「企業理念」カテゴリーアーカイブ

「最高の感動サービス」に徹するレクサス販売店(レクサス星が丘)

「ここまでやるか!」。お客様の車がゲートから入って来ると、ETC車載番号からお客様の名前、顔写真、過去の入庫歴に加えて、お客様の特徴や趣味、ペットなどが表示される。ガラス張りの店内には、高濃度の酸素を吸って疲れを癒してもらう酸素バーやラウンジコーナー、外に出るとゴルフの練習場も。待ち時間には隣の三越でゆっくり買い物も。トヨタの高級車レクサスの販売で全国トップを誇る名古屋市のレクサス星が丘。「最高の感動サービスを提供する」との思いを社員(40-名)に浸透させ、同店を大きく飛躍させたキリックスグループ社主山口春三氏の「成るまでやる~トップの執念が究極の感動サービスを生んだ~」とのインタビュー記事が「致知2015.3」に掲載されている。以前、トヨタグループ内で12年連続顧客満足度№1の「ネッツトヨタ南国」(http://okinaka.jasipa.jp/archives/476)を紹介した。利益や売り上げより、サービスの質ひいては社員の質を高めること、そして企業理念に掲げた事を徹底的に浸透させ、行動につなげるトップの姿勢の紹介だった。

山口社主の思いは次の「レクサス宣言」で言い尽くされている。

私たちは世界に最高の輝きを放つ素晴らしい“LEXSUS”を車だけではなくお客様のライフスタイルまでもサポートし、お客さまに”感動を与え続ける『ブレークスルーサービス』と、お客さまを“ハフ”するおもてなしの心を提供する『ホスピタリティサービス』で今までに類のない『顧客サービス』を目指します。

2004年にそれまでのファミリーカー販売のトヨタビスタ店から、高級車レクサス販売に手を挙げて転換した時から、すべて順調に来たわけではない。名古屋三越の隣の土地を確保するのも偶然、DM名簿作成の苦労もあり、リーマンショックによる売り上げ減もあったが、創立時の理念を常に意識し、進めてきたことで今があると山口社主は言う。理念の徹底度合いを示す事例として、ドアマンスタイルの警備員が、店の前の通りを通るすべてのレクサス車にお辞儀することを紹介している。雨の日も風の日も毎日1000回以上、8年も続けているそうだが、これが大きな反響を呼び、遠くから噂を聞いて訪ねてくださる方や感動の手紙をくださる方,買い替えで当店を選んで下さる方もいると言う。

お客様の要望にも「ノー」と言わないことも徹底している。お客さまのバッテリーが上ったとの連絡で名古屋から蓼科まで修理に走ったこともある。「大雨で車が水につかって動かない」との連絡で、他のディーらーなら「水が引くのに2~3日かかる」と言うのが普通だが、即座に整備士を派遣して車を引き揚げ、その場で乗れるようにしたことも有ると言う。

山口社主は「価値づくりさえきちんとやっていけば、利益は後からついてくる」と強く確信したと、ネッツトヨタ南国と同じことを言われる。そして「社員の価値観を徹底するにはまだ後10年はかかる。そのためには何よりトップ自身の志、意識を持ち続けることが重要。リーダーは社員に教えて、やらせて、志を達成せねばならない。1回言って分かったと思ったら大間違い。そのことが成るまで教え、身に付け、やらせる。この執念なくして物事は成し遂げられない。「成るまでやる」これが何よりもリーダーには不可欠な要素だ。」とも。

なお、「ネッツトヨタ南国」に関する記事が雑誌「日経トップリーダー2015.2月号」に掲載されている(「驚異の自立集団」)。トップの執念が会社を変える事例は多い。

 

小さな会社だからこそできること!(ソニックガーデン倉貫氏講演より)

「小さな会社だからこそ、お客さまや社員を幸せに出来る」。1月29日開催の第49回JASIPA定期交流会で講演していただいた倉貫義人さま(ソニックガーデン代表取締役)の言葉だ。講演の内容はJASIPA交流委員長の玉村元氏(チャーリーソフト)のブログ(http://tamamura.jasipa.jp/)を参考にしてほしい。「“納品”をなくせばうまくいく ソフトウェア業界の“常識”を変えるビジネスモデル」(日本実業出版社、2014.6)の本も出版されているが、これからも「ノルマをなくせばうまくいく」、「管理をなくせばうまくいく」と”なくす“シリーズを出版したいとも言われているが、常識にとらわれない発想と、それを実行に移す勇気(志)と行動力には驚かされ、また感心させられた。

倉貫氏は、TISで2009年に自らの提案で社内ベンチャーを起こし、2011年に社長を説得してMBOで独立し、ソニックガーデンを創業した。現在社員数は11人だが、全員がコンサルティング・プログラマー。納品があるから、納期に追われこき使われ、見積もりを行うから要件定義に振り回され、お客様の価値よりも見積もり内に押し込めることに徹し、あげくのはてはお客さんからの信頼を得られないという、SI’erの実のない過酷な仕事に疑問を持ち、起業。下請けも、人月見積もりも、派遣もせず、月額固定でお客様の顧問としてすべての工程を担当し、仕事はいつでも、どこでも成果を提供すれば良しとする、プログラム大好き人間の集団だ。まさにお客様の真のパートナーとして価値を提供し続ける集団でもあり、お客様の信頼は抜群だ。こんなプロフェッショナルな集団で有る故に、規模を大きくすることは考えていないと言う。しかも弟子→一人前→師匠のキャリアパスを経て、同じような小さなプロフェッショナル企業を増やすために「のれん分け」をしていくつもりだそうだ。

倉貫氏は言う。

「大企業では、こんな会社は作れない。」

たしかに、お客様の問題解決をするコンサルティング・プログラマー、そして納品もなく、ノルマもなく、管理もなく、いつでも、どこでも働いて良い、義務と責任はお客さまに与える価値という働き方(年俸制)を徹底するには、会社の理念を文化・風土に昇華し、自立できる集団でなければならない。そのような集団は階層社会を形成して管理しなければ成り立たない大企業では作れないのは事実だろう。逆に中小企業は、採用にも、育成にも全てに目が届くことから、自立人材の集団にし易いメリットはあると思える。JASIPA会員企業には大いなるヒントとなることを期待したい。

1月31日の朝日新聞15面オピニオンに群馬県の「中里スプリング製作所社長中里良一氏」が「卑屈にならない覚悟を決めた」とのタイトルでどん底から立ち上がった経緯を述べている(航空機、船、医療などのバネ製造会社、)従業員21人)。以前、当ブログで「「日本一楽しい会社」を目指す群馬県の会社(http://okinaka.jasipa.jp/archives/405)」として紹介した。群馬県内だけだった取引先を全国47都道府県に拡大された。その中里氏が言う。

取引先は増えましたが、会社の規模は大きくしません。小さいからこそ自由に動き回って、特徴のある経営が出来るのです。図体が大きく成り過ぎると、経営者は社員の能力や資質の違いを正確に把握できなくなる。会社の危機に対し、社員の当事者意識が弱くなるという欠点もあります。小さくても、気心の知れた社員と楽しく仕事をして、プライドと幸せをつかみ取る道がある。

以前浜松市の都田建設を紹介したことがある(http://okinaka.jasipa.jp/archives/135)。50人程度の会社だが、蓬台浩明社長の経営スタイルが面白い。その蓬台社長が嬉しい事としてあげるのは

  • 経営者としての自分が描くビジョンに共感してくれる仲間がいて一緒に行動してくれること。
  • お客さまに感動して頂けたという報告をしている時の社員の幸せな表情を見ること。
  • 会社が有言実行し、その成功を分かち合える事。

小さい会社だからこそ出来ること、それが差別化とも言える。モチベーション高く、お客さまと共に幸せに働く社員。こんな小さな会社が増えている。

日本酒“獺祭”はかくして生まれた!

1月16日のブログ(http://okinaka.jasipa.jp/archives/2291)でも”獺祭”について触れた。その際、「致知2015.5」~焦点を決めて生きる~特集号の”獺祭“の記事を思い出し読み返してみた。旭酒造桜井博志社長へのインタビュー記事だ(「おいしい酒、味わう酒 その一点を求め続ける」)。

勘当同然で家を出て、石材の卸会社を起こしていた桜井氏が、親の急逝で社長を継いだのが40年前。岩国の山の中獺越村は人口減も激しく、そこにある旭酒造も惨憺たる状態だった。桜井氏も当時は、社員にモラルも危機感もなく、倒産か自殺かという状況だったと振り返る。そのような状況から如何に脱して、普通酒の「旭富士」から大吟醸酒「獺祭」に方向転換できたのか?

・まずは、これまでの常識を疑い、純米大吟醸を作りたいとの思いを抱き再出発。

一級酒以上は大手メーカーがやることで地方メーカーは二級酒との風潮に対し、それまでの普通酒の製造をやめて、高級な純米大吟醸に一本化。薄利多売のビジネスモデルから、高付加価値品でブランド化する戦略転換を決断した。そして、伝統的な酒造りである杜氏とその下で働く蔵人集団体制(オーナー社長は酒造りに口出しできず販売に徹するのが慣例)を打破。社長が口出しできる酒造りを目指すと同時に、蔵内を年中5℃に保つことで年中酒造りができる体制にするために季節労働者の杜氏(夏は農業従事)制度をやめ、自社社員で造ることにした。そのために、酒造り工程のデータ分析を徹底的に行い杜氏の「勘と経験」を超える工夫によって、ブレが出ないという意味で、勘と経験に頼った酒造りよりも良いものが造れるようにした。

いずれも、そう簡単に進んだわけではない。まず販売面では、地元岩国で販売競争をするのは止めて、青森などの地で販売を試みた。が見向きもされず、たまたま東京多摩の酒店が取り扱ってくれることになって、大ヒットさせた。卸業者を経由せず直取引にしたが、その際も大きな軋轢を生んだ。いろんな苦難を乗り越えられたのは

自分がやるしかないと腹を括ったところから知恵が出る、そしてその支えになったのは「旭酒造があることが社会の為になっている」との実感だ。

旭酒造の理念は

「酔うため、売るための酒ではなく、味わう酒を求めて」

飲んで酔っ払ってもらえればいいと言うのではなく、酒を味わってもらいたいとの思いだ。最高品種「山田錦」を最大77%も磨き芯の部分だけを使うことで 獺祭のフルーティーな香りと味が生まれた。今年には、本蔵の改築が完了し、5万石の生産体制が整うとのことだ。いま日本経済は成長戦略の実現が課題となり、かつ地方創生が叫ばれているが、経営者の卓越した判断力、現場の力をまとめ引き出す能力こそが問われている。桜井氏も、試行錯誤で苦しんでいるとき、船井幸雄氏の本を読みながら経営の勉強をし、大いに参考にしたと言う。