「日本人の誇り」カテゴリーアーカイブ

有色人種差別を覆したのが日本人!(「致知」より)

多くの歴史書にも「日露戦争の日本の勝利が世界の有色人種国家に勇気を与えた」史実が書かれていますが、ここでは「致知(2011.12)」に掲載された上智大学名誉教授の渡部昇一氏の記事を紹介します。

11月3日を戦前は「明治節」と言い、明治天皇の偉業を偲び、明治と言う時代の歴史的意義を心に刻む日だったそうです。歴史的意義とは、「文」では西欧文化の文明の摂取と消化、そして「武」では日露戦争の勝利の2点に集約される。そして、幕末のアメリカとの不平等条約から脱するために、西欧の文化制度を勉強しながら有色人種国家で初めて成文憲法の制定をした(明治22年公布)。さらには、明治になって、欧米文明を知るにつれ日本古来の文化・気質が失われつつあった状況を危惧した人たちによって、教育勅語が天皇陛下下賜の形をとって明治33年発表されました(この時「教育勅語」に関する倫理教育が制度化されましたが、第二次世界大戦後のアメリカの日本弱体化占領政策で教育から排除されます)。そうするうちに、明治37年―38年日露戦争で、白色人種国家ロシア(ナポレオンを追い返した白人国家の雄)を有色人種国家日本が、陸でも海でも一度も負けずに打ち負かしました。

コロンブスがアメリカ大陸を発見し(1492年)、以降、自然科学の発達と近代工業の勃興が相まって、全地球的に白人国家が世界の主人公となっていった。弱者は奴隷にされ、ややまとまりのある地域は植民地にされ、日本のようにいささか政治的基盤のある地域は差別契約を押しつけられた。こんな状態が400年続いたのである。この間、自然科学も近代工業も白人種のみがなしうることで有色人種にはかなわぬこととの固定観念、動かぬ信念を、日本以外の有色人種国家は受け入れてしまっていた。それを打ち砕いたのが日露戦争での日本の勝利だった。さらには、アメリカに戦争を挑んだ大東亜戦争も、有色人種国家に勇気を与えたのである。

20世紀初頭は、有色人種国家が次々と立ち上がり独立を果たし、どんな弱小国家でも主権国家として尊重され、国連ではその一票がどのような大国とも同等の力を持つと言う観念、慣習が確立した。この「20世紀の歴史を変えたのが日本」であった史実を日本人は知り、誇りを持って世界に対峙して行かねばならない。

奇しくも今、TPPで「アメリカの言うままになるのか?」、「アメリカと対等に渡り合えるのか?」との議論が沸騰している。残念ながら、まだアメリカ人には日本に対して「人種差別を阻害する有色人種の国」という憎しみに似た意識が巣くっていることは否定できないと渡部氏は言う。史実を胸に、毅然とした態度での交渉を願いたい。

アルゼンチンが日露戦争で日本を支援!!!

日露戦争の日本海海戦で勝利した連合艦隊6隻の内2隻の装甲艦(日進、春日)はアルゼンチンから購入したものだと知っていましたか?

バルチック艦隊に対峙した日本の連合艦隊は東郷司令官が指揮をとった「三笠」を先頭に、しんがりを巡洋艦「日進」が務めました。北進してくる敵の艦隊に対し、左へ敵前回答して迎え撃つ丁字戦法をとったことで、しんがりの「日進」は集中的な砲火を受け大きな打撃を受けました。その「日進」には、アルゼンチン海軍所属のガルシア大佐(後にアルゼンチンの海軍大臣)が乗船し、砲撃を支援したとのことです。日進は大きなダメージを受けたにも関わらず、その後も整然と艦隊の陣容を乱さず露軍に迫ってきたため露軍は戦意を失ったと言います。

「致知」11月号の連載記事「語り継ぎたい美しい日本人の物語(中村学園大学教授占部賢志作)」の記事で知りました。平成11年にブエノスアイレスに「秋篠宮文庫」が設立され、そこに明治天皇からガルシア大佐に贈られた金蒔絵の文箱などが飾られているそうです。

なぜ、アルゼンチンが日本を支援したのだろうか?スペインの支配から脱し、独立国家として周囲の国と緊張関係にあったとき、日本と修好通商航海条約を締結(1895)。その後、日本への関心を急速に深め、日本を勉強したそうです。「日本は道徳によって社会を律し、国家への忠、親への孝、夫婦の和、兄弟の愛が、宗教人としてではなく、社会人、家庭人としての義務とされている」と称え、日露戦争においても「この戦争は日本に義あり」として支援したのです。そして、この歴史に根差した高い倫理観こそが日本を勝利に導いた根本の理由なのだとアルゼンチンは合点したのです。「勝利をもたらすのは爆薬の威力ではなく、人間なのである。」とまで言っているそうです。

占部氏は最後に「私たちはかってのアルゼンチンほどの日本認識を持っているでしょうか?現状を見るに恥ずかしい限りです。今こそ、自国の国柄を学ぶ機運を興したいものと願わずにはいられません」と。

このブログにもUPしました「ユダヤ人を助けた杉原千畝氏」や「台湾でアジア最大級のダムを作り、不毛の地を台湾最大の米作地帯にした八田興一氏」など、当該の国の方々の方が日本人よりはるかに知り、感謝している話が数多くあります。グローバル人材になるためには、歴史も学ぶ必要がありそうです。

「もったいない」を世界語にしたマータイさんご逝去

日本語の「もったいない」を用いて環境保護の大切さを訴えられた、ノーベル平和賞受賞者(2004)で、ケニア人のワンガリ・マータイさんが25日亡くなられました(71歳)。

女性の地位向上と環境保護への貢献を認められ、2004年にノーベル平和賞を受賞され、翌2005年国連の「女性の地位委員会」閣僚級会合で、日本語の「もったいない」を環境保全の合言葉として紹介し、会議の参加者と共に唱和されたとか。マータイ氏は「もったいない」は、消費削減(Reduce)、再使用(Reuse)、資源再利用(Recycle)、修理(Repair)の四つのRを表している」と解説し、他の言語にはこの様な言葉が無いことを示された。昨年2月には来日され、皇太子ご夫妻と面会され、日本でも地球環境問題への取り組みに精力的に活動されました。

日本語が英語化したものとして「津波(tsunami)」、「切腹(harakiri)」、「過労死(karoshi)」、「おたく(otaku)」、「変態「hentai」」など、必ずしも誇らしいとは思えない言葉が多いが、「もったいない」は日本語の素晴らしさを自信を持って言える言葉ではないでしょうか。日本人ではなく、ケニア人が世界に紹介してくれたのも意義深いものがあります。

世界最古の国である日本が育んできた日本語は、英語などに比しても、深く味わいのある言葉が多いと言われる。「いただきます」「ごちそうさま」も、人が人として生きる上での、神々、大自然、食材、生産者、料理人などに対する感謝の気持ちを表す美しい言葉と言えます。漢字文化も、中国からの輸入と思われますが、中国の和製漢語研究者の曰く「日本語から借用した外来語は驚くほど多く、社会科学・人文科学方面の用語のおよそ7割は日本から輸入したもの」と。化学、情報、理想、文化・・・などなど。

日本語の価値を教えてくれたマータイさんに感謝すると共に、合掌!(内容の一部は、竹田恒泰著「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書)」から流用しています)