「言霊の幸う国」の教育とは

日本のことを「言霊(ことだま)の幸う(さきわう)国」と万葉の時代から言われているそうだ。「致知」の連載「日本の教育を取り戻す(中村学園大学教授占部賢志氏著)」の4回目に「短歌に感動を刻む~言霊の幸う国」の教育とは」とのテーマの記事があった(以前「語り継ぎたい美しい日本人の物語」の連載で占部氏の記事を紹介http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2011/10/13)。

高校教諭を経て真正面から日本の教育に取り組まれてきた占部氏が説くのは、今の学校教育で欠けているのが「自己省察」だと。登校拒否や引きこもり、対人関係不適切などの現象は、自己に囚われてしまうから生ずるのではなく、むしろ自己との付き合いが出来ていないから起きると言う。そこで高校教諭時代に取り組んだのが短歌の創作と批評だ。その契機となったのが、田安宗武(徳川御三卿の一人)の「歌体約元」だった。宗武は、「そもそも歌と言うものは、人の心のうちを表現するものだから、素直な人は歌も素直。ふざけた人は歌も似たものとなる。隠そうとしても隠せない。歌とはそういうものだ。だから己の良し悪しも歌に詠んでみればはっきりと自覚できる。」と。要するに、ダメな歌だと思ったら推敲して言葉を改める。すると不思議に自分の心に潜む邪悪なものが消えて素直な心に変化するものだと言う。

占部氏は例を挙げる。授業態度にあきれて

我が授業聞かずざわめく悪童よ、赤点つけて怨み晴らさん

しかし考えてみれば、自分は生徒が食いつくような授業をしていただろうか?そんな反省から

悪童も聞き入る授業目指さんと、ひと夜を込めて教材つくる

こんな短歌の言葉に誘われるように、己の心の内も、あの悪童たちが身を乗り出すような授業をやってみよう、そのために教材開発をやろうと、そんな意欲が次第に心を満たしていく。このことが宗武が説いた歌の神髄。

占部氏が教育に採用して、記憶に残る歌を挙げる。オリエンテーリング合宿で悪童のリーダー的存在の生徒が作った句。

朝起きて耳をすませばにわとりが
夜が明けたよと教えてくれる

対人関係が苦手で修学旅行のスキーに行くのも躊躇した女性が詠んだ。

スキー終え帰りの道のバスの中
思わず足に重心かける

ゲレンデでの練習を思い出し、ボーゲンの格好をバスに揺られながら自習していた。休みがちだった彼女は以降皆勤。台風一過の登山で

台風の強さに負けず育つ木々
そのたくましさに我も見習う

同じ登山でもう一人は

英彦山の山に登りて見渡せば
木々が倒れてあわれに思う

見方は違うが、それぞれの個性とも言うべき感受性が表現されている。生徒たち一人一人に潜在化している個性が、言葉を通してほんの少し顔をのぞかせる。そして、自分を省みることが出来、前向きな取り組みに自分を導く大きな契機となっていると言う。

以前「楽しみは・・・」で始まる独楽吟を紹介した(http://jasipa.jp/blog-entry/8699)たしかに下手でも詠むと気持ちが随分変わる実感を覚える。短歌やってみようかな?

酷熱のベランダ(盛夏編)

昨日も甲府と四万十町で40.7度の最高温度を記録(6年ぶりの40度超え)。東京でも今朝の最低温度が30.9度と過去最高を記録したとか。大変な酷暑が当面続きそうです。今日も東京は38度とか。「スポーツジム通い」もなかなか勇気がいります。こんな中でも、ベランダの花や野菜は酷熱のベランダで精一杯頑張っています。

我が家のベランダは7月14日のブログ(http://jasipa.jp/blog-entry/8893)の状態と大きく変わりませんが、一層元気に花をつけてきたのが、ランタナ、トレニア(白&紫)、ペンタス、デュランダ(紫)、ルリマツリ(紫)です。

東側のベランダの朝顔も一気に花を咲かせています。緑のカーテンを期待したのですが、上まで伸びはしましたが、密度は今ひとつでした。8月になって毎日20~30の花をつけています。バラも年中花をつけています。

オクラは大きくなり花を咲かせ身をつけています。シソもしし唐もほんとに役立ちます。ペラルゴニウムもいまだ花を咲かせています。

68年目を迎えた広島・長崎平和祈念式典に想う

テレビで放映される平和祈念式典を見ていると、被爆者の声や、被爆2世、3世の話についつい目頭が熱くなる。今年は、両市長が読み上げる世界に向けた「平和宣言」には特に熱い思いを感じた。阿部総理や、衆議院議長などが揃う前で、政府に対する厳しい批判、要求が世界に向け発信された。

まず1点目(広島&長崎)は、インドへの日本の原子力関連技術の輸出を可能にする「原子力協定交渉」を進めることで合意した件。インドは核保有国であるにもかかわらず、核拡散防止条約(NPT)に入っていない。インドは、対パキスタン抗争の中で、平和的な利用を目指した原子力活用をいつのまにか核開発に転用した国だ。今日の長崎市長は「NPTを形骸化し、NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与える」と批判した。

もう1点(長崎)は、政府がこの4月、スイス・ジュネーブでの核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明に賛同しなかった事を批判し、「世界の期待を裏切った」「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢を示した」と指摘。政府に「被爆国としての原点に返ること」を求めた。

長崎では、反核運動を引っ張った(国連でも講演)長崎の被爆者、山口仙二さんが7月に亡くなったことを挙げ、減り続ける被爆者の平均年齢が78歳を超えたと指摘。「ノーモア・ヒバクシャ」という山口さんの演説を引き、若い世代に「被爆者の声に耳を傾けて」と呼びかけた。

「致知2010.8」に13歳で被爆された笹森恵子さんが、爆撃国アメリカに渡り、看護師として働きながら、「被爆経験の語りべ」として米国でも有名になるほどの活躍をされている様子が掲載されていた。笹森氏は2009年、その活躍が認められミネソタのウィノア州立の卒業式で、ヒューマニティ分野の名誉博士号を受けられた。昭和24年にアメリカ人のノーマン・カズンズ氏が被爆者の治療を助けるための「精神養子運動」を提案され、その「原爆乙女」に選出されたのが、アメリカ行きのきっかけになったという。笠森氏は、「私が原爆に遭わず、大やけどをしていなかったら、いくら平和を訴えても人の心には響かないでしょう。核を日本に落としたアメリカ、そして世界中の核保有国に大きな影響力を持つアメリカで核廃絶を訴えていくのが自分の仕事」と言う。「真の平和―それは額にはめたお題目ではなく、誰もが幸せに生きていく社会を実現するという現実なのです。ひとりで平和は実現できませんが、誰かが動かなければ多くの人を動かすことは出来ない」とも。そして、「素晴らしい人生を送り、素晴らしい社会を作っていくのに必要なものは、勇気と行動と愛情だ」とも言う。

  • 勇気と行動だけでは、戦争に結びついてしまうことがある。
  • 行動と愛情だけでは、物事を変革するに怖じ気づいてしまうことがある。
  • 勇気と愛情だけでは、きれいごとを言うだけで終わってしまうことがある。
  • この三つが揃って、初めて物事を成していくことが出来る

長崎の被爆経験者の平均年齢が78歳を超えていると言う。長崎市長の言うように「世界で唯一の被爆国としての原点に返り」揺らぐことなく核廃絶を世界に発信していく国挙げての取り組みがなければ、福島同様、いつか忘れ去られることになるだろう。子供たちにも、今のうちに被爆者の声が届く政策・教育が求められる。

冲中一郎