「オムロン」カテゴリーアーカイブ

オムロンの語源?

今月の日経「私の履歴書」にオムロン名誉会長立石義雄氏が登場した。お父さんの一真氏が昭和8年に大阪で創業されてから約80年。以前「京都の企業はなぜ元気?」(http://jasipa.jp/blog-entry/7037)という堀場製作所の堀場厚社長の本を紹介したが、京セラはじめ京都の企業には興味があるため、今回の「私の履歴書」は楽しみだ。立石電機製作所(現オムロン)創業者立石一真氏の経営哲学を紹介する『「できません」と云うな』(湯谷昇羊著、ダイヤモンド社)も紹介した(http://jasipa.jp/blog-entry/7215)。

まだ始まったばかりだが、昨日(3日)の記事で、オムロンの社名の由来が、京都の「御室(おむろ)」だというのを初めて知った。昭和8年大阪(豊島区東野田)で創業したが、第二次世界大戦で京都に疎開し(大阪の工場は爆撃で焼け落ちた)、御室仁和寺(おむろにんなじ)に近い右京区花園に工場を建てたのが、その由来とか。今は、この地は住宅地になっていて、碑だけが残っているらしい。

立石氏が信条としているのは「人の幸せを我が喜びとする」と「顧客から学ぶ」だそうだ。父一真氏が、同じく「私の履歴書」の書き出しで「もっとも良く人を幸せにする人が最もよく幸せになる。これが七十余年に及ぶ人生を振り返って得た結論であり、同時に私の信条信念でもある」と書かれたそうで、この言葉に触発され、冒頭の最初の信条を貫かれているそうだ。後者の「顧客からに学ぶ」は、社長に着任された時に妙心寺の管長に揮毫してもらい、社長室に掲げられているそうだ。他社に学べば後追いになる。社内で学ぶと自己満足に陥る。お客様や市場の声に耳を傾けニーズを掘り起こす、つまり創造するのがベンチャー企業の存在価値との思いが込められている。創業者一真氏の、お客様から言われたことに「出来ませんというな」との思いと一致する。義雄氏も「未来を予測して、事業を通じて人の幸せづくりをして、社会の発展に貢献する事こそが経営者の務めで、それが創業DNAだ」と言う。強い思いを持って次々と新しい技術を開発し、成功したオムロンの強さとなっているのだろう。

これから1ヵ月続く記事が楽しみだ。

「できません」と云うな

IT業界の改革が叫ばれ、顧客隷属型(お客様のいうまま)からパートナー型(お客様と一緒に考える)への脱皮が言われている。この点を少し考察してみる。

1月3日「私の新春初夢(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2012/1/3)」でJASIPAの夢を下記のように語りました。

  • プライムで請けたお客様をトコトン大事にします。(信頼関係を築きます)
  • 日頃の対話の中から、お客様の課題・期待を聞き出します。自社で解決できる問題だけでなく、JASIPA会員企業全体で解決できる問題も含めて。
  • JASIPA会員全体の知恵で、提案をします。
  • 各社は自社の強みを打ち出し、それを徹底的に磨きます。
  • お客さまは、JASIPA株式会社の総合力での対応に満足します。
  • 総合力として不足の技術を持つベンダーを誘い込みながら、より大きなアライアンス集団としてJASIPAを発展させていきます。

立石電機製作所(現オムロン)創業者立石一真氏の経営哲学を紹介する『「できません」と云うな』(湯谷昇羊著、ダイヤモンド社)によれば、お客様から何を要求されても「できませんというな」を徹底したそうだ。そして「為せば成る、難しい技術開発でも、執念と努力、技術があれば可能」とお客様の要求を、社員のチャレンジ精神に変え、見事にお客様の信頼を得ながら大きくなっていった。

お客様とパートナー関係を強化するためには、お客様の課題を幅広くとらえ、お客様に提案できる体制が必要となる。そのためには、自分(会社)が扱っているソリューションだけに注力していたのでは、パートナー関係の構築はできない。いろんな部署、企業との連携を前提に「できません」と言わず、出来る案を考えねばならない。しかし、以前‘大企業病’という言葉がはやった時があったが、今でも部門間の連携が円滑に行く大企業は少ないのではないだろうか?いろいろ施策を講じていると思うが、業績主義が台頭してきてから、より困難になっているように思う。このことを考えると、会社ごとのアライアンスの方が連携は柔軟でやりやすいのではと考える。すなわち、JASIPA会員企業のような規模で、それぞれ得意技を磨き、それらを融通無碍に組み合わせてお客様の問題解決に資することが出来ること、これがJASIPAの目指すべき道と思える。

日本人は内向き志向が強いと言われるが、お客様視点で考えられる人材に育て上げる必要がある。自分の知識(ソリューション)の範囲でしかお客様と話が出来ないのでは、物足りない。逃げずに、幅広く問題を把握できるように育てることが欠かせない。そうして捉えた問題を、JASIPA株式会社内で会員企業に展開し、提案につなげることが出来る、それが「私の新春初夢」の思いです。正夢にしたい!

京都の企業はなぜ元気?

堀場製作所の堀場厚社長の著になる「京都の企業はなぜ独創的で業績がいいのか(講談社)」と言う本が出版された(2011.10)。そう言えば、堀場製作所、ローム、日本電産、村田製作所、京セラなど京都で生まれ、京都で育った企業は、昨今の製造業に対する逆風の中でも元気である。

以前、ある大先輩(日立出身で同志社大学教授も歴任)から、「京都の企業は、大阪などと違って、本社を京都から東京に移す企業がほとんどないが、その理由は分かるか」と聞かれた事がある。その方の言われる理由は非常に明快で「海外の企業が京都を訪問する際は、社長自らが来たがる。そのため、商談が早い」。そのため、祇園だけではなく、東山連峰の麓にも「一夜一顧客」のような豪勢な接待料亭が数多くあるとか。

堀場氏は、京都は市場規模も小さく、四方を山に囲まれているため、大工場を作る事も出来ない環境の中で育ったことで、独自性、独創性を育てざるを得なかったと言う。その独自性も、業種を横断した横のネットワークを重視し、棲み分けを程よく行ってきた歴史があると言う。西陣織の職人や、茶道の家元、華道の家元も加えて、各経営者がいつでも会える風土を作りだし、切磋琢磨出来るネットワーク環境が独創性を育んでいる。その独創性を継続できるのは、「職人=プロを大事にする風土」が根付いているからと言う。大工場が作れないため、分業制が発達、その分業職業集団の中で、優れた技術を次世代に踏襲して行く、そんな風土が、人財育成にもつながっている。

さらに、京都人の特質として「目に見えないものを重視する」を挙げる。これを企業経営に当てはめると、人財(人材)や技術力、お客様とのリレーション、組織力、ブランド力など目に見えない資産を重視する経営を言う。HORIBA流「人財」の育て方として、基礎・基本をきちんと教える、失敗を経験させる(チャレンジ精神)、目に見えない行動や努力を誉める、本物を教えることを重視している。

HORIBAグループの社是は「おもしろおかしく」。この社是には、人生の一番よい時期を過ごす「会社での日常」を積極的でエキサイティングなものにしてほしいという、前向きな願いが込められています。5年連続で「働きがいのある会社」に選ばれています。