならない。すなわち、アメとムチのような外発的な動機付けではなく、心から求める”内発的動機が求められる。価値を生み出すには、真のクリエイティブ性、新たな工夫や新しい発想、創造力を個々人に発揮してもらわねばならない。

上記で言う実証実験は、数多くあるそうだが、有名な「ローソクの問題」に関しては
http://parm.hatenablog.com/entry/2016/09/01/002000 を参照ください。また、報酬ではなく内発的動機で動く事例として、マイクロソフトがプロのライターや編集者に有料で依頼し、16年間提供してきた百科事典「MSNエンカルタ」のサービスを停止したのに対し、自主的(無償)な参加で作成し続けている世界で最大の規模と人気を誇る百科事典へと成長を遂げた「ウィキペディア」を挙げる。さらには、世界中のボランティアで作成されたリナックスなど数多くのオープンソースの存在だ。これは成果報酬で動くとする”マネージメント2.0“では説明がつかない。また“内発的動機”が”報酬“により阻害される事例としては、献血の報酬化(報酬化したら献血者が半減)や、保育園でのお迎え時間の遅れに対して罰金制度を作ると、遅れる人が期待に反して増加したことなどを挙げる。

人間の本質は“”受動的で自ら行動できない“ことではなく、この世に誕生した時には”好奇心に満ちて自発的だ“と言う。何かが原因で後天的に自発性を失っている。管理主導の”マネージメント2.0“も原因かも知れない。
ピンクは、“様々な企業での”モチベーション3.0“への取組を紹介している。グーグルでは「Gメールなど素晴らしいアイデアのほとんどは20%ルールから生まれている」という。自然食品のホールフーズでは、30日間の試用期間中に一緒した従業員による投票で採用決定する。ある素材製造会社では、チームを率いたい人は、自分と働きたい人を集めなければならない。靴のザッポスベストバイなどの有名企業も積極的に新たな改革に取り組んでいる。

当ブログでも最近の動向として“ESG投資”あるいは“SDG’s”が社会的な流れになっていることを紹介した(https://jasipa.jp/okinaka/archives/7167)。利益を最大の目的として管理する「モチベーッション2.0」の限界が品質検査不正などの問題で吹き出ていることを考えると、「産業人たるの本分に徹し、社会生活の改善と向上を図り、世界文化の進展に寄与せんことを期す」を経営方針とした松下幸之助の慧眼にあるごとく、企業人としての本分を取り戻し、人としての自発性、自律性を重視した働き方改革を考えなければならない時がきているのではなかろうか。
別稿の「ホラクラシー組織」(https://jasipa.jp/okinaka/archives/8774)の中で、仕事に対する熱意(エンゲージメント度)が、日本は139か国中132位の全従業員の6%であることを紹介した。今まさに”働き方改革“や、”外国人労働者受け入れ“が国会で議論されている。日本が真に働きやすい、働き甲斐のある国として世界にアピールできる国になれば、少子高齢化の中、人口が減少しても経済成長は約束できるのではなかろうか。

スロベニア・クロアチア旅行~その4~アドリア海の真珠”ドゥブロヴニク”

今日は、旧市街地をガイド付で観光後、午後と翌朝のほぼ1日間自由行動。
ドゥブロヴニクは「アドリア海の真珠」と称されるクロアチアの港町。ジブリ映画の「紅の豚」や「魔女の宅急便」の舞台として知られている。オレンジ色で統一された屋根が美しい世界遺産の旧市街地は、要塞を備えた強固な市壁が続き、特異な歴史とその景観が人々を魅了する街だ。
ドゥブロヴニクが誕生したのは614年。667年にドブロヴニクはラグーサ共和国と命名された。その後、ビザンツ帝国(9世紀)、ヴェネツィア(13世紀)、ハンガリー王国(14世紀)、オスマン朝から自らを守り、自治国家として自由を得るために、頑強な城壁を7~8世紀につくりはじめ15世紀に完成させた。1358年にハンガリー王国から独立し、オスマン朝時代の15世紀から16世紀にかけてアドリア海および地中海貿易で絶頂期を迎えた。しかし、1667年の大地震を契機に、そのころの地中海貿易の不振と相まって衰退が始まった。1806年にナポレオン軍に降伏し、ナポレオンのイタリア王国に併合されるまで、ラグーザ共和国は続いたのは奇跡とも言われる。

“旧市街”観光は、西側のピレ門から開始。北側には旧市街を見渡せる標高412mのスルジ山が見える(翌朝登頂)。門を入ると最も観光客で賑わうメイン通りプラツァ通りがある。15世紀前まではこの道は運河で、南側にローマ人、北側にスラブ人が住み抗争が絶えなかったが、時を経て双方の歩み寄りがあり、運河を埋め立ててプラツア通りが作られたとのエピソードがあるそうだ。

ピレ門を入って左側にある「フランシスコ会修道院」は、14世紀初頭、戦争から逃れるために城壁内に移ってきたフランシスコ会修道士のために作ったもの。回廊や中庭、世界で3番目に古い薬局がある。回廊の絵の下に各国の国旗が並ぶが、この修道院を要人が訪れた国を表しているそうだ(日本は2002年に黒田清子妃)。

旧市街の街並み。1667年の大地震で破壊された様子を写す壁写真もある。

ラグーサ共和国時代の総督の仕事場兼住居「旧総督邸」、十字軍戦争からの帰り道で難破した際に市民に命を救われたイギリスのリチャード獅子心王が感謝を表すために資金を寄贈して作られた「大聖堂」、税関や造幣局として作られた「スポンザ宮殿」。

ドゥブロヴニクをベネツィアの攻撃から守ったと言われる守護聖人を祭る「聖ヴラホ教会」、その前がルジャ広場で、その東側の門をくぐると旧港に出る。ここから湾内クルーズも体験できる(風のある時は要注意。木の葉のように揺れるそうだ)。

いよいよ約2kmの外壁を1周する。アップダウンの激しい道で、最高25mの高さもあるが、旧市街やアドリア海の眺めが素晴らしく、約2時間楽しみながら回ることが出来た。ここは必見だ(ただし、入場料は約3000円)。1991年の戦争の跡がまだ残る、屋根の色も未修復のものは薄汚い色のままだ。北西隅にあるミンチェタ要塞。ここからの見晴らしが最高だ。砲弾穴からの眺めは、額縁に収まった絵のよう。

翌朝、眺めが素晴らしいと言われるスルジ山にケーブルカー(実際はロープウェイ)で登った(これも往復約3000円)。天気も良く、素晴らしい光景に巡り合えた。

ホテルのビーチでは、20度そこそこの中、海水浴で楽しむ客が(ダルマチア海岸はヌーディストビーチが多いとか)。アドリア海の透明度と合わせてどうぞ。

今回も、天気に恵まれ、あっという間の6泊8日の旅だった。これまでのヨーロッパの旅とは一味違い、伝統的な建造物や美術館と言うより、景色を楽しむ旅だったともいえる。旅をご一緒した人たちも最初は「なぜクロアチア?」との問いかけに「ヨーロッパ旅行で残った最後の国だから」とおっしゃっていたが、旅が終わると皆さん「来てよかった」と感激されていた姿が印象的だった。
ご愛読ありがとうございました。

スロベニア・クロアチア旅行~その3~ディオクレティアヌス宮殿

今回のメインはスプリットのディオクレティアヌス宮殿。その前に、中世の街並みが美しい世界遺産の島「古都トロギール」を訪ねる。紀元前3世紀にできたギリシア人植民都市が街の始まりで、中世に敵の侵入を防ぐために水路で本土と隔てられた島にある旧市街地だ。橋を渡って北門をくぐると、ぐるっと囲む壁の中で、すぐイヴァナ・パブロ広場に着く。この広場の周りに主要な世界遺産建築が並ぶ。鐘楼が聳え立つ「聖ロブロ大聖堂」や「市庁舎」、「時計台」、「裁判所」など。「聖ロブロ大聖堂」は13世紀から17世紀にかけて建てられたロマネスク・ゴシック様式の代表的な建築物だ。建築家の名前をとった「ラドヴァンの門」には聖書の場面を忠実に描いた細かい彫刻が施されている。門の右側にアダム、左側にイヴ、双方が獅子の上に載っている像がある。「市庁舎」は今も使われているそうだ。「裁判所」の広場では、アカペラグループがCDを売ることを目的に観光客に時々歌を提供していた。

大聖堂の47mの鐘楼に昇ると見晴らしが素晴らしいと聞き、登ってみた。一列しかないきつい階段で、しかも屋上手前の階段はよりきつい勾配の鉄の梯子で下が見えるため怖さを我慢して昇った。クロアチア独自の素晴らしい光景に巡り合えた。最初の写真の左側がクロアチア本土、右側がチオヴォ島(トロギールはクロアチア本土とチオヴォ島の間の島)。

次に行ったのは、アドリア海沿岸の中心都市で、クロアチア第2の都市「スピリット」。スプリットの町の起源とも言える世界遺産「ディオクレティアヌス宮殿」を訪ずれた。この宮殿は3世紀末から4世紀初頭にかけて古代ローマのディオクレティアヌス帝によって建てられたもの。皇帝没後は、ローマ帝国も衰退しこの宮殿は数百年の間廃墟となっていたとのことだ。7世紀頃、ローマ帝国が滅亡後、近郊のサロナから異民族(特に南スラヴ人)が大挙してこの地に入り込んできて、頑強な城壁に囲まれた宮殿内に住み着いたのがスピリットの起源だそうだ。現在でも、この中で生活している人がおり、レストランや土産物店などとしても利用されている。
バスを降りるとすぐ宮殿の外壁が目の前に現れる。宮殿の説明パネルにあるローマ帝国時代の宮殿の図。その後、正門から宮殿に入る。

入ってすぐにローマ時代のまま残っている地下宮殿、そして地上の広場に面して、大聖堂(尖塔の右側の八角形の建物)が見える。広場の南には宮殿内から見た正門がある。

その正門のそばを上がると宮殿の前庭に出る。天井が丸く抜けて音響効果が良いらしく、有名なアカペラグループが歌を歌いながらCDを売っている。

宮殿内の街並み。実際に人が住んでいる証左ともなる洗濯物。

北門を出ると10世紀に実在したグルグール・ニンスキ大司教の像。左足の親指を触ると幸福が訪れるという。東門を出ると広場で大規模な青空市場が開かれていた。青果物、花、洋服など市民と思われる方々が大きな包みをもって買いに来ている。

昼食後、今回の旅の最終目的地ドゥブロヴニクに向かう。ドゥブロヴニクは、クロアチア共和国の飛び地になっており、途中ボスニア・ヘルツェゴビ唯一の海港ネウムを通過することになる。安いと評判のネウムのスーパーに立ち寄る。

ドゥブロヴニク旧市街の近くのアドリア海に面したホテルに宿泊。