特定秘密保護法案、なぜそんなに急ぐ???

安倍政権になって、脱デフレ対策が功を奏し、気持ちの上でも随分明るい兆しが出てきた。後は実行あるのみで、10月からの臨時国会は「成長戦略実行国会」と安倍総理自ら命名し、規制緩和など具体的な施策が次々と出てくるものと期待していた。が、産業競争力強化法案やプログラム法案など、具体的な施策はほとんどなく、これから検討する工程表が出てきただけのような感じを受け、当初の安倍総理の岩盤規制を崩していくとの意気込みに対して多少落胆している。

それに加えて、特定秘密保護法案の承認プロセスには、がっかりしている。ほんとに久しぶりに、国会特別委員会での審議状況をテレビで真剣に見た。前日(25日)の福島県での公聴会では全員が慎重審議や反対意見を述べたことで、少しは真剣に法案内容に関して議論が行われるかと思って聞いていたが、2時間(最初から決められていた?)と言う短い時間内での議論はまったく実のあるものとは思えなかった。例えば「第三者機関チェック体制は作るのか,作らないのか?」の質問に対し、与党の答弁は「検討していく」「私は必要だと思っている(総理)」と曖昧にはぐらかす。ともかく福島県の公聴会と同じく、法案を通すために「プロセスは踏んだ」との形だけを作ればいいと、数の論理で押し通す意図がありありと見えてきた。そもそもこの法案の担当は菅官房長官だった。NSC法案を優先するため、菅官房長官をそちらに専従させ、急遽森氏を国会の答弁者として担当に割り当てたと言う(法案が承認されるまでの担当?)。答弁を森氏に急遽任せたため、知識不足の森氏の発言が二転三転している。特定秘密保護法案を、国民の大多数が不安視する中で、安倍総理は口では丁寧に国民に説明すると言いつつ、国民を軽視しているのではなかろうかと思ってしまう。

政治家、官僚という種族は、責任を取りたくなく、どちらかと言えば情報は秘匿する方向で考える志向をすると言われる。まさに秘密の範囲が曖昧な場合、丹羽氏の言う「官僚の性(さが)、秘密は増殖する」と思わざるをえない。今年6月に公表された秘密保護と知る権利を調整する国際指針「ツワネ原則」には、独立した監視機関・秘密指定の解除の明確な手続き・公益性の高い内部告発者の保護の3つが謳われている。なぜ、これも無視するのだろうか?30年とか60年とかの特定秘密指定期限も、その時はもはや機密指定者はいないか、責任を云々できる地位にはいない。ノーベル化学賞の白川さんなども反対表明しているが、基礎研究をしている科学者は、その研究結果がどのように適用、応用されるかまでは認識できず、勝手に機密だと言われてしまえば論文発表も出来なくなるどころか、論文発表すれば逮捕される可能性も出てくると恐れている。

今夕(30日)の朝日新聞夕刊に首相秘書官がテレビ朝日の番組で「第三者機関設置を明言」とある。なぜ国会で明言しないのだろうか?安倍政権には脱デフレを期待しているが、100年先を見た国家像という長期視点での議論も国会でしてほしいと願うがいかがなものだろうか?主要なポスト(NHK経営委員など)に安倍総理周辺を充当する人事もあからさまだ。企業に社外取締役を要求する論理(企業でも権力を握ると傲慢になる)と矛盾するのではなかろうか。100年後1党支配の怖さを反省することになる怖さを覚え始めた。

国民に説明責任も果たさず、国民の声も無視して突っ走る自民党に将来を期待していいものかどうか、迷い始めている。

第19回JASIPA経営者サロン(in高崎)実施(28日)

これまでのJASIPA事務所での開催から、会員企業あるいは、地方に出向いて実施することとし、先月の日本システムデザイン殿での開催(http://jasipa.jp/blog-entry/9135)に引き続いて、今回は群馬県高崎市で実施した。現在群馬県では5社にJASIPA会員となって頂いているが、仲間をもっと増やし、いずれは北関東支部として活動を活性化したいとの思いを持って、北関東の方々にJASIPAの活動を知って頂くことも一つの目的として開催させて頂いた。

参加して頂いた方は、総勢22名。内7名がゲスト(非会員)の方で、東京からは和知理事長、堀事務局長はじめ、理事の方々など8名の参加となった。15時から高崎駅前の貸会議室で、ブロードヒューマンネットワークの岩崎代表取締役の司会進行で始まった。最初の30分は、ゲストの方にJASIPAを知って頂く時間とし、和知理事長の挨拶と、林研修委員長からJASIPAの活動内容紹介を行った。15時30分から17時まで私が担当し、「“燃える集団”で“お客さま第一”の風土を創ろう」とのテーマでお話しさせて頂いた。

「“リピート客化”がなぜ経営のポイントになるか?」から初めて、「今お付き合い頂いているお客さまに如何にリピート客になって頂くか?」、「そのためには、社員が、組織が何をせねばならないか?」、すなわち「お客さま第一」の理念をどう行動に移すか、を主テーマとして話をさせて頂いた。そして、「お客さま第一」の理念を組織内に浸透させ、社員自ら自立的に行動できる風土創り、すなわち“燃える集団”“打てば響く組織”“働き甲斐のある職場”にするための種々の方策を、模範企業の実例や、私の実体験を通して説明させて頂いた。

皆さんの熱心にメモを取りながら聞いて下さっている姿に力が入り、私の一方的な話しで時間オーバーになってしまった。質疑応答を入れたかったが、申し訳なかったと思っている。IT業界の構造改革が求められている今、自社において何がお客さまへの付加価値として他社と差別化できるか、言い換えれば自社の強みを把握し、さらにそれを伸ばしつつお客様の心を捉まえていく、そして同業他社とのネットワークをより緊密なものとしながら、各社の強みを組み合わせてお客様のより大きな問題解決に資することを目指すとの方向性を素早く打ち立て行動に移すことが各社に求められている。ゲストの皆さんには、JASIPA会員同志のネットワーク創りのために是非とも仲間に入って活躍されることを願っている。

終了後は、恒例の懇親会を開催。ゲストの方にも参加頂き、名刺交換から始まり、時間が経つにつれて大いに盛り上がった高崎の夜だった(二次会にも繰り出したと思われる)。ご出席の皆さまありがとうございました。

障碍者レーナ・マリアさんのゴスペルシンガーへの道のり

生まれつき両腕が無く、左足が右足の半分と言う重度の障碍を持ちながら、18歳の時から出ている障害者の水泳世界選手権などで数々のメダルを獲得し、1988年のソウルパラリンピックにおいても好成績を収め、かつ高校から音楽専攻科に進みストックホルム音楽大学において声楽を学び、卒業後はゴスペルシンガーとして世界的に活躍されているスウェーデン生まれ(1968年)の女性レーナ・マリアさん。日本も含めて各国から講演のオファーが絶えないと言う。「致知2013.12」に「神様は私に手の代わりに心の中の豊かさを与えた」と題したインタビュー記事があった。こんな重度の障碍を持って生まれながら、「物心がついてから少し不便だなと思うことはありますが、悲しんだり落ち込んだりしたことは一度もありません」と言い切る。これが格好をつけて言っている言葉ではないことは、水泳、音楽家としての道を大成された実績を見れば明らかだと言えるのではなかろうか。日本でも全国各地でコンサートを開き日本語の歌も歌われている(カチューシャの唄の例:http://video.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2 )。

これだけ重度の障碍ながら、「悲しんだり、落ち込んだりしたことは一度もない」というのに正直驚かされた。小さい頃から障害者としてではなく、一人の娘として育ててくれた両親に感謝していると言う。両親はいつも「神様に愛されていること、そして神様に特別の計画がおありだから、他の人と違う形につくられた」と話してくれた。3,4歳から父の勧めで機能訓練のため水泳を始めた。5歳で潜水、背泳、クロールも上手になったそうだ。水泳のお蔭でスケートや編み物、刺繍なども出来るようになった。スウェーデンと日本では社会保障制度では随分違う(ハンディキャップがある人には必要があれば生後すぐヘルパーが一人つくことなど)とはいえ、レーナさんは日本に来て、日本人はハンディキャップがある人を見れば「かわいそう」と思っていろいろ世話をするが、「かわいそうと思うより自分で何でもできるようにしてあげるのが大切」と言い切る。両親が、レーナは階段も上がれないし、字もかけないから普通の学校に行くのは無理だね、と言われたら今の自分はないと言う。普通学校に通ったが、からかわれてつらい思いをするのは健常児も一緒。同級生に「おい、一本足、元気そうじゃないか」と言われたら「ありがとう、二本足、あなたも元気そうね」と答える。自己憐憫にあったり、人を羨んだり、自分に自信がなかったりすると、誰かの言葉に傷ついて人生は辛くなるのでは、とも言う。

なぜ自分がそんなに強くなれたか?家族や友人、そして神様などから愛されていると感じるから。人間は自分一人で強くなることは出来ない。もしも私が強い人間だと思う人が居るなら、それは私の周囲の人の愛が私を幸せにしてくれているからです。もう一つ、レーナさんは元気の秘訣を指摘する。「人生の中で意味のあることをする」こと。自分の事ばかりにこだわっていたら、多分人生はつまらなくなります。誰かを助けたり、配慮したり、愛や未来への希望を与えたり、役に立つと言うことも生きる上で大切なこと。家族や友達、近所の人に微笑みかけるだけでも、幸せにすることは出来る、と。

レーナさんの歌声を聴くだけでも元気を頂くことが出来るが、レーナさんは来日時福島県の小学校にも足を運んでくれている。レーナさんの足跡を見ると、健常者の自分が恥ずかしくなる。

この記事を書いている時、期せずして五輪招致の顔となった佐藤真海さんの記事があった。「大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではない」との言葉は、レーナさんの考え方に通じる。この件は別途ブログにUPすることにしたい。