中欧4か国人気都市めぐりの旅~その1~

ブログお休みを頂き、17日~24日中欧4か国めぐりに行って来ました。セルフデザインの旅ではなく、ツアー旅ですが、12人のこじんまりとしたグループで、かつ気さくないい人ばかりで楽しい旅となりました。

まずはオーストリア航空直行便でウィーンへ。翌朝、チェコのチェスキークルムロフ(ウィーンから約270km)、その後プラハ(180km)へ。3日目は終日プラハ見学。4日目は、スロバキアのブラチスラバ(プラハから330km)へ行き市内観光、そしてハンガリーのブダペスト(190km)へ(夜ドナウ河クルーズで素晴らしい夜景を見る)。5日目はブダペスト観光後、列車でウィーンへ。6日目は終日市内観光。夜はクラシックコンサートへ。そして翌朝、オーストリア航空で東京へ。ほとんどの都市が世界遺産だ。

出かける前の天気予報では、必ず雨マークがついており心配したが、ガイドの人も驚く連日の好天で、歴史と伝統の各都市めぐりは感激の連続だった(夜は天気の急変で土砂降りの日もあったが、クルーズなど行事のある日は好天に恵まれた)。中欧の各国、都市は、民族・宗教戦争の渦中に巻き込まれ、時の支配者がハプスブルグ家、神聖ローマ帝国、ドイツ帝国、ソ連、モンゴルなどと移り変わる中で、歴史的な建造物は維持され、見事な都市景観を創りだしている。これから訪れる方の参考にもなればとの思いで、何回かに分けて当ブログで各都市を紹介していきたい。

まず1回目は、花便りです。ガイドによると4月まで冬で、やっと春が来る5月と秋の10月が最高だとか。6月から9月は、バカンスを取る人が増え、込み合う時期に入り、11月に入ると冬に入るそうだ。春が来て一気に花が開いたのか、ライラックの藤色、白色、ピンク色の花があちこちで見られ、マロニエの花(白や赤)や桐の花(紫)も見事に咲いていた。我が家のベランダにあるペラルゴニウムもあちこちで見られた。そして、移動時間の長いバスの車窓から見る、北海道の何倍もの広大な畑、牧場の連続に、寝るのも惜しみながら見入っていた。その中でも、一面黄色の菜の花で彩られた景色は素晴らしかった。(車窓からの広大な景色写真が上手く撮れず、残念ながら掲載できません)

ライラックの花(と思われる)

マロニエの花と桐の花(高い建物の前の木)

バスの車窓から見た菜の花畑(こんなものではない)

チェスキークルモロフ城内

帰国した時の我が家のペラルゴニウムは満開!

ブログ来週いっぱい休ませて頂きます

この3月末のブログ(http://jasipa.jp/blog-entry/8597)で、記事数を少し緩ませて頂きたいとのお願いをさせて頂きましたが、明日から来週いっぱい、私の都合で申し訳ございませんが、ブログを休ませて頂きたいと思います。この2年間でこんなに長く休ませて頂くのは初めてですが、私自身、携帯やスマートフォンからの入力ではなく、自宅のパソコンからのみの入力となっており(遅れている!)、家を留守にするときは、これまでもブログをUP出来ていません。

再来週以降は、これまで通り、再開したいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。休ませて頂く期間については、後々のブログでその理由が明らかになるかと思います。

12日にUPしました「我が家のベランダ」(http://jasipa.jp/blog-entry/8722)のペラルゴニウムに関して、「満開が楽しみですね」とのコメントを頂いたのですが、不在中に満開になると思われますので、今夕慌ててフラッシュをたきながら撮影してみました。7~8分咲き位までになっています。

ハガキ道で運命を拓いた坂田氏

私もどこかで「ハガキ道」の坂田氏ということは聞いていた。が、初めて坂田氏の記事にお目にかかり、「ハガキ道」の意義が分かるような気がした。「PHP Business Review松下幸之助塾2013年5・6月号」の記事より。

人との出会いが、こんなにも人生を変えるのかと驚いた。「ハガキ道」で有名な坂田道信氏は、少年期、青年期は病気がちで、学校でも落ちこぼれ、結婚はしたが最貧生活。31歳(1971)の時、「国民教育の父」と呼ばれた森信三先生の講演を聞いたのがきっかけで、「ハガキ道」に目覚めたそうだ。「義務教育を出たものは、あいさつと、はっきり返事をすることと、ハガキを自由に書くことが出来なければならない」との話に心を打たれ、「ハガキを書くことなら自分にもできるかもしれない。森先生のおっしゃる三つの事が出来るようになって新たな自分に生まれ変わり、人並みの人生を送れるようになりたい」と願うようになったと言う。何と素直な心で受け止められたことと驚くが、その後森先生の高弟の一人徳永康起先生の指導を受けながら「模写ハガキ(カーボン紙を使って書く)」にのめりこんでいった。

何の取り柄もない自分でも、ハガキを書くことによって心が成長し、友人が増え、人を喜ばせることが出来ると気付き、最初は徳永先生とだけのやり取りから始まり、今では全国を講演して回りながら毎日約30枚のハガキを書き続け、年賀状にいたっては2万枚送っておられる。いただいた年賀状に目を通すのに4か月を要す。そんなボリュームのハガキを扱うことから、恐らく唯一と思われるが、自宅専用の郵便番号が割り振られているそうだ。

ハガキが縁で(最初の奥様はガンで早世)、東京丸の内で働く保険のトップセールス(マスコミでも取り上げられるスーパーレディ)と結婚。現在は精進料理の教室を開く傍ら、自然素材を使った味噌やお菓子、洗剤などの通信販売を全国的に展開されているそうだが、お客さまへの奥様のハガキがリピーターの増加につながっているそうだ。ハガキの表書きは筆で、文面には「ありがとうございます」と言う言葉を入れ、一言でも相手の心に響くことを読みやすい字で書くなど、工夫が一杯あるようだ。もっとも大事なのは「上手に書こうとしない」こと。上手に書こうと言う心は自己顕示欲の表れと言う。

千葉県の「眼鏡のトヨフク」(ライバル店の進出で店をタタムことも考えた時期がある)は、坂田氏の指導で、「ハガキ道」を覚え実行したところ、リピーターが増え、今では数名の従業員で億単位の売上を上げるまでに成長したそうだ。お客さまとの人間関係を作り、お客様の食など生活実態を知り、お客様にとって喜ばれる眼鏡を提供することが出来るようになったとか。

インターネットなどの普及で、無機質なコミュニケーションが主流になる中、ハガキの効用をコミュニケ―ションツールとして見直すことも大いに意味あることと思える。ただ、ハガキの中身の工夫で、相手の方に感動を与えることがポイントになるが、それが自然体で出来るのが坂田氏のいう「ハガキ道」なのだろう。

冲中一郎