「海外旅行(中欧旅行)」カテゴリーアーカイブ

日本の文化の特殊性(中欧旅行で感ずること)

「日本の文化 本当は何がすごいのか」(有鵬社刊、田中英道著、2013.4.1)と言う本が出版されている。その中に「島国と大陸という異なる自然環境のもとでは、人間観も異なる。大移動と侵略が繰り返された大陸では、人間観の根底には、争いに備えねばならないと言う感覚、覚悟がある。一方で、自然に恵まれ、狩猟、採集、漁労だけで共同生活を営むことが出来た日本では、“争わない”生き方が形成された」とある。大陸の「争い」の文化と「人間性にあふれた幸福な」日本の文化の違いを説いている。「争い」の中では、キリスト教や儒教で道徳を説く必要があったが、日本ではその必要性はなく、日本文化の根幹は神道の自然信仰、「自然を受け入れる」との思想となった。東日本大震災の際、日本人が見せた秩序正しい行動、忍耐強さは西洋人に感動を与えた。その根底にある思想、自然を受け入れるという自然信仰は、世界の中心的思想になりうる。これまで、自然を支配する事しか考えていなかったヨーロッパ人に、東日本大震災における日本人の行動が「自然を受け入れ、信じる」ことの重要性を気付かせたと田中氏は言う。

今回の中欧の旅で訪れた諸国(チェコ・スロバキア・ハンガリー・オーストリア)の歴史をひも解いて見ると、まさに侵略と大移動の歴史である。各国で伝統的な王宮や、教会が目立つが、その姿も侵略の歴史を物語っている。例えばブダペストでは13世紀にモンゴルにより侵略され、当時の王(ベーラ4世)が防御のために街を石の城壁で囲み、自らの王宮もブダの一番上の丘に据えた。そして、マーチャーシュ教会(ロマネスク様式)もキリスト教徒のために建立した。が16世紀にオスマントルコに侵略され、マーチャーシュ教会はイスラム教徒用のモスクに改築された。その後、ハブスブルグ家の支配になって再び教会に戻り、バロック様式の装飾が施された。

侵略、大移動により、ケルト人、ゲルマン人から始まり、スラブ人、ローマ人、ユダヤ人、ドイツ人などが入り交ざり、多言語国家になっている。まさに民族闘争、宗教戦争の連続で国境自体がたびたび変わる。皇帝、国王もどこから来るかわからない。来るとその権力を誇示するために、財力を思い切り使って施設を作り、財宝を取り寄せる。領土を広がるための政略結婚も当たり前(マリーアントワネットも意に沿わないフランスのルイ16世と結婚させられる)。まさに田中氏の言うように「争い」に備えることが第一義の文化と言う実感を覚える。それに比して、日本の歴史を考えると、同じ民族同士の争いで、他国からの侵略はない。民族大移動もなく、地域の自然を受け入れ、愛でる文化は自然と養われたとの説は納得性が出てくる。武士道、茶道、華道など、「道」を探求し、日本独自の文化を形成できたのも分かる気がする。

田中氏の言うように、日本の良さに気付いた大陸文化の国々に、日本独自の「人間性にあふれた幸福な」文化を広めることが、真のグローバル化の目的かも知れない。

中欧4か国人気都市めぐりの旅~その7~

『音楽の都』ウィーン

いよいよ6日目、今回の旅の最後は、ウィーン観光だ。連日好天気に恵まれ、気温も昼は少し日本より暑い程度。

シェーンブルン宮殿

まづ最初に訪れたのは、シェーンブルン宮殿。オーストリアを600年に渡って統治したハプスブルグ家の夏の離宮として17世紀に建てられ、マリア・テレジアに時代に完成した。内部も豪華絢爛だが、東京ドーム約36個分と言われる庭園もすばらしい。一番奥の高台にあるのは、プロイセンとの戦いの戦勝記念兼戦死者追悼碑である「グロリエッテ」。真ん中の噴水は「ネプチューン」。内部はマリア・テレジアがその権勢を誇示するために、贅を尽くしたシャンゼリアや装飾物が、1441個の部屋に飾られている。マリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットの部屋もある。オーストリア帝国最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の王妃エリザベート(絶世の美女で有名、日本の篤姫と同時代)もこの宮殿で過ごした。東インド貿易を通じて、中国から陶磁器なども買い込み飾られている(「青い中国の間」)。「日本の間」もありそこには伊万里焼などがあるそうだ。

美術史美術館

次に行ったのは、王宮と道を挟んで対面にある美術史博物館。ウイーン美術史博物館は、広くハプスブルグ帝国から絵画が集められ、その勢力範囲であったイタリア、オランダ、スペイン、ドイツから中世の素晴らしい作品が多く集められている。ベラスケス、ルーベンス、フェルメール[絵画芸術」、ラファエロ「草原の聖母」、ブリューゲル「バベルの塔」など著名な画家の絵が飾られている。ガイドの説明によると、中世では、字の読めない人が多く、「絵がメディアの役割を果たしていた」との事(「バベルの塔」は、実現不可能な天に届く塔を建設しようとしたが崩れてしまい建設は不可能という村民に対し、領主が工事を続けろと命令している絵)。「紋章などを描くことによって誰か特定できストーリーが説明できる」との話に納得した。マリア・テレジアやエリザベートなど、宮廷画家によるオーストリア皇帝、王妃の絵画も多い。美術館の外に出ると、女帝マリア・テレジア像が広場に堂々とした威風を示している。後方は自然史博物館。

ベルヴェデール宮殿&シュテファン寺院他

午後は自由時間で、少し中心部から離れたベルヴェデール宮殿に行くことにした。トラムで行くことにしたが、事故でトラムが来ない。後で行くことにしていたシュテファン大聖堂に先に行くことに。最も人で賑わうケルントナー通りを行くと荘厳な尖塔に覆われたシュテファン大聖堂に着いた。モザイク模様の屋根が美しい。5万枚ものタイルを使って造った屋根だとか。二つの尖塔は1147年にロマネスク様式で作られたが14世紀にゴシック様式に建て替えられたそうだ。内部はステンドグラスが美しい。外の光が差し込み微妙な色のバランスが壁に映し出され見事な模様を浮かび上がらせていた。トラムが動き出したのでベルヴェデール宮殿に行った。左右対称のデザインが優美なバロック建築で、クリムトの絵が飾られている。初めて見る「接吻」の絵にみとれてしまった。その後、トリムでオペラ座のあるところまで戻った。オペラ座ではワグナーのオペラを公演中で、そのライブ映像が外部に設置された画面に映し出され、席まで設けられた観客席で多くの人が観劇している。珍しい光景を見た。その後、世界一有名なチョコレートケーキ「ザッハ・トルテ」を食べにホテル・ザッハに向かった。ウィーンでは日常的に飲まれているエスプレッソと温かいミルクを加えた上にミルクの泡を 載せたメランジェと一緒に頼んだ。最後は、モーツアルトとヨハンシュトラウスの曲を聴くコンサートに行った。弦楽四重奏だが、コンサートマスターが若くて可愛い女性バイオリニストであったこともあったが、オペラ曲やダンサーの踊りもあり楽しませてもらった。

今回ご一緒させて頂いたグループの皆さんともほんとに楽しませて頂いた。この場を借りて御礼を言いたい(電池キレで最後は撮れなかった分、グループの方から一部画像を頂いてUPしています)。

中欧4か国人気都市めぐりの旅~その6~

「ドナウの真珠」ブダペストへ(ハンガリー)

ブラチスラバから、3時間ほどでハンガリーの首都で、「ドナウの真珠」と讃えられる美しい街ブダペストに着いた。チェコと同じく夕食の場で生演奏があった。それぞれのテーブルを訪れて、日本人なら日本の歌を演奏してくれる(チップを渡し損ねた!?)。そして20時30分まだ西の空に多少茜色が残る(暮れるのが遅い)頃、ドナウ河のクルーズ船に乗り込む(13人専用)。

ドナウ河クルーズ

翌朝ブダペストの街の観光をすることになっているが、ドナウ河から先に夜景で見ることになる。よる8時30分と言うのにまだ空は明るい(船着場から見た光景)。ブダペストは、西岸のブダ地区(王宮のある街)と東岸のペスト地区(国会議事堂のある街)があり、その間にドナウ河がある。まず東岸の国会議事堂が見えてきた。ブダペストのシンボルと言われるように立派な建物だ。ハプスブル帝国の支配下にあったハンガリー王国が、1867年オーストリア・ハンガリー帝国となりオーストリアから自治を獲得。その時にブダ地区とペスト地区を統合してブダペスト市を作ると同時に国会議事堂建築に着手。20年近くかけ、4000万個のレンガ、50万の宝石と40kgの金を使ったバロックとネオゴシックの混じった独特の建築物となった。次の写真の奥にある尖塔がマーチャーシュ教会(翌朝見学)。次が王宮。9時頃になってやっと橋や建物のライトアップが始まった。エリザベート橋のライトアップの設計は日本人とか。両岸の建物と橋がほとんどライトアップされている。2段目の4枚目が鎖橋と王宮あたり。3段目最後が先ほどの国会議事堂。(不覚にもデジカメの充電器を忘れ、電池容量を気にしながらの撮影で思うような写真取れず―言い訳?)

市街観光

5日目は朝からブダペスト観光。まず、両側にライオン像のある鎖橋を渡ってペスト地区へ。まず行ったのが、英雄広場。1896年に建国1000年を祝って造られた広場。ハンガリーの英雄たちが飾られている。一段高い真ん中の塔の先端には、大天使ガブリエルが天に向かって十字架と王冠を掲げている。言い伝えによると、ローマ法王ジルヴェスター二世の前に大天使ガブリエルが現れ、イシュトヴァーンをキリスト教国の王として認知するように告げた。その初代の王イシュトバーン王など14人の像が並んでいる。次に向かったのは、聖イシュトバーン大聖堂。1851年から50年近い年月を要して、ハンガリー建国の王を祀るために建てられた。内部の写真中央で光る像がイシュトバーンだ。中央のドームには多くの窓があり、内部を明るく照らす仕組みになっている。描かれているモザイク画はハンガリーを代表する画家ロツ・カーロイ(1833~1904年)の作品だ。次に向かったのは、ブダ地区にある「漁夫の砦」。漁夫の砦は王宮の丘の一角にあり、ドナウ河の漁師がこのあたりを守っていたこと、このあたりに魚市場があったから名付けられたとのことだ。英雄広場と同様、建国1000年を記念して造られた。白い石造りのネオ・ロマネスク式の建物で、三角のとんがり屋根をもつ丸塔が7つある。ハンガリーを建国したマジャール人の7部族を表わしているとのことだ。像は初代国王イシュトバーン。その広場にゴシック様式のマーチャーシュ教会がある。内部に入るとステンドグラスが一際鮮やかに輝く。漁夫の砦からペスト地区を望む。ドナウ河の向うに国会議事堂や大聖堂が見える。

15時過ぎ、ブダペスト東駅から列車でウィーン西駅へ向かう。約3時間の工程だ。

いよいよ翌日6日目のウィーン観光が、今回の旅の終わりとなる。