今日1月31日は「愛妻の日」!?

‘1月29日日比谷公園で「愛妻宣言」’との記事が昨日の朝日新聞に掲載されていた。妻への愛や感謝の思いを大声で叫ぶイベントで、今年で6回目とか。参加自由で、この日は約20人が「永遠の愛」の花言葉を持つチューリップの花束を手にして舞台で大声を上げた由。仕事帰りのサラリーマンが奥さんと共に参加しお互いに愛を叫ぶ微笑ましい場面もあったそうだ。日本愛妻家教会山名会長の「日本の男性は世界でも奥さんに愛情を伝えるのが上手ではないと思われている。妻への感情を表現し、もっと日本が元気になってほしい」との言葉も紹介されている。

一昨日の朝日新聞では、2面全面広告で「愛妻新聞」の記事を掲載している。31日午後8時9分から10秒間、お互いにハグしあって、平和を祈る、それも世界中100万人がとある。こんなバカバカしい、いや、ロマンチックなソーシャルアクションが始まって3年目だそうだ。もともと1月31日がなぜ愛妻の日?‘1’をローマ字の「I(あい)」と読み、‘31’を「さい」と読み、合わせて「あいさい(愛妻)」ということらしい。なぜ8時9分か?「ハ(8)グ(9)」との事。そもそも日本愛妻家協会が群馬県嬬恋村にあったことも知らなかったが、それも名誉会長は日本武尊(やまとたけるのみこと)で2004年に設立らしい。もともと嬬恋村の村名は、日本武尊が碓日坂で亡き妻を偲んで「あづまはや(我妻よ)」と嘆いた故事にちなんでついた名前らしい。日本武尊が会長就任を受諾して言った言葉が紹介されている・「坂本竜馬君しかり、豊臣秀吉君しかり、強い男ほど妻には弱いもの。いや、世の中を変えたければまず妻を愛すべきだ。21世紀日本に漂う閉塞感も、これで打破できる筈」と喜んだと。日本書紀では、無類の暴れん坊将軍として名をはせた日本武尊の言葉だけに説得力があると最後締めている。

家庭が円満であることは誰もが望んでいることと思います。こんな行事を、馬鹿げていると思わず、逆に利用して、お互いに愛を確認し合い、理解し合う日となればと強く思います。頑張って!私も頑張ります(と言いながら、今日は飲み会だった???)。

要介護者対象の旅行業を運営する若者!

学生時代にキャンパスベンチャーグランプリ(CVG)全国大会経済産業大臣賞(’07年)を受賞し、ビジネスを始めた同志社大学学生だった佐野恵一氏(現たびらく社長で28歳)。

そもそものきっかけは、大学1年生の年末に要介護者の祖母を連れて家族旅行をした時、旅館などで、入浴の介助を頼んでも「出来ません」と言われ、お母さんが疲れを癒すどころかへとへとになってしまった事と言う。温泉旅館が概して入浴補助に消極的なら、需要はありそうだとの単純な発想での企業だったと言う。旅館で出来ないなら我々がやってやろうと気軽な気持ちでビジネスを始めた。右も左も分からない状態で、右往左往しながらもなんとか前に進めることが出来たそうだ。例えば、最初はボランティアで始めたが、責任の所在が不明確になったり、同行者の旅費コストもあり、ご本人がボランティアに気兼ねして我慢するようなことが分かり有償にしたそうだ。しかし有償と言っても、明朗会計を心がけ、お客様とは別の格安ホテルに宿泊したりして、コストの抑制に努めている。お客様の負担を減らすために出発地からの同行ではなく、現地まで来ていただき観光する形の着地型旅行にも力を入れているとか。

株式会社になってから4年、リピーターが83%との事だが、この事業をやってみて、ご本人が旅行を楽しむことを目的として始めたが、旅行を通して元気になられる事例が多く見られるそうだ。内にこもっていた行動様式が、旅をすることで今まであきらめていたことができるようになったり、実際、ほとんど歩けなかった人が歩けるようになったり、食事が十分とれなかった人が会席料理をペロッと平らげたり、3年くらい声が出なかった人が、帰り際に「ありがとう」と言ったりする。「旅は最高のリハビリ」であり、まさに「心が動くと体が動く」ということを実感すると佐野氏は言う。初めは、これが最後の旅行と思って申し込む人が、一度旅行を経験すると自信がついて「また行きたい」と言う思いが膨らむ。リピーターのほとんどがこのような方だと言う。そのためには、同行するスタッフには、第三者から見たら「立派な息子・娘」「礼儀正しい孫」といった感じでふるまえるようにとの躾を徹底しているそうだ。

佐野氏の理想は、「体の不自由な人が旅行に行きたいときに行けるような社会」で、「今の事業が不要になる社会」と言う。しかし、その道は険しく、東日本大震災で「助け合いの精神」が海外からも評価されたが、実際は温泉旅館や、街行く人などの心配り、理解、そしてバリアフリー化もまだまだ足りないと嘆く。佐野氏は、理想を求めて、ホテル、旅館、飲食店などに対して「バリアフリー社会」の啓もう活動もやっている。京都で、行政に先駆けて「バリアフリー観光案内所」を6年前から設けているが、最近行政の理解も進み、京都を車椅子の外国人でも安心して旅が出来るよう力を入れ始めていると言う。

こんな使命感に燃えた若者もいる。高齢化社会を迎えるにあたって、高齢者の旅を活性化することは「成長戦略」にもなるし、元気な高齢者を同行スタッフにして、生産力UPにもつなげる、これからの世界をよりよくする大きなヒントを与えてくれているのではなかろうか。頑張れ!佐野くん。

我が家の愛猫逝く(25日)

今日の日経夕刊4面に、歌人の小島ゆかり氏の「愛猫のたますけ」とのコラム(プロムナード)がある。まさに猫の態様を表わしたものと、微笑みながら読み終えた。

「自分の体を、日々大切そうに隅々まで嘗め、食事の時は食事に排泄の時は排泄に集中し、時々草を噛んでは歯を掃除し、草と共に毛玉を吐いては胃腸を洗浄し、見事なまでに自己管理を続けている。」

まさにその自己管理で、我が愛猫「ルイ子」は17年間病気らしい病気をせず、我々を癒してくれた。

「さらに精神的にも強い。過去を振り返らず、未来を頼まず、そうかといって、今を懸命に生きている風でもない。ある時は、窓にたたずむ姿に哀愁を感じて抱きしめようとしたところ、窓の外の鳥を追って歯を鳴らしていた。哀愁どころか、野生の狩猟本能が目覚めていたのだ。」

寝るときは寝る、何かして欲しい時は鳴く、自然体で過ごしながらも、ベランダの花の実を狙ってきた鳥に対しては、ガラス越しとは言え、目と体が戦闘態勢に入る姿はまさに野生本能そのものだ。

「呼べども呼べども無視をつらぬくかと思えば、台所に立つ気配は決して聞き漏らさず、あからさまにすり寄って食べ物をねだるが、そんな時すら、卑屈な表情など微塵も見せない。そして欲求が満たされれば、感謝もへったくれもない。」

冷蔵庫を開ける音や、好物の刺身(特にマグロ)を買ってきたときには敏感で、別室で寝ていても、いつの間にやら家内にまとわりついている。私にも、手から食べ物をほしいとねだり、ペロペロおいしそうに食べるも、食べ終わったらプイとどこかへ行ってしまう。

昨日(25日)早朝、東京転勤後の生活を一緒した我が家の愛猫「ルイ子」が息を引き取った(http://jasipa.jp/blog-entry/6656)。17歳位と思う。何も食べられないようになって10日間、老衰状態で、自然体での死だった。家内はかなりのショックを受けていたが、我々を癒してくれた「ルイ子」に精一杯の看病が出来(二晩も付ききりで寝ずの看病)、悔いはないと言っている。明日、家内の里に行って、埋葬してやる予定だ。(写真は、14日成人の日、大雪をバックに)