スマトラ津波から島民救った叙事詩


東日本大震災から2年。この2~3日テレビ、新聞などのメディアは集中的に震災報道をしている。2年前のあの悲劇を思い出し、その悲劇を乗り越えて力強く生きる人たちの姿に感動を覚える。と共に、もっと自分としてやるべきことがあったのではとの反省や、また今後何か力になれることはないか、二度とこんな悲劇を起こさないために何をすればいいのか、考える機会を与えてくれる。私も経験した阪神・淡路大震災も18年が経過し、毎年鎮魂祭などを現地ではしているが、正直、その時の恐怖感は時間と共に薄れてくるのも事実だ。東日本大震災も、時間と共に、風化を心配する声が上がっているが、東南海地震などいつ起こってもおかしくない予測もあり、被災地東日本の一刻も早い復興と共に、今後の地震対策も喫緊の課題となっている。

過去の経験を活かして、見事に島民が救われた事例が朝日新聞デジタルで紹介されていた(http://www.asahi.com/international/update/0310/TKY201303100072.html?ref=nmail)。22万人以上の死者・行方不明者を出した2004年のスマトラ沖津波の際、震源のすぐ近くのアチェ州シムル島では死者がほとんど出なかったとの事だ。人口8万の小さな島だが、2004年12月26日マグニチュード9.1のスマトラ沖大地震発生の約8分後から10メートルを超える津波が島を襲った。だが、津波警報も出ず、サイレンもない島で、ほぼ全員が一目散に高台へ逃げた。住宅4000軒が流されたが津波の犠牲者は一人だったそうだ。なぜ、こんな行動が出来たのか?島には、人生や恋愛、子供などをテーマにした叙事詩が昔からあり、それを歌詞にして延々と歌い継がれている。106年前(1907年)の津波被害の際、水が引いた海岸に打ち上げられた魚を拾いに行った多数の島民が犠牲になったと言われている。その時の教訓を叙事詩と言う形で表し、歌い継がれている。歌詞は伝統的な4行の叙事詩で、独唱と合唱が太鼓の音とともに繰り返され延々と続く。

  • 2004年末/1907年のような津波が来た/昔話を聞いて良かった/島民が大勢助かった
  • 住むところがない/寝場所を捜す/アチェで2004年/日本で2011年

悲劇が起こる度に、叙事詩が付け加えられる。村の長老は、「これ以上長くなるのはゴメンだ」と。シムル島でも、2004年の津波後の生活の再建は途上にあると言う。

全国どこでも大地震が起こる可能性のある日本で、国民全員が、常に記憶を呼び戻し、危機感を新たにする施策は?難しい問題だが、我々自身が常に自らに問い続けなければならない問題だ。

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