若者に元気のない日本の復活へのグランドデザインは?

「グローバル化、都市集中、環境破壊・・・、もはや近代物質文明は限界!人口減少恐るるに足らず、瀕死の重体、第一次産業を救え!」

「この国の希望の形(新日本文明の可能性)」(伊勢雅臣氏著、グッドブックス、2021.4刊)の帯封に書かれた言葉だ。伊勢氏は、欧米現地法人社長として世界でビジネスを展開しつつ、メルマガで日本の魅力を発信し続けてこられた方だ。

「コロナ禍でも、様々な問題が頻出したが、現在の延長上には、日本の未来はない。我々が抱えている諸問題を解決していくためには、グローバル化と都市集中などに見る近代物質文明を見直し、日本文明(特に1万年以上続いていた縄文時代が参考になる)の特徴であった“自然との和”、“共同体の和”を回復して新たな文明、すなわち新日本文明を築かねばならない」と伊勢氏は主張する。以下、記事の一部を紹介する。

縄文文化が自然との調和の中で、高度の土器文化を発展させ、1万年以上に渡って戦争もなく一つの文化を維持しえたことは脅威と言うほかない。縄文文化が日本列島で花開いた頃、ユーラシア大陸では、黄河、インダス、メソポタニア、エジプト文明など、農耕に基盤を置く古代文明がはなばなしく展開した。これら古代文明は強烈な階級支配の文明であり、自然からの一方的な略奪を根底に持つ農耕と大型家畜を生産の基盤とし、ついには自らの文明を支えた母なる大地とも言うべき森を食いつぶし、滅亡の一途をたどっていく(各文明の跡地は砂漠化)。一方、古代文明ほどの輝きはなかった縄文文化は、たえず自然の再生をベースとし、森を完全に破壊することなく、時代の文明を可容する余力を大地に残して、弥生時代にバトンタッチした。それが共生と循環の文明の原点だった。

青森県の三内丸山遺跡から縄文文化の実態が見えてきた。墓から階級差があまりない平等な戦争のない平和な共同社会であったことが分かった(古代文明では王の墓などから見て階級社会)。世界でも類を見ない高度な土器が世界に先駆けて作られ、食物の長期保存にも役立った、食材も、旬を意識し、魚は幼魚を捕らないことに徹していたようだ。今日の日本料理が多様な食材を旬の時期に料理するのは世界でもユニークな特徴というが、縄文時代から続いている伝統かも知れない。

一方今の日本の現状は如何に。幕末、近くまで押し寄せた西洋の植民地化に対抗するために。それまでの幸福な日本文明を脱ぎ捨て”文明開化“の名のもとに、近代物質文明による富国強兵を進めざるを得なかった。近代物質文明による国づくりにまい進した結果、現在ではグローバル化と都市化と言う面では世界の最先進国となっている。エネルギー自給率は10%にも満たず、食料自給率でもカロリーベースでわずか40%だ。このため、国内の農林水産業は衰退の一途をたどり、製造業でも低賃金国への工場移転で国内の就業機会が失われ、若者の希望喪失を生んでいる。

第一次産業の従事者は激減しており、農業、漁業は20年もたてば消滅の危機にある。林業も四半世紀経てば消滅する。しかし、今でも都道府県別の幸福度ランキングでは、宮崎県、熊本県、福井県など地方がトップを締め(東北圏を除く)、都市圏は下位を低迷している。

地方での就業機会を増やし、地方暮らしで都会より不便な点を改善して、地方の方が経済的にも利便性においても豊かな生活が出来るようにすることが必要だ。例えば福井県は、持ち家率、持ち家の広さ共に全国トップクラス、子供の体力も学力もトップクラスだ。所々で成功例がでている。和歌山県白浜町での企業誘致成功事例、遠隔医療に関しても和歌山県立医科大学でも試みがある。次世代の情報技術を使えば、地方にいながら学習もでき、スポーツも楽しめる。大規模農業から、小規模・家族農業への移行も必要だ。生産者の顔の見える販売網である直売所などで2億円/年の売り上げを上げる所もあるという。

隈研吾氏設計の新国立競技場は47都道府県の木材を使った軒庇が目新しい。日本全土で生えている木材の1/4は杉の木との事だが、乾燥時間の問題(10㎝の角材で3年)も解決され、活用が期待されている。国内の木材需要の6割を海外に依存している実態からの脱皮が期待できる。山が保全されるようになれば、災害も減る。鋼鉄の五分の一の軽さで5倍以上の強度を持つセルソースナノファイバー(CNF)も開発されている。

地球上の人口が今後も急速に増えていく中で、近代物質文明がこのまま進展すれば地球環境が保てないとの危機意識のもと、国連で提唱されたSDG‘sの17原則の達成のためにも縄文文明で考察した持続可能性の5原則(自立性・分散性、適応性、循環性。緩衝性)が不可欠と伊瀬氏は締めている。

阿倍前総理はスローガンに”日本を取り戻す“を挙げた。この意味はなかなか国民に徹底できなかったと思う。我々の期待は、問題点を明らかにしながら、今後の日本の針路を示してくれるものと思っていた。”地方創生“も腰砕けになってしまった感もある。伊勢氏の提言は「日本の将来」に関するグランドデザインの議論のネタにも十分なりうるものであり、農業漁業が廃れると言われる20年先を考えれば取り組みは急がれる。政治家もこのような議論を早急に有識者を巻き込みながらやってほしいと強く思う。若い世代に希望の沸く日本を感じてもらうためにも。

企業文化がプロフェッショナルを生む!

リコールに相当する欠陥を知りながら販売を続けたり、品質基準に満たない製品をデータ改ざんして出荷したりするなど、職業倫理を欠く行為がたびたびある。近くでは三菱電機の30年以上に渡る品質不正事件が発覚した。

「致知2021.8号」に連載中の「仕事と人生に生かすドラッカーの教え(ドラッカー学会理事 佐藤等氏寄稿)」に、冒頭の”職業倫理を欠く行為“を起こさぬための組織文化、企業文化に関するドラッカーの考えを記している。

記事のリード文は”プロフェッショナルにとっての最大の責任は2500年前のギリシヤの名医“ヒポクラテスの誓い”の中にはっきり明示されている”知りながら害をなすな“である”。「組織を構成するプロフェッショナルは冒頭のようなことを冒すはずがない」、と。

現代の組織は、何らかの意味で卓越性をもって社会に貢献している存在。つまり、卓越性はプロフェッショナルの基盤。それゆえ提供する製品やサービスに嘘や偽りがあってはならない。専門家でない者はそれを見抜く能力をもってない筈。上記のような職業倫理に反する行為はコンプライアンス違反と言われるが、単に法令を順守すればいいのかというとそうではない。法令はどのような行為が正しくないかを示すに過ぎないが、倫理はどのような行為が正しいかを示す。

ドラッカーは「マネージメントの立場にあるものはすべて、リーダー的地位にあるグループの一員として、プロフェッショナルの倫理を要求される。すなわち責任の倫理を要求される(ドラッカー著“マネージメント”より)」と言う。プロフェッショナルの倫理は組織行動を通して実現するもので、問われるのは“組織の在り方”と言う。

組織文化として有名なのが、ジョンソン・アンド・ジョンソンの「我が信条our Credo」(1943年制定)だ。何者かに毒を混入された製品事故(1982年、1986年)の際、当初生産工程に問題があると思い、事実を包み隠さず発信し続け、3100万個の製品回収を即座に実施、1億ドルの損失を被った。この行動の原点が「我が信条」だ。「我々の第一の責任は、我々の製品およびサービスを使用してくれる患者、医師、看護師、そして母親、父親をはじめとする、すべての顧客に対するものであると確信する」とあり、さらに顧客、社会、株主と言う順序で優先的に負うべき責任が明示されている。我が信条の起草者で最高経営責任者は、「“我が信条”がわが社の経営理念だ。これに賛同できない人は他社で働いてくれて構わない」と言い放ったそうだ。

経営理念の形骸化は、まさに「知りながら害をなす」の典型として直ちに改めるべき。経営理念や信条の遵守は、プロフェッショナルの倫理の中心に据えるべきもの。

ドラッカーに言わせれば、冒頭に述べた職業倫理を欠く行為は、組織として論外と言い放つのだろう。当記事では、稲盛和夫氏の自問「動機善なりや、私心なかりしか」や、平澤興1日一言にある「誠実の心は、己に対し、他人に対し、また仕事に対し、物に対して常に己の最善を尽くし、良心を欺いたり、手を省いたりしないのであります」との言葉を紹介し、組織作りは我づくりから、修己治人の原則を胸に人格の涵養に努めたいと締めている。

現役を辞してもはや10年の私だが、人生100年時代、何事に対しても誠実さを失わず、悔いのない綺麗な人生をこころがけたい。