フランス旅行~その3~ロワール&シャルトル

前日トゥールに宿泊したのは、すぐ近くのロワール地方に散在する古城を巡るためだ。パリの南西、ロワール河流域には古城を含む建築遺産が数多くあり、2000年に世界遺産に登録されている。中世の城塞、威風堂々たる大聖堂などの建築遺産は、歴史家が後に「フランス式ライフスタイル」と呼ぶものまで生み出したそうだ。発端にあるのはイギリスとの百年戦争での敗北で、141510月、アザンクールの戦いにより当時のフランス王シャルル7世が英国軍よりパリを追われ、既に堅固な要塞が建造されていたロワールのほとり、ロレーヌ地方に身の安全を求めたこと。その後、多くの王もこの地に居を構え“フランスの庭園”とも言われるようになった。レオナルド・ダヴィンチもなくなる前の3年間、クロ・リュセ城で過ごしたそうだ。

まずは、ロワール川を見下ろす“アンボワーズ城”へ。対岸からの光景はすばらしい。もとは中世の城砦で、シャルル8世とフランソワ1世(15世紀末から16世紀初頭)の時代に、王家の居城となった。多くのヨーロッパの知識人や芸術家が、フランス王の招きでアンボワーズの宮廷に滞在したそうで、レオナルド・ダヴィンチもそうした人々の一人だった。対岸の公園にダビンチの像があった。

次に向かったのは〝シュノンソー城“。王家の領地であり、その後王の住居となったシュノンソー城は、シェール川をまたぐその独特のスタイルで、ヴェルサイユ宮殿に次いで、フランスでもっとも観光客が訪れる城だそうだ。フランス王アンリ2世(在位15471559)が愛妾ディアヌ・ド・ポワティエに与えたこの城を、王妃だったカトリーヌ・ド・メディシスが、王の死後に取り返した城だ。プラタナスの並木の向こうに、まずはカトリーヌ庭園とディアヌ庭園という2つの庭園がある。二人の権勢を表すようにディアヌ庭園の方が素晴らしい。城内には、いろんな部屋がある。女帝ディアヌ、カトリーヌの部屋、5人の王妃の部屋、ルイ14世のサロン、護衛兵の間、その奥には礼拝室、橋の上の回廊(ギャラリー)など。飾りも可愛い。

次に行ったのは、自由奔放に流れる王家の河のほとり、シカやイノシシが遊ぶ森林地方の大自然の中(800ヘクタール)に聳え立つ“シャンボール城”だ。ロワール渓谷の入り口に位置する。フランス・ルネッサンス様式の城の中でも最も大きく最も有名な城だ。16世紀フランソア1世の命で建立、その後ルイ14世も滞在した。

ロワールからパリの方向に戻り、パリの南西87kmにあるシャルトルの大聖堂に向かう。フランスで最も美しいゴシック建築、世界で最も美しいステンドグラスとも言われる。写真の右の塔が12世紀のロマネスク様式(先頭の高さ105m)、左が16世紀のゴシック様式(113m)。内部のステンドグラスは全部で172枚とか。確かに素晴らしい。特に青色が“シャルトル・ブルー”と呼ばれる。ステンドグラスは12世紀のものというが、その後の技術の進歩にも拘らず、この青はいまだ出せないといわれているそうだ。

フランス旅行~その2~モンサンミッシェル

前日は、モンサンミッシェルのメルキュールホテルに宿泊。ホテルに着く直前、後光がさすかの如く、雲の間から光がモンサンミッシェルに降り注ぐ姿(撮るタイミングがづれた)を、そして夕食後は夜景も見ることが出来た(フランスの夜は9時ころまで明るく、夜景を楽しめるのは10時ころ以降)。翌朝、シャトルバスでモンサンミッシェルに向かった。平日というのに混みあっているが、頻度が多いので苦にならず、5分程度ですぐ近くまで行ける。

モンサンミッシェルの起源は西暦708年に遡り隣町アヴランシュの司教が夢の中で大天使サンミッシェル(聖ミカエル)のお告げを聞き、この地に教会をたてたことから始まった。当初はロマネスク様式の教会だったが、以降大聖堂、修道院を建て、13世紀に当時の国王の寄贈により、ゴシック様式の修道院を増築。それが写真右側の3階建てのラ・メルベーユで、驚くことにこの分を16年で構築したそうだ。見学は最上部の広場から尖塔の下にある教会(サンピエール教会)から入り、ラ・メルベーユの3階から2階、1階と下りていく。まずは教会から。教会の中にある聖ミカエル像。ミカエルは、天軍の長であり、最後の審判のときに死者の心臓をはかり、天国に送るか地獄に送るかを選別する役割を果たす。いわば仏教の閻魔に当たる存在のようだ。 片手に心臓の重さを量るための天秤を提げている。

次に3階構成のラ・メルベーユだ。最上階の3階には聖職者のための「回廊」(現在修理中)と「食堂」、中層階には「騎士の部屋」と「貴賓室」、そして1階に貯蔵室、施物分配室などがあった。最上階は修道僧士たちの専用スペースで、2階の修道士たちの作業場だった「騎士たちの部屋」の隣には身分の高い巡礼者用の「貴賓室」が設けられていた。そして、1階の施物分配室では特に貧しい巡礼者は施しを受けたそうで、中世の身分社会が移されている。このメルベーユが16年という短期間に建築できたのは、“人力式クレーン ”という装置のお陰だ。轆轤につなげた水車のような大きな木製のホイルの中に4名ほど奴隷が入り、歩くことによりホイルをまわし、梃子の原理で重量物を巻き上げたそうだ。尖塔の先にヘリコプターでつけたという聖ミカエルの像(4mの高さ)も飾られている。

モンサンミッシェル観光を終え、宿泊場所トゥール(トゥール・ド・フランスで有名な)へ行く途中、“フランスでもっとも美しい村”と言われる“サン・セヌリ・ル・ジュレ”に立ち寄った。コローやクールベルなどの画家を魅了した村だそうだが、サルト川にかかる石橋、草むらに立つ小さな礼拝堂、教会、通りにならぶ風情のある家並み、なにかほっとする雰囲気がある村だ。

フランス旅行~その1~ジヴェルニー

1年半前のIS同時テロ事件のせいで控えていたフランスに行ってきた(11日~18日)。ヨーロッパの主要国としては最後の国訪問だ(中欧、南ドイツ、イタリア、イギリス、スペイン)。事前に調べた天気予報では雨模様の日が多かったが、実際は晴れの日もあり、雨に降られたのは最後のパリの日のみで、それもぱらつく雨程度で済んだため、天候にも恵まれた旅となった。ご一緒した方々も気さくないい人ばかりでより旅を楽しくさせてくれた。68日のフランス旅行記として、5~6回に分けて、モンサンミッシェル、ベルサイユ宮殿、オルセー美術館、ルーブル美術館などを紹介していきたい。

1日目は、フランスから西北西100㎞ほどのところにあるモネ(1840-1926)の愛した庭として有名なノルマンディーの《ジヴェルニーの庭園》。今の時期、この庭園は、まさに花盛り。チューリップ、桜、つつじ、水仙、ライラック、忘れな草など日本では2月から6月頃にかけての花が一斉に咲き誇っていた。それも暖色系、寒色系を使い分け、見事なコントラストで庭全体を飾っている。彼は43歳からちょうど生涯の半分をこの庭とアトリエのある邸宅で過ごし、創作以外のほとんどの時間を庭仕事にあてていたと言われる。

その中でも、モネが愛した日本の江戸浮世絵(庭園内の“モネの館”内に多く展示されている)の中で、広重が描いた亀戸天神の太鼓橋を見て、それを模したと言われている太鼓橋のある“睡蓮の池”は必見だ。日本風で竹や柳、つつじ、フジの花などで囲われており、案内板にはこの池を“Pont Japonais”(日本の池)と紹介されている。

今回の旅では、あちこちで花の乱舞を見た。1日目の三ツ星レストランでは、桐の花、ヤマブキの花、桜、ライラックの花が見事だった。バスの行程の中でも、あちこちで、菜の花畑と麦畑の黄色と緑のコントラストが見事な光景を演出していた。

その後、ノルマンディー地方セーヌ河口にある小さな港町オンフルールに寄って、宿泊地モンサンミッシェルに向かう。オンフルールは、百年戦争時代からの貿易の要衝で、栄枯盛衰を経ながらも、街並みは昔のまま維持されている(今は大型船時代となり、海に直結の隣のル・アーブルに貿易の主体は移っている)。木組みとスレート(粘板岩)の家の町並みが残り、港のヨットハーバーとの組み合わせが絵になるかわいい町だ。街のシンボル“サント・カトリーヌ教会”は、フランスで最大の木造の教会と鐘楼だ。ここでも花がきれいに咲いていた。