初夏のような気候で梅が満開(亀戸天神)

今日、次男夫婦の’帯祝’で近くの亀戸天神に行ってきた。大安の休日ということもあったのか、祈祷を待つ人や、東京バザールや江戸囃子を楽しむ人も多く賑わいを見せていた。

有名な太鼓橋はペンキ塗りで通行できなかったが、初夏のような天候に誘われ梅が一気に花開き、まさに満開だった。

何度か行っているが、今回初めて気がついたが、池に無数の亀がいた。池の中から出ている小岩に群がって"甲の天日干し"をしたり、泳いだりしていた。

午後から急にスカイツリーがかすむ程、空気が澱んできたため、てっきり中国大陸の黄砂かと思ったが、強風に巻き上げられた”煙霧”だったそうだ。帰りに、桜並木が待ち遠しい緑道公園で、1本だけだが桜の花が開いているのを見つけた。春が近いことを実感した。

3月8日にFBにUPしたが、春を告げる沈丁花もこの2~3日の暖かさで一気に花を開かせ、周囲に香りをまき散らせている。(大島緑道公園)

JAL再生における稲盛氏の教え(植木社長語る)

前々稿から、稲盛氏関係のものが続くが、今回は「致知4月号」のJAL植木義晴社長のインタビュー記事「JAL再生一千日の闘い」から、稲盛氏の教えを紹介する。

植木氏は、まさにJAL経営破たんが決まった2010年1月19日の数日後に、機長(子会社の副社長兼)で操縦桿を握っていた氏に、再建の役割を担う執行役員運行本部長の打診があったそうだ。そして、稲盛氏の指導を直接受けることになる。そして昨年(2012)稲盛氏の推薦で社長を拝命された方である。よほど、稲盛氏のメガネに叶った方と思われる。その方が、言うには、

一人の優れたリーダーが指揮を執ることによって、人の意識がこれほどまでに変わるものなのかと言うのを実感した

と。「プライドの高いインテリ集団」「頭でっかちのインテリ集団」とも言う稲盛氏も心配した集団の意識をどうやって変えたのか?稲盛氏が名誉会長に着任されて(2010.2)から半年近くは、会議や、対話の中で鋭い指摘(今までになかった)を通じて、JALの生ぬるい風土・文化を気付かせる動きをされた(一般社員の中にも何の気負いもなく入って行かれたそうだ)。「月次実績が3か月後しか出てこないのを当たり前と思っていたのを有無を言わせず1ヵ月後に出るよう指示」「月次報告や、提案説明会などの本部長説明で、内容よりも責任を持って遂行せんとする心意気が感じられなければ、聞く耳を持たない。私と刺し違えるくらいの気迫のないものは去れ」・・・。そして6か月後から、稲盛フィロソフィーの教育を始めた。6月に17回平日の18時から22時頃まで役員・部長相手に直接講義や、DVDの聴講を実施した。そして1年目から目覚ましい業績回復を実現したが、その頃には、植木氏と言えども運航本部にいたとき本部の予算を意識したこともない集団が、ヘッドセットの修理代や雑巾一枚の価格まで、最も予算に詳しい本部長が育っていた。決算を発表しても無関心だった客室乗務員も、決算資料を我先に受け取る姿に変わっていた(決算資料なども情報漏えいのリスクを考えて社員には配布していなかったが、稲盛氏の「社員の心を一つにする力を考えると、リスクは無視せよ」との指示で公開することにしたそうだ)。

破たん後1年後には稲盛氏の教えに基づき、社内委員会で作成したJALフィロソフィー手帳を全社員に配布し、各部署で毎朝唱和するとともに教育カリキュラムにも取り入れ徹底を図った(JALフィロソフィーの概要はホームページhttp://www.jal.com/ja/outline/corporate/conduct.html参照)。その中で特に植木社長の心に響くフィロソフィーは

  • 人間として何が正しいかで物事を判断せよ
  • 人生の方程式「人生・仕事の成果=考え方X熱意X能力」:熱意、能力に関してはJALの社員は全員合格。考え方、人間性、人格の重要性を改めて認識。

さらには

  • 謙虚にして奢らず。さらに努力を

この3月末に稲盛氏は取締役を退き、以降経営には直接タッチしないと新聞では報じている。これからがJALにとっての正念場と植木社長は気を引き締め、渾身満力、全身全霊の努力を宣言されている。

中国暴動で破壊された平和堂

前稿(http://jasipa.jp/blog-entry/8529)に引き続いて、稲盛さんの教えが功を奏した事例を紹介する(PRESIDENT2013/3.18号より)。

昨年9月15日、中国湖南省に3つの百貨店を出店している「平和堂(本社滋賀県)」すべての店が暴徒によって略奪・破壊された(http://jasipa.jp/blog-entry/8076)。その被害額は35億円。その時、「危険すぎる」との周囲の反対を押し切って、収拾策を講じるために暴動8日後に夏原社長自ら現地に赴いた。30年前盛和塾が出来たときから稲盛氏の謦咳に接してきた夏原氏は、「こんなとき、稲盛氏ならどうするか」と考え、思わずその教えが口をついて出てきたと言う。

大きな危機や大きなトラブルが起きたときは、トップが先頭を切らないかん。トップが現場に急行して、問題解決に当たらないかんのや

建物が破壊されているので、建設担当の課長と二人だけで中国に赴いたが、空港では日本人と分かると別室で検査が行われたり、ホテルは中国人名で予約したり、緊張感一杯だった。当時は平和堂の社員も標的にされていたそうだ。「撤退」も頭をよぎったが、湖南省の幹部の「店舗と従業員は守る」との言葉を信用し、何とかこの苦境を乗り越えたいとの思いに変わった。そして幹部(30人、うち日本人は8人、他は現地採用の中国人)を集めての講話や、各店舗の従業員と対話を行ったが、中国出店の経緯、目的は、「利他の心」、「社員の幸せ」だとの話に、幹部、従業員が涙を流しながら再起を誓ってくれたと言う。

長沙市の栄誉市民賞を受賞した平和堂創始者の写真を見せながら「湖南省政府から、商品が豊富にあり、日本流の‘おもてなし’の心があり、楽しい買い物ができる、そんなお手本となる百貨店を作ってほしいとの湖南省の要請を受けて出店した。その功績で名誉市民賞を受賞した」と、金儲けではなく、湖南省の皆さんの事を考えて出店したとの話をした。事実、湖南省では最も信頼性が高く、サービスの良い百貨店として認知されている。加えて、地域診療所などに多額の寄付もしているとの事。

さらに「会社は社員を幸せにするためにある」との稲盛氏のフィロソフィーを実践してきたことに対しても理解を求めた。従業員の日本での研修制度など、報酬面以外でもいろんな施策をとってきた。お蔭で離職率が高い中国でも、定着率は高い。

女子社員に握手を求めると、中国語で「頑張ります」と言いながら泣き崩れる姿を見て、夏原社長は、盛和塾での教えの成果を実感できたと言う。

著名な経営者でも、先人や先哲の教えを素直に脳裏に刻みこみ、日々の経営に活かしている。日々勉強だ。

冲中一郎