「企業理念」カテゴリーアーカイブ

なんとかなるではなんともならない!

「なんとかなるではなんともならない」イトーヨーカドーや関連会社の改革に取り組み、大きな成果を出され、現在は経営相談や後進の指導を行われている「オフィスはなわ」の社長塙昭彦氏が貫き通した信念だ。「朝の来ない夜はない」との自然体に任せる言葉に対して、「朝の来ない夜もある」とも敢えて言われている方だ。要は、「挑戦、行動無くして成長、成功はなし」との強い信念を実行に移され、数多くの業績を上げられた方だ(PHP松下幸之助塾2015.7-8号)の記事より)。

部員3人(選手は1人)しかいないバレーボール部を任され6年後に日本一にしたり、中国への出店責任者として日本・中国含めていまだに売上・利益ともにナンバーワンの店を作ったり(成都2号店)、44億円の赤字のセブン&アイ・フードシステムズの社長を任され、「3年以内に黒字にする」と宣言して目標を達成したり、その業績には目を見張るものがある。その中で、お客様の視点での行動に特に注目した。

まず、中国では「感動・感激・感謝」と言う言葉を掲げ、「3感」を実践した。すなわち、感動する商品と売り場、感激する接客とサービス、感謝する礼節と信条だ。中国人の味覚を覚えるために、現地の人で賑わう店(汚いとか臭いのは当たり前)に通い、自分の味覚も変える努力をされたそうだ。

中国から帰り、セブン&アイフードシステムズの社長を命ぜられた時、創業者の伊藤雅俊氏に「“3感”もいいが、日本ではもっとやさしく、誰にでもわかる言葉に」と言われ、雨に日にあるレストランで親子の交わした言葉を参考に「おいしかったね。楽しかったね。また来ようね。」の三つの“ね”を合言葉にした。そして、全国に展開しているデニーズを主体とした店舗800か所を3年間、休日をすべてつぶして周り。一人で食事をする様子を全従業員にブログで発信し続けられたそうだ。

中国では他にも大晦日の開店時間の延長や、寒い日にかき氷やアイスクリームを売るなど、前例がない事にも積極的にチャレンジされ成功をおさめられた。日本のお家芸と思われている「感動、感激、感謝」のサービスを中国で徹底されたことには驚くが、何事もリーダーの強い思いと、それを達成するための継続的で挑戦的な行動力があれば、達成できないことはないとの信念が、表題の「なんとかなるではなんともならない」という安易な生き方を諌める言葉となったのだろう。

“お客さま満足”を行動理念として持ち続けた経営者福地さん(元アサヒビール)

アサヒビール、NHK、新国立劇場、東京芸術劇場のトップを歴任された福地茂雄氏がこの度本を出版された。「お客さま満足を求めて」(毎日新聞社刊、2015.3)だ。新聞で本の出版を知り、私のテーマとも言える「お客さま満足」の言葉に惹かれて購入した。

アサヒグループの経営理念

「アサヒビールは、最高の品質と心のこもった行動を通じて、お客様の満足を追求し、世界の人々の健康で豊かな社会の実現に貢献します」

この経営理念の柱は「お客さま満足」。アサヒの会長・社長の他にNHK会長など全く違う業種も経験されたが、常に経営判断の拠り所は「お客さま満足」で、業界は違っても、この信念に従って行動すれば自ずと道は開かれると福地氏は言う。

アサヒビールが、プロダクトアウトからマーケットインに軌道修正を始めたのは、アサヒビールのシェアがどん底で、「夕日ビール」と揶揄されていた1984年頃。当時の村井社長が米国視察でジョンソン・エンド・ジョンソンを訪問した際、「Our Credo(我が信条)」に触れ、優れた企業には優れた企業理念があることに感銘を受け、「お客さま満足」の考えが初めて経営理念となって謳われた。これが契機となって、5000人の消費者の試飲調査が始まり、お客様の声が「アサヒ生ビール(コクキレビール)」の開発を生み、各部門・全社員の努力の結晶「アサヒスーパードライ」(樋口社長時代の1987年発売)を生んだ。味はメーカーが決める(工場ごとに味が違っていたそうだ)考え方を、「味はお客さまがきめる」と言う、今では当たり前の考え方に変わっただけだが、アサヒビールがそれで蘇った

福地氏が社長時代の2001年には発泡酒への参入を決断した。アサヒスーパードライのシェアを奪いかねないビールまがいのものを出すのに、社内もマスコミも否定的だった。が改良を重ねるにつれ味も良くなり、お客さまに自信を持って出せる商品は出すべし、むしろ出さないことは「お客さま満足」の追求にもとると参入決断されたそうだ。これが「アサヒ本生」で、大ヒット商品になった。

NHK会長時代、最も記憶に残っているのは、2010年の大相撲野球賭博事件で、相撲中継を継続するか中止するかの判断を迫られた時。この時の判断基準も「お客さま満足」。放送中止を求める声が16000件、継続は8000件だった。大相撲のLIVE中継は中止し、相撲を見たいと言う視聴者の声も考慮し、夕方6時台にダイジェスト版を放映した。

東京芸術劇場経営では、2011年3月末に開催予定のコンサートの切符2000枚が完売されていた時、東日本大震災が発生。日本国中がすべてのイベント自粛の大きなうねりの中、チケットの販売後でコンサートを自粛しても得られるのは自己満足だけで、お客さま満足ではないとの結論で予定通り実施した。そしてチケット料金は全額東北の被災地に寄付をすることを、コンサートは始まる前にお客さまに説明し、顧客からは大きな拍手を頂いた。

福地氏は、アサヒにおいても、NHKにおいても「3現主義(現場で、現物を、現実に)」を徹底し、部門間の連携や、適材適所の人事政策など、いろんな改革をしつつ、「お客さま満足」を基軸に決断をしていかれた。アサヒ時代には、環境問題にも力を入れ、全工場「廃棄物ゼロ」を達成し、広島県には「アサヒの森」を作られた。

独善、独断ではなく、確信を持って決断するための方策を講じながら、「お客さま満足」を軸に歩まれている福地氏に共感できることが多い。

「三方よし」の近江商人の流れをくむ企業の多さに驚く!

当ブログでも、「お客さま第一」の精神として、近江商人の商売10訓の一つ「無理に売るな、客の好むものも売るな、客のためになるものを売れ!」を事あるごとに紹介してきた。もう一つ有名な言葉に「三方よし」の精神がある。「三方よし」とは「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」のことだ。「三方よし」の精神が、近年企業の社会的責任(CSR)が問われる時代の風潮と共にあらためて脚光を浴びているというのは、NPO法人三方よし研究所専務理事岩根順子氏だ(「致知2015.6」致知随想記事より)。

記事の中で驚いたのは、近江商人が全国各地で、江戸時代から明治、大正、昭和と日本経済の原動力として活躍してきたその流れを汲む優良企業が今でも数多く存在することだ。例えば、伊藤忠商事。ホームページ(http://www.itochu.co.jp/ja/csr/itochu/philosophy/)で調べると、その中に「三方よし」の企業文化を引き継いでいる由の記述がある(近江出身の伊藤忠兵衛が創業)。他にも西川産業(八幡出身の西川仁右衛門が創業)、高島屋(高島郡出身の商人飯田儀兵衛の婿養子である飯田新七が創業。社名は高島郡に由来)、ニチレイ、日本生命、ニチメンなどなど。

近江商人に対しては必ずしもその評判は芳しくない時期もあった。「近江商人の通った後には草も生えない」「近江泥棒」等とも言われていたと言うが、裏を返せば同業者も羨む商売上手だったのではと岩根氏は言う。さらにその商売が堅実、勤勉、質実剛健、信用第一で貫かれており、自らの利益追求ばかりでなく、無償で橋を築いたり、学校を建てたり、利益の社会還元を進んで行ってきたことなどの実態を知るようになって、近江商人の商いの心こそがこれからの日本人の良き指針になるとの確信を持ち、NPO法人三方よし研究会を立ち上げたそうだ。

以前、当ブログで「世界で一番大切にした会社コンシャスカンパニー」(ジョン・マッキー他著・翔泳社)を紹介した(http://okinaka.jasipa.jp/archives/1718)。「コンシャスカンパニー」の精神も、近江商人の「三方よし」に通じるものと思われる。企業に対する社会的責任(CSR)の要求はますます強くなる中で、岩根氏への講演要請が各地経済・文化団体から続々来ていると言う。