ポルトガル旅行~その6~ポルト&オビドス

今回は、ポルトガルの語源とも言われるポルトガル第2の都市ポルト観光だ。この町は特にアズレージョにあふれる歴史地区が世界遺産となっているドウロ川沿いの街だ。
まずは“サンフランシスコ教会”。1383年にゴシック様式で建てられ、その後、17~18世紀にバロック様式に増改築された。外観は、質素な造りになっているが、内部に入ると装いは一変し、祭壇だけではなく、天井、壁、柱に至るまで贅を尽くした金箔細工がなされている(16~18世紀)。当時のブラジルからの金300kgが使われたと言う。ポートワインの輸出で栄えたポルトの富が生み出したもの。内部が撮影禁止のため、絵葉書でその様子を伝える。

ドン・ルイス1世橋に向かう途中の小高い丘に、市内で最も古い建造物であり、ポルトガル国内で最も重要なロマネスト様式建築の“ポルト大聖堂”がある。その近くに11世紀の城壁がまだ残っており、世界遺産の銘板がはめられている。小高い丘からのポルトの眺めもすばらしい。遠くに見える塔は“グレゴリス教会”の塔だ。民家の壁にもアズレージョが使われている。

いよいよ“ドン・ルイス1世橋”だ。この橋はポルトの中心部と旧市街を結ぶ橋で、ドウロ川にかかっている。1886年に完成し、高さは約45mで2階建ての構造だ。2層構造で、上層は鉄道、下層は自動車道路となっている。橋からの光景はすばらしい。旧市街にはポートワインの工場がひしめき、川には貿易船が停泊中だ。

2016年に世界遺産に追加された“セラ・ド・ピラール修道院”が橋の対岸の小高い丘に見える。

 

見事なアズレージョで飾れられた有名な“サン・ベント駅”。1900年修道院の跡地に建てられた世界一美しい駅。壁一面にアズレージョの世界が広がる。ポルトガルを代表するアズレージョ画家、ジョルジュ・コラコによって1930年に制作されたものだ。ジョアン1世のポルト入城やセウタ攻略など、ポルトガルにおける歴史的な出来事が描かれている。

ポルトからバスで2時間半ほど南南西に行ったところ(リスボンからは北に1時間ほどの位置)に王妃の愛した小さな村「オビドス」がある。13世紀ディニス王とイサベル王妃が新婚旅行でこの村を訪れた際、このオビドスを王妃にプレゼントしたとか。中世の面影を残す”王妃の村”とも称される。城門を入ると白い壁と石畳でできた細い街並みが続く。青と白の配色が何とも可愛い。街の果てオビドス城まで10分程度の通り(ディレイタ通り)で、土産物屋に交じって名物のジンジャを売る店が並ぶ。さくらんぼの果実酒であるジンジャ・デ・オビドスをチョコレートでできた容器に入れて飲む。

途中、右手の広場に12世紀ロマネスク様式で建てられた”サンタ・マリア教会“がある。質素な教会だが国王が結婚式をあげたこともあるらしい。通りの突き当りには12世紀建立のサンチャゴ教会(今は書店)の横に石壁がひときわ大きくそびえている。ぐるりと囲む城壁はローマ時代に作られたそうだが、レコンキスタ時代に城と共に整備されたそうだ。オビドス城は今は高級ホテル(古城のホテルを一般的にポサーダと言う)だ。壁の上からはオビドスの旧市街が一望できる。

今日はリスボンに泊まり、明日はエヴォラ観光だ。

ポルトガル旅行~その5~スペイン/サンチャゴ・デ・コンポステーラ

4日目は、ポルトから232㎞北のスペイン・ガルシア州の首都サンチャゴ・デ・コンポステーラに行く。中世ヨーロッパにおいて、盛んに行われた聖地への巡礼の中で、エルサレム、ヴァチカンと並んで三大巡礼地の一つとされた都市だ。イエスの十二使徒の一人ヤコブ(スペイン語でサンチャゴ)の墓が見つかったとされて司教座が置かれ、それ以後聖地として、ヨーロッパ各地からの巡礼が集まるようになった。時はレコンキスタ(国土回復運動)の最中、その地サンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教徒の精神的支柱となり、ヨーロッパ各地から多くの巡礼者が訪れ、教会が建ち、巡礼路ができ町が形成されていった。世界遺産に登録されているのは、フランスからピレネー山脈越えの巡礼路。1000年以上の歴史を持つ聖地への道は、今も年間およそ10万人がフランスからピレネー山脈を越えてゆくそうだ。
聖堂から5km離れた丘に”歓喜の丘”の像がある。巡礼者が最終目的地に近づき歓喜の声を挙げた丘らしい。サンチャゴ・デ・コンポステーラに着き、バス停から大聖堂に向かう時最初に目につくのは、サンフランシスコ修道院。そして大聖堂に着くまでの街並み。

巡礼者が目指す”大聖堂“のあるオブラドイル広場。11世紀に建てられ、広場の東に聳えるヤコブの眠る大聖堂。外観は美しいバロック様式だが、館内の 12 世紀に建造された栄光の門に施された彫刻はロマネスク芸術を代表する傑作だ。広場の北側は旧王立病院。16 世紀に建設されたこの豪華なルネサンス様式の建物は、かつてサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を訪れる巡礼者のための宿泊施設兼病院として利用されていた。現在はホテルになっている。広場の西側に建つラショイ宮殿。この邸宅は、司祭志望者向けの神学校として建てられた。現在では自治体庁舎として利用されている。

近くのアラメダ公園から見る大聖堂が絶景ポイントとか(当日は雨で霞んでいる)。アルメダ公園から大聖堂に戻るビラー通りの景色と、17世紀建立のサンマルティーノピナリオ修道院。

大聖堂に入る。祭壇は工事中で、有名な壺のような香炉が見られないのは残念。聖ヤコブの棺もあった。7月25日が日曜日の年には盛大に聖ヤコブ祭が、プラドいる広場中心に催されるとか。その際、いつも閉じられている”免罪の門“が開かれる。

再度ポルトに戻り。明日はポルト観光と、オビドス散策だ。

ポルトガル旅行~その4~トマール・コインブラ

リスボンから北へバスで2時間ほど、世界遺産“キリスト教修道院”で有名な”トマール“に着く。トマールのキリスト修道院が設立されたのは12世紀、レコンキスタの時代。1147年イスラム舞台からサンタレンの年を取り返した「テンプル騎士団」に初代ポルトガル王「アフォンソ1世」が土地を与え、そこに修道院が創設されたのが始まりだ。14世紀に勢力を強めたテンプル騎士団への解散命令が出されると、当時の国王「ディニス一世」はテンプル騎士団のメンバーを中心に「キリスト騎士団」を結成させ、修道院はその本拠地となった。かの有名な「エンリケ航海王子」はキリスト騎士団の団長を務め、修道院の増築を行った。
まず修道院の入り口では城壁と城壁に囲まれた公園が迎えてくれる。天気も良く気持ちよく歩いていくと修道院に着く。

南門はまさにマヌエル様式の典型だ。

修道院の入口から入場し、二階へ上がると沐浴の回廊がある。近くにあったエンリケ航海王子の住居は廃墟に。

“墓の回廊”はエンリケ航海王子が増築した回廊で、修道士たちの墓所となっています。ヴァスコ・ダ・ガマの兄弟の墓もある。

最大の見どころでもあるロマネスク様式の「テンプル騎士団聖堂」に着く。堂内全体が壁画で覆い尽くされており豪華な雰囲気で、騎士団が戦いに出る前に祈りをささげた聖堂。円堂になっているのは騎士たちが馬で回りながら礼拝することで、いつでも戦いに行けるようにするためだそうだ。マヌエル1世が整備した。

16世紀に増築されたルネサンス様式の回廊である”ジョアン3世の回廊“もある。”サンタ・バルバラの回廊“にはマヌエル様式の窓があり、鎖やロープ、サンゴなど海の産物が刻まれている。

宿坊、学習室も備わっている。貧者にパンなどを供給していた”貧者の回廊“もある。

次に訪れたのはコインブラ、ポルトガル第3の都市だ(リスボン、ポルトに次ぐ)。世界でも珍しく大学そのものが世界遺産に登録されている。コインブラはポルトガル王国を樹立した1143年から、リスボンに遷都する1255年まで首都だった。ヨーロッパ屈指の名門大学であり、1290年リスボンに設立の古い大学だ。教会と政治権力の争いの中、コインブラとリスボンの間を行き来し、最終的に1537年ジョアン3世のときコインブラの地に落ち着いた。当時宮殿だった所を改造して作られた一帯に観光客が集まっている。マヌエル様式とルネサンス様式の“鉄の門”を入るとその地区だ。大学のシンボル“時計塔”とジョアン3世回廊のある法学部教室の建物だ。

黄金の図書館 “ジョアニア図書館”は、金泥細工による装飾や30万冊にも及ぶ蔵書で有名。“世界一美しい図書館”と言われている(今回は入場せず)。門と横から見た光景だ。1階には学生牢があるそうだ。広場にはジョアン3世の像がある。

外に出て、他の大学館を見る。歯学部、医学部、薬学部、工学部などが立ち並ぶ。学生数37000人で70%が女性だとの説明に驚く。

大学が丘の上にあり、かなり急な坂道を降りていく。まずは16世紀末にイエズス会が建造した新カテドラル、その横には国立博物館。そして下っていくと首都時代に作られた旧カテドラルがある。

商店街にはコルクを使ったバッグや靴などの製品が並び、コンペイトウの店もある。ポルトガルはコルク一大生産地だ。

次は、3大聖地の一つ、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラを訪問する。

冲中一郎