「さらば安売り」でんかのヤマグチ山口社長の連載記事始まる

“さらば安売り!ウチは「量販店の2倍の価格」でもテレビが売れる”(日経ビジネスオンライン2013.3.12 http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130305/244566/?mlp)。当ブログでも何度も紹介しており(http://jasipa.jp/blog-entry/7295)、坂本光司法政大学教授の「日本でいちばん大切にしたい会社」講演会(http://jasipa.jp/blog-entry/8437)の中でも出てきた、町田市の家電販売店「でんかのヤマグチ」山口社長の連載の第1回目”高くても買ってくれる顧客を増やす方法“が始まった。地方に量販店が進出した時、多くの販売店が店を閉めざるを得なくなる状況下で、10年で営業利益35%を達成すると宣言し、8年で目標を達成してしまった山口社長は、本(なぜこの店では、テレビが2倍の値段でも売れるのか2013.2.19日経BP社)も出版されたり、各地に呼ばれ講演でも忙しいと聞く。

50インチの液晶テレビの価格は32万8000円。量販店では同じ製品が17万8000円位で、15万円の開きがある。それでもヤマグチの客は買ってくれる。その秘密は「徹底した顧客サービスにある」。レコーダーのセッティングとか、買ってもらった電球の交換などは当たり前のサービス(「表サービス」)。ヤマグチでは「裏サービス」に注力している。営業担当者が車で回っている時、顔見知りのお客様に声をかけると、今から病院に行かれると言う。「それなら送りましょう」と車で病院まで送る。韓流ドラマなどを録画するために定期的にお客様の自宅にお邪魔する。「遠くの親戚より、近くのヤマグチ」とお客様から言われているとの事。社員の名刺には「でんかのヤマグチはトンデ行きます」とのモットーが書かれている。

単に「モットー」があるから社員も喜んでサービスを徹底できているのか?お客様のかゆいところを察知するための「気付きの力」がなければ、お客様に満足してもらえるサービスは出来ない。その力を養うために「お客様にしたことシート」を毎日作成することにしている。商談以外で、「お客様に自発的にして挙げた事」を書いて提出する。「雨どいを掃除した」「植木の枯枝を切った」「街灯の清掃をした」など、いろんな報告があると言う。このシートに毎日書くことによって、商品を売りこむ以外に「何をすればお客様に喜んでもらえるか」を自然に考えるようになったそうだ。

自社の商品を得ることだけに精力を注いでいる営業マンが、お客様からの信頼を得られるだろうか?これから、IT業界も、如何に安売り競争から脱皮し、お客様に求められ、喜ばれる付加価値競争、サービス競争に勝つかが問われる。「でんかのヤマグチ」と同じ考え方で成功している中小企業は数多くあると、坂本教授は多くの事例を紹介される。ぜひ、山口社長の連載記事に注目してほしい。

スマトラ津波から島民救った叙事詩

東日本大震災から2年。この2~3日テレビ、新聞などのメディアは集中的に震災報道をしている。2年前のあの悲劇を思い出し、その悲劇を乗り越えて力強く生きる人たちの姿に感動を覚える。と共に、もっと自分としてやるべきことがあったのではとの反省や、また今後何か力になれることはないか、二度とこんな悲劇を起こさないために何をすればいいのか、考える機会を与えてくれる。私も経験した阪神・淡路大震災も18年が経過し、毎年鎮魂祭などを現地ではしているが、正直、その時の恐怖感は時間と共に薄れてくるのも事実だ。東日本大震災も、時間と共に、風化を心配する声が上がっているが、東南海地震などいつ起こってもおかしくない予測もあり、被災地東日本の一刻も早い復興と共に、今後の地震対策も喫緊の課題となっている。

過去の経験を活かして、見事に島民が救われた事例が朝日新聞デジタルで紹介されていた(http://www.asahi.com/international/update/0310/TKY201303100072.html?ref=nmail)。22万人以上の死者・行方不明者を出した2004年のスマトラ沖津波の際、震源のすぐ近くのアチェ州シムル島では死者がほとんど出なかったとの事だ。人口8万の小さな島だが、2004年12月26日マグニチュード9.1のスマトラ沖大地震発生の約8分後から10メートルを超える津波が島を襲った。だが、津波警報も出ず、サイレンもない島で、ほぼ全員が一目散に高台へ逃げた。住宅4000軒が流されたが津波の犠牲者は一人だったそうだ。なぜ、こんな行動が出来たのか?島には、人生や恋愛、子供などをテーマにした叙事詩が昔からあり、それを歌詞にして延々と歌い継がれている。106年前(1907年)の津波被害の際、水が引いた海岸に打ち上げられた魚を拾いに行った多数の島民が犠牲になったと言われている。その時の教訓を叙事詩と言う形で表し、歌い継がれている。歌詞は伝統的な4行の叙事詩で、独唱と合唱が太鼓の音とともに繰り返され延々と続く。

  • 2004年末/1907年のような津波が来た/昔話を聞いて良かった/島民が大勢助かった
  • 住むところがない/寝場所を捜す/アチェで2004年/日本で2011年

悲劇が起こる度に、叙事詩が付け加えられる。村の長老は、「これ以上長くなるのはゴメンだ」と。シムル島でも、2004年の津波後の生活の再建は途上にあると言う。

全国どこでも大地震が起こる可能性のある日本で、国民全員が、常に記憶を呼び戻し、危機感を新たにする施策は?難しい問題だが、我々自身が常に自らに問い続けなければならない問題だ。

初夏のような気候で梅が満開(亀戸天神)

今日、次男夫婦の’帯祝’で近くの亀戸天神に行ってきた。大安の休日ということもあったのか、祈祷を待つ人や、東京バザールや江戸囃子を楽しむ人も多く賑わいを見せていた。

有名な太鼓橋はペンキ塗りで通行できなかったが、初夏のような天候に誘われ梅が一気に花開き、まさに満開だった。

何度か行っているが、今回初めて気がついたが、池に無数の亀がいた。池の中から出ている小岩に群がって"甲の天日干し"をしたり、泳いだりしていた。

午後から急にスカイツリーがかすむ程、空気が澱んできたため、てっきり中国大陸の黄砂かと思ったが、強風に巻き上げられた”煙霧”だったそうだ。帰りに、桜並木が待ち遠しい緑道公園で、1本だけだが桜の花が開いているのを見つけた。春が近いことを実感した。

3月8日にFBにUPしたが、春を告げる沈丁花もこの2~3日の暖かさで一気に花を開かせ、周囲に香りをまき散らせている。(大島緑道公園)