「日本の課題」カテゴリーアーカイブ

”45歳定年制”発言が物議を!?

経済同友会が9月上旬にオンラインで開いた夏季セミナーで、サントリホールディングスの新浪社長が「45歳定年制」を提唱した。これに関して日経朝刊9月22日の“Opinion”で上級論説委員水野裕司氏が「“45歳定年制”が拓くプロへの道」と題したコラムを、次の日の朝刊の「大機小機」では、四つ葉氏が「“45歳定年制”の”ご利益“」との題でコメントしている。世間の反響が大きく同社製品の不買運動を求める声に、新浪氏は「”個人は会社に頼らない仕組みが必要“との問題提起で、定年と言う言葉を使ったのはまずかったかもしれない」と釈明せざるを得なかった。

が、今回の記事を現した両氏は、表現はともかく今回の問題提起は今後の企業社会を考えると妥当な問題提起と言う。丹羽宇一郎氏が出された「会社がなくなる!~これから始まる”大企業の中小企業化”に備えよ!」(講談社新書、2021.9刊)も参考にしながら今回の問題提起について考える。

水野氏は「長期雇用は働き手にとってもうまみが薄れてきている」と言う。特に大企業(1000人以上)においては、2000年と2019年の40歳以上の給与を比較するとなべて下がっている。OECD主要23か国の1994年と2018年の名目賃金上昇率は日本だけがマイナス成長で、2019年には韓国にも先を越されたそうだ。仕事の成果に比して割高な中高年男子の給料を生産性に見合った水準に調整せざるを得ない動きが進んでいる。デジタル化はこの傾向を加速することになる。

現在、45歳定年制は「高齢者雇用安定法」があるため、実行に移せるわけはないが、今後少子化が加速し、労働者人口も減る中、より生産性UPが求められるため、今のままでは中高年受難の時代がより加速されることになる。新浪氏の「45歳定年制」発言はこうした状況認識に基づくものと考えられる。

企業としても、ジョブ型人事制度への移行を視野に、専門性の高いプロフェッショナル人材の育成に力を入れるしかない。そのためにも、どんな能力を求められるか、社内に開示すべきとする。

今、企業でもAIの進展や、DXによる企業改革などが叫ばれ、企業の仕事の質も大きく変革せざるを得ない状況に置かれている。“リカレント教育”とは違って、新規事業戦略立案やDX推進など企業改革が叫ばれる中、必要とする能力を磨く“リスキリング”は、既にアマゾンやマイクロソフトなど米国が先行し、日本でも日立や富士通などのIT企業や三菱商事などの商社も取り組み始めているそうだ。

丹羽氏の過激なタイトル「会社はなくなる」との問題認識も、人口減少を最大の課題とし、“人材こそ日本の最大の資源”として、“如何に人が変われるか”をテーマにしている。風土面でなかなか改善が難しい大企業ではなく、これからは“大企業の中小企業化”の進展を予測する。自動車業界の電気自動車への急速な変化に見る如く、AIやDXにより、もはやそれほど大人数の社員を必要としない産業構造の変化により、中小企業化が進むとの判断だ。人口減少による人材不足をカバーし、オープンイノベーションの起爆剤として、縦割り組織の決められた仕事を超えての副業、セカンドワークが今後のビジネスにおいて大きな役割を果たすことになると言う。例えば午前中は所属する企業の仕事をこなし、午後は異なる企業の社員が数人ほどで作った別の組織で働き、自分の専門領域を超えた新しい仕事(例えば医療や食物などの分野で)を切り拓く。そのために”リスキリング“で高度な知識を磨く。

賃金でも技術力でも世界で低位の日本。さらなる人口減少のなかで、生長するために変わらねばならないが、企業改革が必至となる将来を考えて、若い人たちは新浪氏が波紋を起こした“45歳定年制”を批判だけに終わらせてはならないと考える。

人類史 迫る初の人口減少!(日経)

日経朝刊の1面でこんな衝撃的な記事が掲載された(8月23日)。その後、「人口と世界~成長神話の先に~」と題したコラムが続いた(7回)。テーマは

人類の爆発的な膨張が終わり、人口が初めて下り坂に入る。経済発展や女性の社会的進出で、世界が低出生社会に転換しつつある。産業革命を経て人口増を追い風に経済を伸ばし続けた黄金期は過ぎた。人類は新たな繁栄の方程式を模索する。」ということ。

昨年7月にワシントン大学が「世界人口は2064年の97億人をピークに減少する」との衝撃的な予測を発表した。50年までに195か国・地域のうち151が人口を維持できなくなると言う。30万年の人類史で寒冷期や疫病で一時的に減ったことはあるが。初めて衰退期がやってきて、出生率が回復しなければいずれ人類は消滅するとも予言する。

1800年に約10億人だった世界人口がいまや78億人。人口が爆発的に増えたのは人類史で直近の200年間。ワシントン大の予測では減少幅が顕著なのは中国で2100年に現在の14,1億人から7.3億人になるという。

流れを変えたのは女性の教育と社会進出が加速したことによる出生率の低下、いち早く人口減に突入した日本にとっても改革のチャンスで、従来の発想を捨て、人口減でも持続成長できる社会に大胆に作り変えられるかが問われている。

以降の連載記事に関しては、各施策に関して論じている。

2回目は「労働輸出国 細る若年層~移民政策 国の盛衰占う~」。先進国では人口の増加が鈍った後も移民が成長を担ってきた。移民の数は、2020年に2億8100万人と20年前の1.6倍となった。米国では移民が1990年代のIT革命を支えた。ワシントン大では「今後30~40年は移民をめぐる競争になる」と予言する。人口減が本格的に訪れれば、もはや移民に頼り続けるのは難しい。当面は「選ばれる国、定着・永住できる国」になる工夫をしつつ、長期的に経済全体の生産性を如何に底上げするか施策の巧拙が各国の経済の浮沈を左右すると指摘する。

3回目は、「”出生率1.5”の落とし穴~少子化克服は“100年の計”~」。“出生率1.5の落とし穴”とも”出生率1.5のわな“とも言われる出生率1.5は、超少子化に陥る分水嶺とも称される。1.5以下を長く下回った後に回復した国はないそうだ。日本1.34、韓国0.84、タイ1.5、子育て支援が手厚いフィンランドも急降下して1.37。フランスは1870年普仏戦争の敗戦を契機に「少子化対策を国家100年の計」として推進した結果、ここ数年下がりつつあるとはいえ1.8を維持している。社会全体の生産性を上げなければ経済や社会保障は縮小し、少子化が一段と加速する悪循環に陥りかねない。100年の計を今こそスタートさせるべきとする。

4回目は、「富む前に超高齢化~社会保障の崖 世界に火種~」。現役世代が引退世代の生活を支える世代間扶養が基本の制度が、人口減によって危機に晒されている。人口減時代に社会保障を維持するには労働生産性を引き上げて経済成長を続けるしかない。その改革に今から向き合う国・地域だけが「老後の安心」を確保できる。

5回目は、「国力の方程式一変~量から質 豊かさを競う」。国力と人口の関係性は強かった。今後は人口と言う量に頼らず豊かさを実現するシステムを構築できるか、新たな国家間の競争が始まる。

6回目は、「忍び寄る停滞とデフレ~”日本病“絶つ戦略再起動~」。日本では1960年代10%を超す高度成長を遂げたが、生産年齢人口が減少に転じた90年代後半は成長率が1%台半ばに鈍化し低迷が続く。イギリスなど諸外国は、この事象を「日本化」と呼んで恐れる。ユーロ圏も13年ごろから”日本化“の兆候が見られると言う。かっての成功神話は通用しない。日本病の克服には縮む需要を喚起する成長分野への投資が欠かせない。DXや働き手のリスキリング(学びなおし)で生産性を高め、高齢化など人類共通の課題を解決するイノベーションも求められる。従来型の経済政策を見直すことが必要だ。

7回目は、「生産性が決する未来~”常識”崩して成熟の壁を破る~」。人口63万人のルクセンブルグは、かっての農業国から、金融など知識集約型産業を育て、一人当たり生産性は世界の1~2位を争っていた。その優等生に異変が生じている。2015年~19年の年平均労働生産性の伸び率がマイナス0.5%となり、OECD加盟国の中で最下位に沈んだ。その背景にあるのは、金融などデジタル化が進む中、対応できる人材の育成が遅れたこと。出生率も欧州でも下位の1.37。成長の悪循環に陥る前に、リスキリングを軸とする生産性改革などに着手したそうだ。生産性の向上には、雇用を失わせると言う副作用もある。が、このジレンマを乗り越え、大胆に変化できる国が、人口減少社会で先頭を走れる。鍵は人とテクノロジーの共創。必要なのは、人口が増え続けることを前提にした「常識」を崩し、人口減に合わせて社会をデザインし直す覚悟だ。

人口減少必至の将来を懸念して、政府も少子化対策を進めているが、効果は芳しくなく予測より人口減少は進んでいる。2020年名目GDP600兆円の目標も未達成で2003年に先送りされた。少子化対策に加えて、生産性向上対策を合わせて真剣に取り組まねばならないのではなかろうか?技術力にも陰りがある現状、日本をどんな国にするか、若者を元気にするためにも議論必須である。

今、まさに自民党総裁選の真っただ中だ。ぜひとも30~50年先の日本のグランドデザインを描くリーダーシップを取れるトップを選んでほしい。課題先進国の日本が、先陣を切って同じ悩みを持つ世界に発信し、世界をリードする絶好のチャンスだ。

戦時下”総力戦”に芸術家は何をしたか?(日経)

日本への原爆投下から46年、広島・長崎で原爆慰霊&平和記念式典が開かれ、近く終戦祈念日を迎える。戦後生まれの私としては、戦時中の話は、今年亡くなられた半藤一利氏の本などから知るしかない。日経の日曜版「The Style」の7月25日から連載されている「総力戦を生き抜く」は、“1937年に始まった日中戦争から敗戦までの8年間、日本は戦時体制一色に染まっていった中で、芸術家は何をしてきたのか”との新たな視点に興味を惹かれた。

7月25日の1回目は「演出された”明るい戦争“」だ。盧溝橋付近で発生した日中両軍の小競り合いがもとで1937年日中戦争が勃発。増兵のため第一次近衛内閣が総力戦に駆り出す「国民精神総動員」運動を展開。天皇陛下も反対し、お互いに宣戦布告もなしの変な戦争のため、国民の機運も高まらないことを心配した近衛内閣の一大キャンペーンだった。芸術家も駆り出され、横山大観竹内栖鳳などが政府のポスターの原画を寄贈したそうだ。地方自治体、企業なども巻き込んだ国家的な統制を強めたにも関わらず、戦時色の醸成は十分ではなかった。人々の心を揺り動かす決定的な出来事は1941年12月8日の真珠湾攻撃だった。真珠湾の華々しい成果に、高村光太郎や島木健作などもその感激を詩っている。「われら自ら力を養ひてひとたび起つ。老若男女皆兵なり。大敵非を悟るにいたるまでわれらは戦う(高村)」、「“妖雲を拝して天日を仰ぐ”というのは実にこの日この時のことであった。一切の躊躇、逡巡、遅疑、曖昧と言うものが一掃されてただ一つの意思が決定された。この意思は全国民のものとなった(島木)」。太平洋戦争の緒戦は、理念のはっきりしない日中戦争から解き放たれ、海外での華々しい戦績を明るく描くものだった。陸軍から派遣された画家鶴田吾郎作の「神兵パレンバンに降下す」は無数の落下傘が降下する華々しさがある。作家の伊藤整は、「大東亜戦争直前の重苦しさもなくなっている。実にこの戦争はいい。明るい」と記している。戦争画研究の第一人者の河田明久教授は「日ごろ実社会との関係が希薄な画家たちには、後ろめたさや居心地の悪さを少しでも解消したい」と次々と画家が従軍し戦争画を描いたと言う。そのような中で、太宰治は「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」と予言的な言葉を書き記している。

8月5日の2回目は、「我慢求め言葉を総動員」とのテーマで、「お国のために金を政府に売りましょう」、「230億我らの攻略目標」、「欲しがりません 勝つまでは」など、軍事費を確保するために国民に贅沢を禁じ、我慢を強い、厳しい思想統制を強いるためにあらゆる手段を講じたことを記している。

8月8日の3回目は、「銃後の女”奉公“の果てに」だ。「銃後の守りを固めなさい」「我が子を差し出しなさい」「産めよ、増やせよ」「子どもを健康に育てよ」など、いろんな使命を持った女性たちを鼓舞するためにも女流美術家が駆り出され寄与した。日本が、彫刻、工芸まで多ジャンルの女性美術家50人を集めた「女流美術家奉公隊」(1943.2結成)が、銃後で働く女性達の絵でアピールし、「母よ、子を大空へ」の新聞連載にスケッチや文章、短歌で母性に訴えた。公称1000万人の会員を有した「大日本国防婦人会」では、母として皇国の御用に立つ子供を育て、主婦としていかなる消費生活の窮迫にも耐え抜くことをうたっていた。未婚の女性を働き手として強制的に確保する「女子挺身隊」も政府の要請で組織化された。

米英の戦力、工業力などの正確な情報を把握していない知識人の反応は、戦勝を喜ぶ名もない庶民とさして変わることはなかった。特攻隊に象徴されるように世の中の「お国のために」のムードにのっかって多くの貴重な命を国にささげた悲劇に、国の施策とはいえ、多くの知識人も加担したことは否めない。終戦記念日を迎えるにあたって、今一度戦争は絶対起こさない、起こさせないことを考えてみたい。