社長のための「お客さま第一」の会社のつくり方(小宮一慶)

標題の題名の本が出版された(東洋経済、2013.1.31)。副題が「明日から職場を変える行動プログラム」だ。小宮氏に関しては先月にも「人物力養成講座」を紹介した(http://jasipa.jp/blog-entry/8470)。

私自身も、パイが先細りすること必至のこれからのIT業界は、お客様に対するサービス競争が激烈化する中で「お客さま第一」の理念・行動が如何に会社全体に徹底できるかがポイントになってくると思っている。お客さま隷属型、労務提供型業務からの脱皮だ。その意味で、表題のタイトルに惹かれて購入した。これまで、「お客様の価値を感じて働く企業へ」と題したお話を、知り合いの企業やJASIPAなどでお話しさせて頂いており、この3月のJASIPA経営者サロン(28日)でも、このテーマで意見交換をしたいと思っている。

小宮氏は、ほとんどの会社が「お客さま第一」を理念や方針で掲げているが、そうなっている会社は一握りで、ほとんどできていないのが実態と言う。小宮氏の経営コンサル経験に基づく具体的な成功事例をもとに、「お客さま第一」を会社全体に徹底するための考え方や方策を述べている。意識改革を唱えるよりは、まずは小さな行動を実践する事。お客様のお名前を「さん付け」で呼ぶ、電話は3コール以内にとる、お客さまを訪問する時は必ず約束の5分前には行く、お客様さまが帰られるときは、玄関先までお見送りする、笑顔で挨拶する・・・・。このようなことから始めて、自分の周りの環境整備を徹底する。これらは、経営者自らが率先してやることが重要。行動が、「気付き」を呼び覚まし、お客さまに対する行動も変わってくる。

名著「ビジョナリー・カンパニー」(ジェームズ・C・コリンズ)でも、「ビジョンや理念を追求する会社の方が、金儲けだけを目指していた会社よりも儲かっていた」との事実が紹介されている。「お客さま第一」を社員に浸透させるためにも。「経営者の志、正しい考え方」をベースとして、理念・ビジョンが策定され、それを日々社員に伝えることを継続していかなければならない。経営者が、正しい理念のもとに率先して行動できる会社が、「お客さま第一」の企業風土創りにもっとも近い存在に成りうると小宮氏は言う。自動ドアの設置やメンテナンスを事業とする神奈川ナプコや京都の傳来工房の成功事例も紹介されている。やはり社長の責任は重いとも言える。著名な経営コンサル一倉定氏の言葉「会社にはよい会社、悪い会社はない。良い社長、悪い社長がある」。猛省させられる。

JASIPA会員の皆様、3月28日19時~21時経営者サロン(飯田橋JASIPA事務所)に是非ともご参加ください。皆さんとの意見交換楽しみにしています。

この一瞬を全力で生きる(元ソフトバンクホークス小久保選手)

「一瞬に生きる」(小学館、2013.1.31)を出版した小久保選手。チームを3回日本一に導き、400本塁打、2000本安打を達成して19年間の現役生活に昨年ピリオドを打った。プロ野球を代表する選手だが、華やかさの裏には、スランプもあり、大怪我も経験する中で、精神面を鍛える努力も並大抵のものではなかったことが、作家神渡良平氏との対談記事で分かる(「致知2013.3」より)。

巨人では初めて、生え抜き以外の主将を務めた。王監督や原監督が認める小久保氏のリーダーシップは、どうやって磨かれたのか?小久保氏は、「プロで成功した一番の要因は王監督との出会いだ」と言う。「練習の時に楽をするな、練習の時に苦しめ」のような言葉はもちろんだが、特に印象に残っているのは、入団2年目の日生球場での公式戦最終戦のこと。負けが続き、起こったファンから帰りのバスに多くの卵を外の景色が見えなくなるくらい投げつけられた。その時、王監督は全く動ぜず「ああいう風に怒ってくれるのが本当のファンだ。あの人たちを喜ばせるのが俺たちの仕事だ。それが出来なければプロではない」と。絶対に言い訳しない監督の姿に「あんなやつらに」と頭に来ていた自分を大いに悔いたそうだ。

そういう指導の中で、「心の平静さ」は打撃に直結する、との思いで、自分を顧みる「内観」研究所の門を叩き、3度指導を受けたとのこと。「内観」とは、これまでの人生で起きた事実(してもらったこと、お返しをしたこと、迷惑をかけたこと)を客観的に振り返ることで自分を深く見つめていく修業を言う。神渡氏も、「自分は自己主張の強い男で、‘俺が、俺が’の世界で生きてきた。‘作家になれたのも俺が頑張ったから’と思っていたが、内観を通して実は父や母が背後から手を合わせて祈ってくれていたことに気付いて号泣し、初めて両親に感謝の心を抱くことが出来た」と言う。小久保氏も、小学1年の時、野球をやめると言って泣きながら柱につかまる自分を無理やりグラウンドに連れて行った母親の愛に気付き、2000本安打表彰式に母親を呼び寄せ、グラウンドで王監督と記念撮影をして恩返しをした。小久保氏は言う。「内観を初めて経験した翌年、オープン戦で大怪我をした後、アリゾナでリハビリしたが、その際、内観で教わった“この一瞬に生きる”と言う言葉を胸に自分を奮い立たせることが出来た」と。数字がすべての厳しいプロの世界で生き抜くためには、内面の強さ、精神力がなければ壁を乗り越えられない。何よりも、内観を通して周囲の人に感謝できるようになったことが、スランプや怪我を克服できた大きな要因だったと言う。昨年クライマックスシリーズで日本ハムに敗れたとき、引退を決めていた小久保選手の所に(優勝胴上げの前に)、栗山監督や稲葉選手が駆け寄り、両チームの選手による胴上げがあり、そのありがたさに小久保選手は声を挙げて号泣したそうだ。小久保氏の人間性を表わすものと言える。

双葉山や白鵬が言う「未だ木鶏たりえず」と安岡正篤氏や稲盛和夫氏に教えを請い、常に平静心で戦えるよう鍛錬したのと相通じるものがある(http://jasipa.jp/blog-entry/7998)。最後に小久保氏は言う。「ちょっとかじったくらいでは仕事の本質は絶対にわからない。どんなちいさな仕事であっても、それを天職と自分で思って全身全霊をかけてぶつかり、目の前の課題を一個一個クリアする中で次の展開が見えてくる」、まさに「この一瞬に全力で生きる」ことの重要性を説く。成功者の言葉として心に響く。

プロの音楽家の厳しさ(バイオリニスト諏訪内晶子)

10日の朝日新聞26面に諏訪内晶子さんが仕事力について語る記事があった。諏訪内さんのお父さんはIBMで新日鉄の営業をやっておられ、JUASの細川顧問とブラジルの技術協力にご一緒させて頂いた折、その帰りにアメリカのIBMの紹介などでお世話になった方である。2~3年前にゴルフをご一緒させて頂いた折は、まだIBMで頑張っておられた。晶子さんは、20歳前(1990年)にチャイコフスキー国際コンクールで最年少、日本人初の優勝を飾り、一躍バイオリニストとして名をはせた方である。翌年、紀尾井ホールで開かれたコンサートで第1回新日鉄音楽賞を受賞され、その縁で新日鉄のCMにも出て頂いた記憶がある。今や押すに押されぬ第一人者として世界を舞台に活躍中である。

朝日新聞の記事のタイトルは「人生に懸けて追いかける」。プロとは何かを、20歳前後から世界的な演奏家から教わったとの事だが、名バイオリニストのアイザック・スターンには、「指導者の教えてくれたまま演奏するのは改めなければならない」と厳しい忠告を受けたそうだ。「作曲者の自筆譜を研究して、自分なりの演奏をし、しかもその演奏を自分の言葉で表現できなくてはならない。」問題を自分で考え、自分の内部で消化し、解決策がきちんと自分のものになっていなければならない、と。自分でどう弾きたいのか、どう表現したいのか。「プロの音楽家」としての姿勢だ。晶子さんはその時大きな衝撃を受けたと言う。「作曲家が曲を書いた背景を演奏家も理解していなくてはならない。音楽もいろいろな社会の状況や政治情勢とも無縁ではない。」晶子さんは新聞を隅から隅まで読むようになったと言う。

芸術と言う世界まで踏み込まねばとの思いで、米国のジュリアード音楽院に留学。校長先生は、音楽は総合的な芸術であり、アカデミックな学問も必要であると、並行してコロンビア大学で政治思想史などを受講する機会も与えてもたったそうだ。バイオリンを演奏するために、広く学問を志す。「プロになる」ということの大変さを教えてもらった。

プロとは?「プロの条件~人間力を高める5つの秘伝」(藤尾秀昭著、武田早雲書、致知出版社)によれば「仕事をすることによって報酬を得ている人は、そのことによって、既にプロである。またプロでなければならないはず」とし、プロとアマの違いを指摘する。

  • 自分で高い目標を立てられる人
  • 約束を守る:自分に与えられた報酬にふさわしい成果をきっちり出せる人、言い訳はしない
  • 準備をする:絶対に成功すると言う責任を自分に課す。絶対に成功するために徹底して準備し自分を鍛える
  • 進んで代償を支払おうという気持ちを持っている:高い能力を維持するために時間とお金と努力を惜しまない。

過ぎ去った時間は取り戻せない。年老いて、学ぶにつれ、過去を悔いる自分が情けない。せめて余生は「頑張った」と言えるものにしたい。