世界で一番貧しい大統領(ウルグアイのムヒカ氏)

10月11日の「フジテレビMr.サンデー(22時~)」をたまたま見たらその内容に釘付けになってしまった。「世界で一番貧しい大統領」へのインタビューだった。今年2月に5年の任期を全うし大統領職を辞したが、いまだに国民の人気は絶大らしい。2012年のブラジルリオデジャネイロでの「環境の未来を決める会議」でのスピーチが人気で、昨年日本でも、このスピーチを題材にした絵本「世界で一番貧しい大統領のスピーチ」(汐文社刊)が発刊されている。実際、立派な公邸ではなく、田舎の農場で花や野菜を栽培しながら生活し、公務には古いマイカー(1987年型VW)で駆けつける。大統領報酬の9割近くを社会福祉基金に寄付し、1割(約10万円)で生活をしている。ネクタイは、欧米の価値観一色に塗りつぶされてしまった世界の象徴だと、どんな場でもネクタイは絶対締めない。そんなムヒカ氏の名言の一部を紹介する。

“貧乏な人”とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ

大統領(政治家)は、多数派に選ばれたものだから、生活水準も多数派の平均の生活をしなければならない

そしてリオ会議では、経済成長至上主義の世界の限界を指摘している。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか?西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を世界の70億~80億人が出来るほどの資源がこの地球にあるのでしょうか?

ドイツ人が1世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか?

発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

お金があまりに好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。彼らは政治の世界では危険です。お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとするものです。しかし政治とは、すべての人の幸福を求める闘いなのです

ムヒカ氏は、大の日本ファンだ。移民日本人から花の栽培などを教わり、今も続けている。そのムヒカ氏が、「今の日本人はほんとに幸せなのか」と疑問を呈する。江戸末期の開国前の日本の心に思いを馳せて、開国以降、西欧文明に追いつけ追いこせでGDP至上主義を掲げ続け、「足るを知る」心を忘れた日本を心配している。私も当ブログで、人口減社会において「経済至上主義」でいいのか疑問を呈した(「ほんとに経済成長至上主義でいいのだろうか?http://okinaka.jasipa.jp/archives/1946」、「日本の豊かさは世界一!?http://okinaka.jasipa.jp/archives/2120」など)。政府が掲げたGDP600兆円を目指す「1億総活躍社会」がほんとに国民の幸せをもたらすのか、今一度みんなで考えるべきではなかろうか。

若い経営者へのメッセージ(鍵山秀三郎)

「掃除道」を説き日本だけではなく海外にも普及させておられる鍵山秀三郎氏に関してはこれまでも何度か当ブログでも紹介してきた(http://okinaka.jasipa.jp/archives/432)。私が愛読している「致知」や「PHP松下幸之助塾」などにも、巻頭言や連載物など鍵山氏の記事が目立つ。「致知2015.11」に、自らの人生を振り返り、若い経営リーダーに向けて語った講話が「後から来る者たちへのメッセージ」とのタイトルで掲載されている。

“凡事徹底”“コツコツ”などの言葉を使い、「日常の本当に些細な、他人から見たらどうでもいいようなことであっても、それをコツコツと積み上げていく、これが皆様方の人生を変えていく」と言われ、82歳になられる今でも精力的に、掃除道(トイレ掃除)をひろめられている鍵山氏。その人生はまさに「山あり谷あり」の多難な人生だったが、その苦労があったからこそ、今の自分はあると言われる。幾多の苦難の中で、その都度「気付き」を得ながら成長して行かれた経緯にも触れられている。

もともと怠惰で、無気力で、ただ遊ぶことしか能のない少年時代、戦争時の学童疎開が一大転機となった。学童疎開で栄養失調になり視力を失うほど厳しい生活を強いられた時、初めて親のありがたさを知り、忍耐心を身に付けた。その忍耐心を持って20歳で東京に出た時の就職先の労働環境も、今の時代からは考えも及ばないほどの過酷な労働環境で、自分の能力を遥かに超えた理不尽なことを次々と命じられ、何度も死の危険を感じたそうだ。ここから下記格言が出てくる。

人間と言うものは、人から愛されたり、守られたりしていることに対しては極めて鈍感です。逆に、自分の意に沿わないことに対してはとても敏感に出来ている。

自分の能力を遥かに超えることを求められる環境に身を置いたときに、初めて人間は成長していく。

鍵山氏は、自分に学歴も、知識も、技能もなかったからこそ、ここでやるしかないと覚悟を決め、我慢できたと言う。そして成長できたと言う。要は、今置かれた環境に向き合い、苦難にも耐え、精一杯努力することで成長することが出来たということで、苦労から逃げるなと言われている。そして、“凡事徹底”、些細なことにも全精力を注ぐことが自分を成長させることだと言う。

人間は自分の得にならないことをやらなければ成長できない

今も朝早く3時間近く近所の講演の掃除と草刈りをやられている。その草刈もどうすれば綺麗に抜けるか力の入れ加減を意識しながらやり、抜いた草はきちんと束のように揃えて並べている。鍵山氏が草取りをした後は、他の人のものより一段と綺麗と皆さん驚かれるそうだ。どんなことも工夫しながらきっちりやり遂げることを徹底されている。鍵山氏は、どんな困難に遭われても、笑顔を絶やさないそうだ。他人(社員)の気分を害する事を極力避け、周囲の人に心配を懸けぬよう、以前は笑顔で接することが苦手だったが、努力して笑顔で過ごせるようになったとも言う。トイレ掃除は今でも全国を回って普及活動をされているが、会社や自治体などたくさんのところで運動の輪が広がり、これまでトイレ掃除をしてきた学校の数は700校を超える。

自分に与えられた力をいつも人を喜ばすことに使おうと心掛けて行けば平穏な人生を歩むことができましょう(「致知2015.8」巻頭言より)

幾多の逆境を乗り越え、このような心境になって、自ら範を示しながら、人の幸せをのぞんで、その信念を広めんとされている鍵山氏に、感動さえ覚えてしまうと同時に、自分の人生を顧みて、その甘さに反省し、これからの余生の生き方に思いを馳せたい。

「一生の固定客を増やす」まちゼミ伝道師 松井洋一郎さん

“「一生の固定客を増やす」まちゼミ伝道師 松井洋一郎さん”と言うタイトルの記事をインターネットで見た。私も、前職の経験に基づいて、JASIPAなどの講演会で「一生客」と言う言葉を使って、「お客さま第一」の風土を創ってリピート客を如何に創るかが経営の重要なポイントと説いているため、この記事に目が止まった(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151003-00000001-wordleafv-bus_all)。

愛知県岡崎市で化粧品店を営む松井氏は、大型ショッピングセンターなどに押されて活気を失っていく商店街で、歩行者天国、フリーマーケット、アートや音楽の催しなど次々とイベントを設けるが、にぎわいは持続しなかった。そこで一過性のイベントは止め、各商店主の豊富な商品知識を活かした文化講座を継続的に開くことにした。これが松井氏の提唱する「まちゼミ」の原点だと言う。松井氏は「まちゼミとは、各店舗が新しい固定客を獲得する運動です。(中略)地域商店街では各店舗の売り上げの大半は固定客が支えていいますが、大型店が進出し、ネット販売の比重が高まると、離店客が発生します。離店客よりも新しいお客様の数が増えなければ、個店の売り上げはじり貧になり、やがて廃業せざるを得ない。しかし、まちゼミで新しい固定客を獲得できることが分かってきましたので、自分たちの手で商店街を再生できるかもしれないという方向へ意識の流れが変わってきました」と言う。”まちゼミ”では、化粧店では「化粧の仕方」、ワイン店では料理に合うワインの選び方、お茶の販売店ではお茶の作法やお茶の楽しみ方、鮮魚店では魚のさばき方など、まだ気づいていない人生の楽しみや豊かさを、さまざまなお客さまに提案している。受講生の2~3割が固定客になってくれるそうだ。ある文房具店で、手紙を書く楽しさ、気持ちを伝える喜びなど、顧客が気付かなかった生きがいにつながるヒントを提供した結果、万年筆の売上が15倍になったと言う。下駄など伝統文化を継承するためにもこのような活動は意義があるとも言える。

松井氏は全国各地を回り、まちゼミの普及に尽力されており、今では全国200か所以上の商店街でまちゼミが継続的に実施されているそうだ.。モノでは語れない、人でしか語れないサービス、すなわち“おもてなし“のサービスは人の心をつかむのだろう。”まちゼミ“は日本の文化を守り、地方を再生するキーワードの一つかも知れない。

冲中一郎