中欧4か国人気都市めぐりの旅~その4~


プラハ旧市街地

カルレ橋を渡ってから、お土産店が並ぶ石畳(カレル通り)を進み、旧市街に広場に向かった。まず見えるのは旧市庁舎。プラハは「百塔の街」と言われるように尖塔があちこちにある。旧市庁舎の横にあるのは1410年頃に作られた塔(ゴシック様式)だ。上の文字盤が時計、下の文字盤がカレンダーになっている。毎正時に時計の両横の人形と時計の上の二つの箱の中から出てくる人形がからくり芝居を演ずる。プラハ旧市街広場には人が一杯集まっている。そこから見た聖ミクラーシュ教会。13世紀の初めにロマネスク様式で建てられたが、18世紀にバロック様式に改築されたそうだ。そして広場の真ん中にヤン・フス像。ヤン・フスは、チェコの宗教改革の先駆者として知られている。当時のローマ教会の堕落を厳しく批判したため、1415年に火あぶりの刑になり死亡する。以後、チョコにおける信者(フス派)は、ローマカトリック教会と戦うことになる(フス戦争)。中央のやや右に見える2つの塔をもつ建物は、百塔の街プラハの象徴とも言えるティーン教会(外部はゴシック様式、内部はバロック様式)。広場ではオープンカフェで日差しをまともに受けながら多くの人が飲み食いしている。日本人には日差しがきつくて日陰に入りたいほどの気候だが・・・。

カレルシュテイン城

昼食後、向かったのはプラハからやく20kmほど離れたところにある、カレルシュテイン城だ。このお城は14世紀にチェコ国王かつ神聖ローマ帝国皇帝でもあったカレル四世によって、帝国の宝物庫(聖遺物庫)として建てられたものだ。深い森と岩で囲まれた小高い丘の上にある。歴代の皇帝が夏に避暑に来ていたところでもある。その道中、バスの車窓から一面菜の花畑の光景が続いた。そして、到着後、坂道を馬車で上がることにした。内部には、「騎士の間」や「王の寝室」などがそのまま残されている(トイレも)。聖母マリア礼拝堂の壁には、14世紀に描かれたユニークなヨハネ黙示録のフレスコ画を見ることが出来る。

プラハの創業500年前のビアホ―ルで盛り上がる

プラハに帰ってからは夕食だ。創業は1499年、プラハで最も古いビア・ホール「ウ・フレク」。敷地内の醸造所では、このレストランでしか味わえない黒ビール(一杯サービスでつく)が、170年間同じ製法を守って造られている。このレストランでは黒ビールしか扱っていない。メインディッシュは「グヤーシュ」。蒸しパンと一緒に食べる。食事中、生演奏があり、客のドイツ人、ロシア人、中国人、そして日本人がそれぞれの国の音楽に合わせて合唱しながら、1階席、2階席全体が手拍子で盛り上がる。隣のロシア人と腕を組みながら歌い始める。「里の秋」「上を向いて歩こう」「知床旅情」など日本人客向けの音楽も奏でてくれた。

夜はプラハに宿泊し、翌4日目はスロバキアの首都ブラチスラバ見学後、ハンガリーのブダペストに入り、夜景の美しいドナウ河クルーズを楽しんだ。次回紹介したい。

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