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ポルトガル旅行~その5~スペイン/サンチャゴ・デ・コンポステーラ

4日目は、ポルトから232㎞北のスペイン・ガルシア州の首都サンチャゴ・デ・コンポステーラに行く。中世ヨーロッパにおいて、盛んに行われた聖地への巡礼の中で、エルサレム、ヴァチカンと並んで三大巡礼地の一つとされた都市だ。イエスの十二使徒の一人ヤコブ(スペイン語でサンチャゴ)の墓が見つかったとされて司教座が置かれ、それ以後聖地として、ヨーロッパ各地からの巡礼が集まるようになった。時はレコンキスタ(国土回復運動)の最中、その地サンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教徒の精神的支柱となり、ヨーロッパ各地から多くの巡礼者が訪れ、教会が建ち、巡礼路ができ町が形成されていった。世界遺産に登録されているのは、フランスからピレネー山脈越えの巡礼路。1000年以上の歴史を持つ聖地への道は、今も年間およそ10万人がフランスからピレネー山脈を越えてゆくそうだ。
聖堂から5km離れた丘に”歓喜の丘”の像がある。巡礼者が最終目的地に近づき歓喜の声を挙げた丘らしい。サンチャゴ・デ・コンポステーラに着き、バス停から大聖堂に向かう時最初に目につくのは、サンフランシスコ修道院。そして大聖堂に着くまでの街並み。

巡礼者が目指す”大聖堂“のあるオブラドイル広場。11世紀に建てられ、広場の東に聳えるヤコブの眠る大聖堂。外観は美しいバロック様式だが、館内の 12 世紀に建造された栄光の門に施された彫刻はロマネスク芸術を代表する傑作だ。広場の北側は旧王立病院。16 世紀に建設されたこの豪華なルネサンス様式の建物は、かつてサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を訪れる巡礼者のための宿泊施設兼病院として利用されていた。現在はホテルになっている。広場の西側に建つラショイ宮殿。この邸宅は、司祭志望者向けの神学校として建てられた。現在では自治体庁舎として利用されている。

近くのアラメダ公園から見る大聖堂が絶景ポイントとか(当日は雨で霞んでいる)。アルメダ公園から大聖堂に戻るビラー通りの景色と、17世紀建立のサンマルティーノピナリオ修道院。

大聖堂に入る。祭壇は工事中で、有名な壺のような香炉が見られないのは残念。聖ヤコブの棺もあった。7月25日が日曜日の年には盛大に聖ヤコブ祭が、プラドいる広場中心に催されるとか。その際、いつも閉じられている”免罪の門“が開かれる。

再度ポルトに戻り。明日はポルト観光と、オビドス散策だ。

ポルトガル旅行~その4~トマール・コインブラ

リスボンから北へバスで2時間ほど、世界遺産“キリスト教修道院”で有名な”トマール“に着く。トマールのキリスト修道院が設立されたのは12世紀、レコンキスタの時代。1147年イスラム舞台からサンタレンの年を取り返した「テンプル騎士団」に初代ポルトガル王「アフォンソ1世」が土地を与え、そこに修道院が創設されたのが始まりだ。14世紀に勢力を強めたテンプル騎士団への解散命令が出されると、当時の国王「ディニス一世」はテンプル騎士団のメンバーを中心に「キリスト騎士団」を結成させ、修道院はその本拠地となった。かの有名な「エンリケ航海王子」はキリスト騎士団の団長を務め、修道院の増築を行った。
まず修道院の入り口では城壁と城壁に囲まれた公園が迎えてくれる。天気も良く気持ちよく歩いていくと修道院に着く。

南門はまさにマヌエル様式の典型だ。

修道院の入口から入場し、二階へ上がると沐浴の回廊がある。近くにあったエンリケ航海王子の住居は廃墟に。

“墓の回廊”はエンリケ航海王子が増築した回廊で、修道士たちの墓所となっています。ヴァスコ・ダ・ガマの兄弟の墓もある。

最大の見どころでもあるロマネスク様式の「テンプル騎士団聖堂」に着く。堂内全体が壁画で覆い尽くされており豪華な雰囲気で、騎士団が戦いに出る前に祈りをささげた聖堂。円堂になっているのは騎士たちが馬で回りながら礼拝することで、いつでも戦いに行けるようにするためだそうだ。マヌエル1世が整備した。

16世紀に増築されたルネサンス様式の回廊である”ジョアン3世の回廊“もある。”サンタ・バルバラの回廊“にはマヌエル様式の窓があり、鎖やロープ、サンゴなど海の産物が刻まれている。

宿坊、学習室も備わっている。貧者にパンなどを供給していた”貧者の回廊“もある。

次に訪れたのはコインブラ、ポルトガル第3の都市だ(リスボン、ポルトに次ぐ)。世界でも珍しく大学そのものが世界遺産に登録されている。コインブラはポルトガル王国を樹立した1143年から、リスボンに遷都する1255年まで首都だった。ヨーロッパ屈指の名門大学であり、1290年リスボンに設立の古い大学だ。教会と政治権力の争いの中、コインブラとリスボンの間を行き来し、最終的に1537年ジョアン3世のときコインブラの地に落ち着いた。当時宮殿だった所を改造して作られた一帯に観光客が集まっている。マヌエル様式とルネサンス様式の“鉄の門”を入るとその地区だ。大学のシンボル“時計塔”とジョアン3世回廊のある法学部教室の建物だ。

黄金の図書館 “ジョアニア図書館”は、金泥細工による装飾や30万冊にも及ぶ蔵書で有名。“世界一美しい図書館”と言われている(今回は入場せず)。門と横から見た光景だ。1階には学生牢があるそうだ。広場にはジョアン3世の像がある。

外に出て、他の大学館を見る。歯学部、医学部、薬学部、工学部などが立ち並ぶ。学生数37000人で70%が女性だとの説明に驚く。

大学が丘の上にあり、かなり急な坂道を降りていく。まずは16世紀末にイエズス会が建造した新カテドラル、その横には国立博物館。そして下っていくと首都時代に作られた旧カテドラルがある。

商店街にはコルクを使ったバッグや靴などの製品が並び、コンペイトウの店もある。ポルトガルはコルク一大生産地だ。

次は、3大聖地の一つ、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラを訪問する。

ポルトガル旅行~その3~シントラ・ロカ岬

ポルトガル旅行~その3~シントラ・ロカ岬
リスボンから北西へ30km強の大西洋に面した世界遺産の街シントラと、ユーラシア大陸最西端のロカ岬に行った。

まずは、詩人バイロンが「この世のエデン」と称えたリスボン近郊の世界遺産の街シントラ。アンデルセンもお気に入りで滞在していたそうだ。そこに王家の夏の離宮として13世紀からディニス王、ジョアン1世、マヌエル1世などが改修しながら利用してきたため、ゴシック、マヌエル、ルネサンス様式の混在する建物となっている。内部に入るとまずは”白鳥の間“で、ジョアン1世が英国に嫁いだ娘の幸福を願って造らせたもの。宮廷舞踏会場として使用された大広間で、天井には、夫婦円満の象徴白鳥が27羽すべて異なるポーズで描かれている。

”カササギの間“はジョアン1世の浮気の言い訳の間で、天井にはおしゃべりなカササギと言い訳の言葉を書かせたと言ういわくつきの間だそうだ。壁には”アズレージョ“がびっしり。

寝室にもアズレージョが一杯。大航海時代のガレー船の舟底が天井になっている”ガレー船の間“。

宮殿で最も豪華な”紋章の間“。天井部分に描かれているのは、16世紀の王侯貴族の紋章。その功績を称えられたヴァスコ・ダ・ガマの紋章もある。壁一面にアズレージョが。

”中国の間“には日本由来の屏風が飾られている。天正遣欧使節団も訪れた礼拝堂。

キッチンも。キッチンの天井に空いた丸い穴は、この宮殿のシンボルの煙突の穴だ。

沐浴の部屋にもアズレージョが一杯。

中庭からはシントラ山の頂上に、800年から900年にムーア人によって作られた城の跡が見える。その近くには外観がすばらしい19世紀の建物ペーナ宮殿もあるらしい。

次に行ったのはシントラから18kmほどのロカ岬。ユーラシア大陸最西端の大西洋に面した岬だ。途中、エニシダやカタバミの花で、山一杯が黄色に染められている。

ロカ岬に立つモニュメントには、ポルトガル最大の詩人と言われ、ジェロニモス修道院に棺も飾られているカモンイス(1524?~1580)の詠んだ「ここに地終わり、海始まる」の詩が刻まれている。灯台と高さ140mの断崖も見ものだ。松葉ボタンの変種シュラオンの花が咲いていた。


次回は、トマールとコインブラ大学で有名な12世紀の首都コインブラを訪れる。