フランス旅行~その4~ベルサイユ宮殿

今日は、パリ南西部のベルサイユ宮殿訪問。ルイ14世がその権力、支配力を誇示するために日本の江戸時代前半にあたる16611710年に構築した、庭園も含めると敷地の総面積約800万㎡という広大な宮殿だ。エントランスでは多くの人が入場を待っている。マリーアントワネットが、ルイ15世の孫で後のルイ16世となる王太子のルイ・オーギュストと結婚式を挙げたのもこの宮殿の“礼拝堂”だ。婚礼舞踏会を開いたのが、宮殿で最も有名な”鏡の間“。左が367枚の鏡の壁で、天井画もルイ14世が直接統治する絶対王政をテーマにしたものらしく、すばらしく豪華絢爛そのもの。この部屋で第一次世界大戦時、帝政ドイツ帝国の終焉を告げる「ベルサイユ条約」を締結したのがこの部屋だ(1919年)。右側にはグランカナル(大運河)が窓を通して正面に見える。

 

宮殿には鏡の間を含めて17個ほどの部屋がある。どれも豪華な部屋ばかりだが、その一部を紹介する。礼拝堂の隣の“ヘラクレスの間”は、ヴェネチア共和国から送られたヴェロネーゼ作『パリサイ人シモンの家の宴』(壁の絵)を飾るために作られた。天井画はフランソワ・ルモワアンヌ『ヘラクレスの神格化』空の青とヘラクレスの姿が美しい画だ。次は“ヴィーナスの間”。この部屋は正殿で夜会が行われる時、軽食をとる部屋として使われたそうだ。天井画はこの部屋の名前の由来になった『神々と超大国を従わせるヴィーナス』の絵が描かれている。次の写真はローマ皇帝姿のルイ14世。

次が“マルスの間”。衛兵の詰め所だが、ルイ16世のお妃マリー・レクザンスカの肖像画がある。“アポロンの間”には玉座が置かれ、接見にも利用された。リゴー作のルイ14世の肖像画があり、天井にはシャルル・ド・ラフォス作『太陽の戦車』。次は“戦争の間”、これはオランダ戦争の勝利をテーマに作成され、その時のルイ14世の像がある。この像は、漫画「ベルサイユのばら」で出てきたオスカルの肖像画のモデルとなったことでも有名だとか。

鏡の間を経て、“閣議の部屋”に行く。次が“王の寝室”。王の起床の際、毎日1時間半の儀式が行われるとの事。本日着る服の選定など、配下の貴族が執り行う由。大変なことだ。“王の寝室の横に”貴族の間“や”衛兵の詰め所“がある。

「朕は国家なり」、ルイ14世が世界に覇を唱えるためにフランスが傾くほどの財を投入して作らせた宮殿で、今回見学できなかったが庭園もすばらしいそうだ。東京ドーム220個分以上あるという(当時はその10倍もあったというから驚く)。ルイ14世の狙い通り、ベルサイユ宮殿の影響を受けた宮殿は、ドイツ(サンスーシ宮殿など)、オーストリア(シェーンブルン宮殿)、スウェーデン(ドロットニングホルム宮殿)、ロシア(ペテルゴフ宮殿など)など世界に及ぶ。次は“オルセー美術館”だ。

フランス旅行~その3~ロワール&シャルトル

前日トゥールに宿泊したのは、すぐ近くのロワール地方に散在する古城を巡るためだ。パリの南西、ロワール河流域には古城を含む建築遺産が数多くあり、2000年に世界遺産に登録されている。中世の城塞、威風堂々たる大聖堂などの建築遺産は、歴史家が後に「フランス式ライフスタイル」と呼ぶものまで生み出したそうだ。発端にあるのはイギリスとの百年戦争での敗北で、141510月、アザンクールの戦いにより当時のフランス王シャルル7世が英国軍よりパリを追われ、既に堅固な要塞が建造されていたロワールのほとり、ロレーヌ地方に身の安全を求めたこと。その後、多くの王もこの地に居を構え“フランスの庭園”とも言われるようになった。レオナルド・ダヴィンチもなくなる前の3年間、クロ・リュセ城で過ごしたそうだ。

まずは、ロワール川を見下ろす“アンボワーズ城”へ。対岸からの光景はすばらしい。もとは中世の城砦で、シャルル8世とフランソワ1世(15世紀末から16世紀初頭)の時代に、王家の居城となった。多くのヨーロッパの知識人や芸術家が、フランス王の招きでアンボワーズの宮廷に滞在したそうで、レオナルド・ダヴィンチもそうした人々の一人だった。対岸の公園にダビンチの像があった。

次に向かったのは〝シュノンソー城“。王家の領地であり、その後王の住居となったシュノンソー城は、シェール川をまたぐその独特のスタイルで、ヴェルサイユ宮殿に次いで、フランスでもっとも観光客が訪れる城だそうだ。フランス王アンリ2世(在位15471559)が愛妾ディアヌ・ド・ポワティエに与えたこの城を、王妃だったカトリーヌ・ド・メディシスが、王の死後に取り返した城だ。プラタナスの並木の向こうに、まずはカトリーヌ庭園とディアヌ庭園という2つの庭園がある。二人の権勢を表すようにディアヌ庭園の方が素晴らしい。城内には、いろんな部屋がある。女帝ディアヌ、カトリーヌの部屋、5人の王妃の部屋、ルイ14世のサロン、護衛兵の間、その奥には礼拝室、橋の上の回廊(ギャラリー)など。飾りも可愛い。

次に行ったのは、自由奔放に流れる王家の河のほとり、シカやイノシシが遊ぶ森林地方の大自然の中(800ヘクタール)に聳え立つ“シャンボール城”だ。ロワール渓谷の入り口に位置する。フランス・ルネッサンス様式の城の中でも最も大きく最も有名な城だ。16世紀フランソア1世の命で建立、その後ルイ14世も滞在した。

ロワールからパリの方向に戻り、パリの南西87kmにあるシャルトルの大聖堂に向かう。フランスで最も美しいゴシック建築、世界で最も美しいステンドグラスとも言われる。写真の右の塔が12世紀のロマネスク様式(先頭の高さ105m)、左が16世紀のゴシック様式(113m)。内部のステンドグラスは全部で172枚とか。確かに素晴らしい。特に青色が“シャルトル・ブルー”と呼ばれる。ステンドグラスは12世紀のものというが、その後の技術の進歩にも拘らず、この青はいまだ出せないといわれているそうだ。

フランス旅行~その2~モンサンミッシェル

前日は、モンサンミッシェルのメルキュールホテルに宿泊。ホテルに着く直前、後光がさすかの如く、雲の間から光がモンサンミッシェルに降り注ぐ姿(撮るタイミングがづれた)を、そして夕食後は夜景も見ることが出来た(フランスの夜は9時ころまで明るく、夜景を楽しめるのは10時ころ以降)。翌朝、シャトルバスでモンサンミッシェルに向かった。平日というのに混みあっているが、頻度が多いので苦にならず、5分程度ですぐ近くまで行ける。

モンサンミッシェルの起源は西暦708年に遡り隣町アヴランシュの司教が夢の中で大天使サンミッシェル(聖ミカエル)のお告げを聞き、この地に教会をたてたことから始まった。当初はロマネスク様式の教会だったが、以降大聖堂、修道院を建て、13世紀に当時の国王の寄贈により、ゴシック様式の修道院を増築。それが写真右側の3階建てのラ・メルベーユで、驚くことにこの分を16年で構築したそうだ。見学は最上部の広場から尖塔の下にある教会(サンピエール教会)から入り、ラ・メルベーユの3階から2階、1階と下りていく。まずは教会から。教会の中にある聖ミカエル像。ミカエルは、天軍の長であり、最後の審判のときに死者の心臓をはかり、天国に送るか地獄に送るかを選別する役割を果たす。いわば仏教の閻魔に当たる存在のようだ。 片手に心臓の重さを量るための天秤を提げている。

次に3階構成のラ・メルベーユだ。最上階の3階には聖職者のための「回廊」(現在修理中)と「食堂」、中層階には「騎士の部屋」と「貴賓室」、そして1階に貯蔵室、施物分配室などがあった。最上階は修道僧士たちの専用スペースで、2階の修道士たちの作業場だった「騎士たちの部屋」の隣には身分の高い巡礼者用の「貴賓室」が設けられていた。そして、1階の施物分配室では特に貧しい巡礼者は施しを受けたそうで、中世の身分社会が移されている。このメルベーユが16年という短期間に建築できたのは、“人力式クレーン ”という装置のお陰だ。轆轤につなげた水車のような大きな木製のホイルの中に4名ほど奴隷が入り、歩くことによりホイルをまわし、梃子の原理で重量物を巻き上げたそうだ。尖塔の先にヘリコプターでつけたという聖ミカエルの像(4mの高さ)も飾られている。

モンサンミッシェル観光を終え、宿泊場所トゥール(トゥール・ド・フランスで有名な)へ行く途中、“フランスでもっとも美しい村”と言われる“サン・セヌリ・ル・ジュレ”に立ち寄った。コローやクールベルなどの画家を魅了した村だそうだが、サルト川にかかる石橋、草むらに立つ小さな礼拝堂、教会、通りにならぶ風情のある家並み、なにかほっとする雰囲気がある村だ。

冲中一郎