中欧4か国人気都市めぐりの旅~その3~

チェスキークルムロフから約180km、チェコの首都プラハへやってきた。ここで2連泊だ。3日目は世界遺産のプラハ歴史地区とカレルシュテイン城見学だ。

プラハ

プラハは、千年の歴史を持つ都市であり、1346年神聖ローマ帝国皇帝カルレ4世(ボヘミア王カルレ1世)の時、首都がプラハに移され、プラハ城の拡張、中欧初の大学カルレ大学の創立、カルレ橋の建設とヴォルタヴァ川(モルダウ川)東岸市街地の整備など都市開発が行われ、ローマやコンスタンティノーブルと並ぶヨーロッパ最大の都市にまで急速に発展した。第一次・第二次世界大戦の被害にも会わず、ロマネスク建築から近代建築まで各時代の建築様式が並ぶ「ヨーロッパの建築博物館の街」として世界遺産に登録された。

プラハ城

まずは、プラハ城から見学。敷地内には旧王宮や、宮殿、修道院などが建っている。中でも圧巻は聖ヴィート大聖堂だ。火薬橋(橋の下は鹿ノ谷)を通り、衛兵の立つ門をくぐると、現在の大統領執務室と迎賓館のある第二の庭に出る。

次に門をくぐると、第三の庭に出る。とそこに大迫力の聖ヴィート大聖堂が現れる。建て始めたのが1344年、完成したのが1929年で、聖ヴァーツラフの殉教1000年記念の日に、完成した姿で公開されたそうだ。残念ながら、ミサ参加者しか中に入れないとかで外から見るしかなかった。ゴシック様式の教会には、出入り口に塔が設けられている。(3枚めの写真)左に見える西側の塔は82メートルあり、中央に見える南側の塔は、この教会で一番高く、96.5メートルある。城の敷地内に大聖堂があるという例はヨーロッパでも珍しく、プラハ城の荘厳さを増している。プラハ城内最古と言われる10世紀に建立の聖イジー教会は赤茶色のロマネスク建築物。衛兵のいる出口に着いた。出口の後ろの白い建物は「黒い塔」と呼ばれる牢屋だそうだ(金を借りても返さない人が入れられた)。その塔の前の木が紫色の花をつけた桐の花。丁度10時の衛兵交代式を見ることが出来た。この出口から見た街の風景は、チェスキークルムロフほどではないが、素晴らしい光景だ。プラハ城の下の建物は大使館や学校などの建物だそうだ。

カレル橋

プラハ城を出て、旧市街地に通じるカレル橋(15世紀初めカレル4世の時代に作られたゴシック様式の橋)へ向かった。平日なのにカレル橋は人で一杯だ。橋の両側に27体(最初は30体あった)の歴史的な彫像が建っている(何体かはレプリカらしいが、半分以上は本物)。橋の右側に12世紀の修道院水車(悪魔の流れ?)が見られる。そして橋の真ん中に聖ヤン・ネポムツキー像がある。一説によると、ある日、彼は職務でジョフィエ王妃の懺悔を聞く。国王ヴァーツラフ四世は、王妃に不貞の疑いを抱き、ネポムツキーに告解の内容を明かすよう迫る。しかし、脅しても一言も漏らそうとしない態度に激怒した国王は、ネポムツキーの舌を切り取り、カレル橋から突き落として溺死させてしまった。この言い伝えを題材にレリーフは造られている。ちなみに、レリーフに手を触れると幸運が訪れるとの言い伝えから、触れられた部分だけが輝いている。像の前では、大道芸人などが華を添えている。橋を渡り終える直前にはフランシスコザビエルの像がある。何人かがザビエルを支えているが、そのうちの一人がちょんまげ姿の日本人と言われている。橋の東詰(旧市街地に通じる)の橋塔門を出て、橋の方向を見返すと、ヴォルタヴァ川越しにプラハ城が見渡せる。その反対側の光景と、カレル橋とプラハ城の光景を掲載する。

プラハはまだまだ続くが次回とさせていただく。

史上最高齢でのエベレスト登頂の快挙

プロスキーヤー三浦雄一郎氏が80歳の高齢で8848mのエベレスト登頂に成功した。信じられない精神力と体力に驚く。下山時、6500mのキャンプ地から、5300mのベースキャンプ地までヘリコプターを使ったことで議論が沸騰しているそうだが、快挙であることは間違いないのだから、心から喜びたいと思う。

その快挙を思いながら三浦語録を読むと心に響くものがある。昨日の天声人語から。

目標を持って生きれば、わくわく出来る

致知メルマガから。

人間はいわゆる能力には限界がある。
しかし、努力には限界がない。

(致知出版社はFBでも名語録を掲載しているが、この三浦語録に対する「いいね」が過去最高を記録したそうだ)

天声人語では、最後に「青春とは年齢ではなく、心のあり方だと言われる。似た意味で、高齢の人には三つのタイプがあるとも言われる。まだ若い人、昔は若かった人、そして一度も若かったことのない人。快挙に励まされて‘まだまだ若い人’が世に増えそうな、明るい予感がする」で締めている。これからますます進む高齢化社会。三浦さんの功績は大きい!

中欧4か国人気都市めぐりの旅~その2~

オーストリアからチェコへ

ウィーンに到着(16時)した日は、ウィーンに宿泊。翌朝、専用バス(トイレ付の大型バスに添乗員含めて13人のユッタリ席)で、最初の観光地、チェコのチェスキークルモロフへ。高速道路ルートA1でリンツ(オーストリア)まで西北に進む。途中「ウィーンの森」の素晴らしい光景が30分ほど続く。メルク修道院(オーストリアにあるベネディクト会派の修道院であり、世界的に有名な修道場、1089年設立)も車窓から見られる。風力発電もあちこちで見られる。

チェスキークルモロフ(チェコ世界遺産の街)

リンツから北に行くとチェコに入る。EU圏では入国審査もなくフリーパス(建物だけが残っている)。ウィーンを出て約270kmを4時間近くかけて、やっとチェスキークルモロフに到着。エッゲンベルクビール(since1560)醸造所の経営するレストランで昼食。チェコはビ―ルの本場で、隣町の名前が「バドワイザー」の起源だとか。「エッゲンベルク」は神聖ローマ帝国時代、この町を与えられたエッゲンベルク家にちなんだ名前だ。昼食を終えていよいよ街の観光だ。マンホールも観光の一部で、石畳の中に美しい姿を現している。赤い扉の門が城の入り口だ。

「ヨーロッパで必ず訪れたい都市の一つに挙げられる」との前評判にふさわしく、まるで箱庭のような街だ。人口1万数千人の小さな町だが、ボヘミアの重要な通商路として13世紀後半にボルタヴァ川(ドイツ名モルダウ川)沿いに町と城の建設が始まった。以降、ローゼンベルク家、エッゲンベルク家、シュヴァルツエンベルク家と持ち主が変わるたびに城は増築、改築を重ね、ゴシック、ルネサンス、バロック、ロココなど時々の様々な様式が混在する独特の建築物となっている。スヴォルノスティ広場から聖ヴィート教会までの石畳の小道(土産物屋などがあり、城の眺めも良い)を歩いた後、「赤い門」から城へ入った。「城の塔」はこの街の象徴でもあり、何処からでも眺められる。ある城主が熊が好きだったとかで、今でも城内で熊2匹が飼われている。

城からの街の眺めには感動した。こんな眺めはこれまで写真では見ていたが、目の当たりに見るのは初めてだ。この地区全体が1992年世界遺産に指定されている。

チェスキークルモノフに昼食含めて3時間強滞在し、その後、バスでプラハへ向かった。

冲中一郎