国内IT投資は減る一方?

15日わが社の隣のハイアットリージェンシー東京で、情報労連主催、JISA.JUAS、CSAJ共催の情報サービスフォーラムがあった。テーマは「情報サービス産業はどこへ向かうのか」。経済産業省(後援)の田辺課長補佐の講演の後、パネルディスカッションがあった。パネリストはJISA副会長(ITホールディング社長)の岡本氏、JUAS顧問の細川氏ほか労働政策専門家、NTT労組の方々で、趣旨は「JISAの言うパラダイムシフトの中で、今後の労働施策の在り方」が主題のようであった。

JUASはユーザー企業を抱え、ユーザー側のデータを豊富に持っておられ、その一部を細川氏が披露されたが、データに基づく日本IT業界の危機があらわされていたので、簡単に紹介する。

現在の価値レベル(EBITDA)に焼き直した収益率でみても日本の全産業の収益率は欧米、新興国(アジア圏含む)に比してもかなり低い。それが原因かどうかわからないが、企業の売上高に占めるIT投資額比率を見ても諸外国に比しかなり低い(日本1.0%、北米4.2%、欧州3.0%、アジアパシフィック2.8%、ラテンアメリカ2.5%)。そして、日本ではその比率は、20002年から6年間で50%も低下した(JUAS IT動向調査より)。これはハードウェア費用の低下や、仮想化、クラウドの活用などの影響もあるが、さらに今後3年間で30%は減るとの観測もある。

一方日本企業の海外生産比率、売上高比率は毎年UPし、双方ともに30%を超えている。海外進出の実態を見ると、素材産業では6割の企業が、機械器具製造では4社に3社が、また大企業では7割の企業が海外進出済みとのデータも紹介された。

我が国のIT経営度レベルでは、米国のみならず韓国にも劣っているとのデータも紹介された。ユーザー企業のITベンダーへの期待レベル調査では、システム構築や安定稼働に対しては期待に応えられているとするも、ビジネスプロセスやビジネスモデルの変革に関しては課題が多いとされている。

現在の不況から脱することが出来ても、IT投資額は元には戻らないとも言われています。JISAの言うパラダイムシフト、「受託開発型からサービス提供型へ」、「労働集約型から知識集約型へ」、「多重下請構造から水平分業型へ」、「顧客従属型からパートナー型へ」「ドメスティック産業からグローバル産業化へ」は必然の方向とも言える。

IT業界に働く人、みんなで真剣に考えねばならない喫緊の課題と言えよう。

有色人種差別を覆したのが日本人!(「致知」より)

多くの歴史書にも「日露戦争の日本の勝利が世界の有色人種国家に勇気を与えた」史実が書かれていますが、ここでは「致知(2011.12)」に掲載された上智大学名誉教授の渡部昇一氏の記事を紹介します。

11月3日を戦前は「明治節」と言い、明治天皇の偉業を偲び、明治と言う時代の歴史的意義を心に刻む日だったそうです。歴史的意義とは、「文」では西欧文化の文明の摂取と消化、そして「武」では日露戦争の勝利の2点に集約される。そして、幕末のアメリカとの不平等条約から脱するために、西欧の文化制度を勉強しながら有色人種国家で初めて成文憲法の制定をした(明治22年公布)。さらには、明治になって、欧米文明を知るにつれ日本古来の文化・気質が失われつつあった状況を危惧した人たちによって、教育勅語が天皇陛下下賜の形をとって明治33年発表されました(この時「教育勅語」に関する倫理教育が制度化されましたが、第二次世界大戦後のアメリカの日本弱体化占領政策で教育から排除されます)。そうするうちに、明治37年―38年日露戦争で、白色人種国家ロシア(ナポレオンを追い返した白人国家の雄)を有色人種国家日本が、陸でも海でも一度も負けずに打ち負かしました。

コロンブスがアメリカ大陸を発見し(1492年)、以降、自然科学の発達と近代工業の勃興が相まって、全地球的に白人国家が世界の主人公となっていった。弱者は奴隷にされ、ややまとまりのある地域は植民地にされ、日本のようにいささか政治的基盤のある地域は差別契約を押しつけられた。こんな状態が400年続いたのである。この間、自然科学も近代工業も白人種のみがなしうることで有色人種にはかなわぬこととの固定観念、動かぬ信念を、日本以外の有色人種国家は受け入れてしまっていた。それを打ち砕いたのが日露戦争での日本の勝利だった。さらには、アメリカに戦争を挑んだ大東亜戦争も、有色人種国家に勇気を与えたのである。

20世紀初頭は、有色人種国家が次々と立ち上がり独立を果たし、どんな弱小国家でも主権国家として尊重され、国連ではその一票がどのような大国とも同等の力を持つと言う観念、慣習が確立した。この「20世紀の歴史を変えたのが日本」であった史実を日本人は知り、誇りを持って世界に対峙して行かねばならない。

奇しくも今、TPPで「アメリカの言うままになるのか?」、「アメリカと対等に渡り合えるのか?」との議論が沸騰している。残念ながら、まだアメリカ人には日本に対して「人種差別を阻害する有色人種の国」という憎しみに似た意識が巣くっていることは否定できないと渡部氏は言う。史実を胸に、毅然とした態度での交渉を願いたい。

何と言うドラマ!!!(昨日の男女プロゴルフを見て)

男子の三井住友VISAマスターズと女子の伊藤園レディスゴルフトーナメントをテレビで見ました。こんなドラマが男女双方に起こるとは、ほんとに驚きました。

まず男子。アマの松山英樹が、後半怒涛のバーディラッシュでトップに躍り出る。石川遼とは差が開くばかり。先を行くその石川遼が、17番でプロになって二度目のホールインワン(3日間でバーディをとったのが4人だけと言う難ホールで)、その時、たしか松山が11アンダーで、石川が9アンダー。石川は逆転優勝の望みをつないで18番ホールへ。そしてドライバーはビッグドライブでフェアウェイ。初日イーグルのホール。誰もがイーグルかバーディ確実と思っていたら、第二打は池ポチャで辛うじてパー。これで優勝の望みは消滅。しかし、松山は17番で痛恨のボギー(11アンダー)。気を取り直して18番へ。最初に9アンダーの谷口がイーグルチャンスにつける。かなりのプレッシャーの中で松山の第2打はOKイーグルのところへ。結局2打差でアマ優勝(2007石川に続き3人目の偉業)。

女子は、賞金女王を狙う横峯さくらがトップを走り、誰もが優勝を確信している中、初優勝を狙う藤本麻子がINに入って横峰に急迫。たしか17番で並び(10アンダー)18番へ。ドライバーは双方ともフェアウェイ。先に打った横峯がまさかの池ポチャ。それを見た藤本は安全策で攻めグリーンオンしたがホールにはかなりの距離を残す。藤本はファーストパットも微妙な距離を残す。横峯がボギーパットを入れ、藤本が外すとプレーオフという局面。先に横峯が外したが、後ろから来る馬場かおりが9アンダー。藤本は外せないパットを見事押しこみ初優勝。

石川は、17番のホールインワンでティグラウンドの観衆と大騒ぎ。この勢いのままでドラーバーはビッグドライブ。しかし第2打の時、何があったか分からないが、1回仕切り直しをした。恐らく勢いのまま無心で打てば好結果を生んだと思うが、やはり人の子、心に何かが起こったのだろう(失敗は出来ない・・・などの気負い?)。横峯も、同じ場面で100回やってもあんな失敗はないと思えるようなショット。談話で「藤本の気迫を感じた」と言っているが、最後の攻めで、いつもとは違う精神的な気負いがでたのだろうか?一方松山は見事なショットで締めくくった。

石川にしろ、横峯にせよ、これまで何度も同じような経験をしているにもかかわらず、やはり冷静さを失うのだろうか。松山はアマ故に、何も恐れず、平常心で出来たのだろうか?白鵬(双葉山)が言う「我、いまだ木鶏たりえず」(http://jasipa.jp/blog-entry/6893)のことば通り、勝負の世界で如何に平常心を保てるか、その難しさを感じた1日でした。

土曜日は、浅田真央の復活にも感激させられました。