第14回JASIPA経営者サロン実施(30日)

今回は、香取理事に「地方展開」についてアクティス殿(以降A社)の取り組みのご紹介を頂き、その後、地方展開の目的、課題などに関する意見交換を行った。今回の参加者は11名で、初参加者は2名。

この日は、香取さんの誕生日とは知らず、誠に申し訳ないことでしたが、懇切丁寧に話題の提供を頂いた。A社では、アライアンス先との事業展開や、採用の関係で創業以来10か所の地方事業所を持ち(現在は7か所)、積極的に地方展開を行っている。関西(大阪、神戸)、札幌、福岡ではビジネスパートナー含めてそれなりの規模の事業になっており、目的は達していると思われる。が、地方のマーケット規模、社員の処遇(給与・転勤)、管理コストなどの問題は、いずこも同じで悩ましい問題として存在する。当日、参加頂いた方の所属企業でも地方に事業所を持っている企業は、同じような問題を抱えている。一つ興味深かったのは、ある地方で事業所を立てながら採用にも大きな効果を出している企業が、地方採用者を東京に最初は勤務させて勉強させ、成長できた人間を地方に戻す形を取っているとの話。地方のお客さまへの信頼獲得だけではなく、採用面でもいい循環を廻す一つの知恵だと感じた。家の都合で、いずれ出身地の地元でとの思いを持つ若い経営者もいて、今日の議論は結論は出ないが、参考になったのではないかと思われる。香取さん、ありがとうございました。

折しも、当日朝日新聞に、都道府県ごとの経済的な豊かさを表わす「県民所得」(2010年度分)の内閣府発表データが掲載されていた。1位は東京で430.6万円、2位が滋賀で326.9万円、神奈川が7位で291万円、大阪は11位で282.1万円、最下位は沖縄の202.5万円。この格差をどう見るか?生活コストの差とも考えられるが、ここに地方事業の難しさが現れているとも言えるのではと思える。ますます東京一極集中が進む中、地方の活性化が喫緊の課題として存在するが、政府も民間も悩みは多い。

次回6月は27日(木)開催予定。

中欧4か国人気都市めぐりの旅~その5~

4日目はプラハを出て、スロバキアの首都ブラチスラバを目指す。約330kmの工程だ。

プラチスラバ

プラチスラバに到着すると。まず見えるのは丘の上の城だ。「ひっ くり返ったテーブル」の愛称で地元の人々に親しまれているブラチスラバ城だ。4隅にテーブルの脚のように塔が建っていることからそう呼ばれるそうだ。起源は紀元前だが、16世紀に四翼を持つルネサンスの宮殿に立て直され、18世紀にハブスブルグ家の領袖マリア・テレーザの居城としても使われた(マリア・テレジアはオーストリア大公であると同時にハンガリー女王でもあった)。広場に進むと、聖マルティン教会が見える。14 世紀初頭から約 200年間かけて建てられた教会。1741年にはマリア・テレジアもこの教会で戴冠したそうだ。チェコにもあったが、広場にペスト終焉を祈念する塔が建っている。

旧市街地の様子だ。中欧全般が音楽の街で、モーツアルトやリストのレリーフが壁に貼り付けられている記念館があった。石畳の奥の塔は旧市街を囲む城壁に付いていた 4つの門のうち、現存する唯一の門「ミハイルの門」。3つの門はマリア・テレーザが、この街のさらなる発展のために壊したそうだ。武器庫としても使われていた。

中世より市の中心広場として使われたフラブネ広場で、様々な市の催しや集会・処刑などが行われ、また市場が立ったとか。最初の写真が旧市庁舎で現在は博物館。次の写真で旧市庁舎の右隣が日本大使館。広場にはロランド噴水(像はオーストリア皇帝マクシミリアン 2世?)があり、ブラチスラバ最古の公共水汲み場でもある。このあたりの通りには、ナポレオンの像などいろんな像があるが、絵葉書などでも有名なのが「マンホールから覗く像」。ユーモアあふれる像が町に点在している。

フビエズドスラボボ広場に出ると、国立オペラ劇場がある。門の中に、ベートーベン、ゲーテ、モーツアルト、リストなどの像が建っている。オペラ座から右を見るとスロバキアフィルハーモニーのコンサートホール、通りを挟んで右には五つ星のカールトンホテル(1871建立)。そしてプロムナード公園が続く(この一角にアンデルセンの像があり)。

その後、最初に見たブラチスラバ城にバスで行く。ドナウ河と旧市街を見下ろす小高い丘に建つ街のシンブル的建物。内部は博物館。ここから見るドナウ河の光景はすばらしかった。

ブラチスラバには4時間ほどいて、その後、ハンガリーのブダペストへ。この日が最も工程が長く、ブダペストまで約190km。ブダペスト到着し、夕食後ドナウ河クルーズで夜景を楽しんだ。

中欧4か国人気都市めぐりの旅~その4~

プラハ旧市街地

カルレ橋を渡ってから、お土産店が並ぶ石畳(カレル通り)を進み、旧市街に広場に向かった。まず見えるのは旧市庁舎。プラハは「百塔の街」と言われるように尖塔があちこちにある。旧市庁舎の横にあるのは1410年頃に作られた塔(ゴシック様式)だ。上の文字盤が時計、下の文字盤がカレンダーになっている。毎正時に時計の両横の人形と時計の上の二つの箱の中から出てくる人形がからくり芝居を演ずる。プラハ旧市街広場には人が一杯集まっている。そこから見た聖ミクラーシュ教会。13世紀の初めにロマネスク様式で建てられたが、18世紀にバロック様式に改築されたそうだ。そして広場の真ん中にヤン・フス像。ヤン・フスは、チェコの宗教改革の先駆者として知られている。当時のローマ教会の堕落を厳しく批判したため、1415年に火あぶりの刑になり死亡する。以後、チョコにおける信者(フス派)は、ローマカトリック教会と戦うことになる(フス戦争)。中央のやや右に見える2つの塔をもつ建物は、百塔の街プラハの象徴とも言えるティーン教会(外部はゴシック様式、内部はバロック様式)。広場ではオープンカフェで日差しをまともに受けながら多くの人が飲み食いしている。日本人には日差しがきつくて日陰に入りたいほどの気候だが・・・。

カレルシュテイン城

昼食後、向かったのはプラハからやく20kmほど離れたところにある、カレルシュテイン城だ。このお城は14世紀にチェコ国王かつ神聖ローマ帝国皇帝でもあったカレル四世によって、帝国の宝物庫(聖遺物庫)として建てられたものだ。深い森と岩で囲まれた小高い丘の上にある。歴代の皇帝が夏に避暑に来ていたところでもある。その道中、バスの車窓から一面菜の花畑の光景が続いた。そして、到着後、坂道を馬車で上がることにした。内部には、「騎士の間」や「王の寝室」などがそのまま残されている(トイレも)。聖母マリア礼拝堂の壁には、14世紀に描かれたユニークなヨハネ黙示録のフレスコ画を見ることが出来る。

プラハの創業500年前のビアホ―ルで盛り上がる

プラハに帰ってからは夕食だ。創業は1499年、プラハで最も古いビア・ホール「ウ・フレク」。敷地内の醸造所では、このレストランでしか味わえない黒ビール(一杯サービスでつく)が、170年間同じ製法を守って造られている。このレストランでは黒ビールしか扱っていない。メインディッシュは「グヤーシュ」。蒸しパンと一緒に食べる。食事中、生演奏があり、客のドイツ人、ロシア人、中国人、そして日本人がそれぞれの国の音楽に合わせて合唱しながら、1階席、2階席全体が手拍子で盛り上がる。隣のロシア人と腕を組みながら歌い始める。「里の秋」「上を向いて歩こう」「知床旅情」など日本人客向けの音楽も奏でてくれた。

夜はプラハに宿泊し、翌4日目はスロバキアの首都ブラチスラバ見学後、ハンガリーのブダペストに入り、夜景の美しいドナウ河クルーズを楽しんだ。次回紹介したい。

冲中一郎