「企業理念」カテゴリーアーカイブ

人を大切にする経営で見事再建!(日本レーザー)

日本電子に入社し、取締役を務めていた頃、バブル経済崩壊で経営危機に陥った子会社、日本レーザーに派遣され、平成6年に日本レーザー社長に就任された近藤宣之氏。破たん寸前の危機の中で、リストラは絶対しないことなど、人を大切にする経営で立て直し、今では当時の売上の4倍近くまでに成長させている。「致知2015.6」の近藤氏へのインタビュー記事で「人をその気にさせれば、どんな危機でも突破できる」ということを実例として紹介している。

日本電子でも労組委員長をやり、ピケから会社を守ったり、米国の会社を閉鎖し従業員全員解雇する役割をやったり、修羅場をいくつも経験してこられた。しかし、近藤氏は、「身の回りに起こることはすべて必然。すべての仕事は自分の使命と思って全力投球してきた」と言い、数々の経験から「雇用を犠牲にする経営は誤り」との信念を持たれたそうだ。子会社に行って早々「君たちは絶対にクビにしない。その代り、私の言うとおりにやってほしい」と言って、自ら範を示しながら先頭に立って再建に取り組まれた。そして就任2年目で債務超過の会社を黒字化。平成23年に「日本で一番大切にしたい会社大賞」の企業庁長官賞、東京商工会議所の「勇気ある経営大賞」、関東経済産業局の「女性の活躍により飛躍する企業」、経産省の「おもてなし経営企業大賞」「ダーバーシティ経営企業大賞」「がんばる中小企業300選」、東京都の「ワークライフバランス経営企業選」など、人を大切にしていることを選定の基準にされている賞のほとんどを受けている。

近藤氏は、自分の歩みを振り返り、「ここまで来られたのも、目の前に仕事に全力投球してきたことに尽きる。結果的にすごく運のいい人生を築けた」と言う。社員に本気度を示すために、親の日本電子の役員を退き、日本レーザーを親会社から買い取るために、銀行からの借金の保証(親会社がそれまで保証していた)を近藤氏自身が個人保証(奥さんから猛反対された)したりもした。成功する確信がない中、「社員を信じていたからこそ乗り切れた」と言い切る。平成19年には経営者と社員が株式を取得して会社を買収するMEBOを実施。

近藤氏は、これまで厳しい状況何度も乗り越えてくる中で、運を味方につけることの大切さを実感している。そして体験を通じて、下記五つの心掛けで運は良くなると言う。

  • ・いつも明るくニコニコと笑顔を絶やさないこと
  • ・いつも感謝する
  • ・昨日よりきょう、今日より明日と成長すること(人間としての成長も含む)
  • ・絶対に人のせいにしないこと
  • ・身の回りに起こることは必然と考え、すべて受け入れること

トラブルにも感謝。自分が招いた結果であり必然、自分を成長させるためにトラブルが来るのだと思えば笑顔にもなれる。自分が変わらねば周りも変わらない。

債務超過の企業を、社員を信頼し、大切にすることでリストラもせず、立て直した近藤氏の経験に基づくアドバイスだから、心に響くものがある。

“おもてなし”の哲学が組織を強くする(リッツカールトン)

世界最高峰のホスピタリティでお客さまを迎える「ザ・リッツ・カールトン・ホテル」元日本支社長高野登氏の講演会の内容が「PHP松下幸之助塾2015.3-4」に掲載されている。高野氏は「ものがあふれる現代社会では、“おもてなし”による人と人のつながりが企業を変革し、業績を生み出している。この言葉は今やサービス業だけのものではない。あらゆる企業にとって、社員が生きがいと働き甲斐を持ち、組織全体が成長するためのキーワードになっている」と言う。トップは社員の生きがいと働き甲斐を考え、社員は現場で成長し、組織に貢献する、こういう循環を「善の循環」と呼び、こんな理想的な会社が実在し、そんな会社をいくつも知っていると。高野氏が紹介する企業がすべて私のブログで紹介した企業であることが嬉しい。

まず、長野県の中央タクシーhttp://okinaka.jasipa.jp/archives/39)。お客様へのサービスを徹底的に差別化し、日本でもっとも「ありがとう」が飛び交う会社(お客様に対しても、お客様からも、そして社員同士でも)とも言えるそうだ。高野氏が言うには、普通はタクシーの運転手に「あなたの使命は?」と問うと、「お客さまを安全に、迅速に、目的地まで届けること」と答えるが、中央タクシーの運転手は「お客様の人生に命がけで向き合う事」と言うらしい。

次は、やはり長野県の伊那食品工業http://okinaka.jasipa.jp/archives/350)。50年近く増収増益を続けている驚異的な会社。トイレを含む職場環境の維持改善を通じて、経営者の哲学を隅々まで行きわたらせ、社員の自信や誇りを生み出している。何よりもすごいのは、採用十数名に対し8000人以上の応募があり、不採用になった人全員に手書きの手紙を送ると言う。こうして伊那食品工業ファンが増えていく。「PHP松下幸之助塾2015.1-2」にはトヨタ自動車社長と伊那食品工業社長の対談がある。お互いに尊敬しあう間柄で、経営に関する哲学について議論を交わされている。

最後はネッツトヨタ南国http://okinaka.jasipa.jp/archives/2557)。「あなただから買いたい」との人とのつながりが、幾多の危機を救い増収増益を継続している。

高野氏が言う“おもてなし”の原点は、聖徳太子の17条憲法の第一条「和を以て貴しと為す」にあると言う。”和“とは、馴れ合いではなく、一人一人が尊重し合い、相手を慈しみ、支え合うと言う精神。「何を以て何を為すか」、その原点をリッツカールトンの哲学とし、「人との出会いへの感謝を以て、その人の心に活き活きわくわくした思いを届けることを為す」と定めたそうだ。そしてドアマンや、ウェイターまで、この哲学を徹底し、行動につなげてきたと言う。組織の変革は、まずトップダウンで始まり(哲学・企業理念)、ボトムアップで完成する。トップダウンだけでも、ボトムアップだけでも成し得ない。「社員が生きがいと働き甲斐を持つ会社とは何か?」真剣に考えて見たい。

霧島酒造の経営スローガンは“品質をときめきに”!

私も愛飲しているイモ焼酎“黒霧島”の製造元「霧島酒造」の江夏順行社長のインタビュー記事が「致知2015.3」に掲載されている。題名は「伝統の上に革新を積み重ね、最高のときめきを追求し続ける」

全国200以上のメーカーがしのぎを削る焼酎業界において、2012年から日本一の売上高を誇る霧島酒造。その主力商品の芋焼酎“黒霧島”が生まれた経緯を述べている。三代目を継いだ江夏氏が、電機メーカーを辞めて入社した当時(1970年頃)は、薩摩酒造の“白波”が市場をすごい勢いで拡大中だった。”白波“が席巻していた九州最大の市場福岡市を攻めるため、地元宮崎の方々が中元や歳暮で霧島の商品を送って下さっていた名簿を基に、福岡の酒屋などに「近くにうちの商品を飲んでくださる客がいる」、お客さんには「あそこの酒屋にうちの商品が入りました」と宣伝。まさに弱者が強者に打ち勝つ1点火の粉を起こす「ランチェスター戦略」を地道に実行したそうだ。少しずつ成長軌道に乗せてはいたが、1980年代には大分の三和酒類の”いいちこ“が大ヒット。丁度その頃先代が急逝し、社長を継ぐことに。先代の思いを引き継ぎ、さらに事業を強化するために、企業理念や経営方針、考動指針の刷新を行い、その時社員に出したスローガンが”品質をときめきに“だ。美味しいものを食べたり、飲んだり、あるいは楽しいことに出会うと、わたくし達の心はトキメキ、それはやがて感動へと移っていく。焼酎でその”ときめき“や、感動を生みだしたいと考え、開発に至ったのが”黒霧島“だそうだ。芋くさくなく、「トロツと、キリッと」後味もすっきりとし、料理との相性も良い焼酎で、発売後1年経った頃、地元宮崎の女性客の間で評判になったそうだ。黒霧島が黒の市場を生み出したと言う。

江夏社長は、今あるのは地元のお陰と、「地域に根差した事業経営」を忘れないようにしている。サツマイモ農家と栽培方法や品質管理に関する勉強会を行ったりしながら、買い取り価格にも配慮しつつ、地域の活性化に寄与している。その江夏氏は、今を戒めて

逆境に耐えうる人間は数多くいよう。されえど、順境に耐えうる人間は何人いようか

とのイギリスの歴史家トーマス・カーライルの言葉を肝に命じながら

伝統とは革新の連続(虎屋)

常に新しいことに挑戦することで継続的な発展を期している。

もっともっと飲みやすい“黒霧島”の開発を期待して、これからも“黒霧島”を応援したい。