スペイン旅行~その6~マドリッド

スペイン旅行の観光最終日は、スペインの首都マドリッドだ。16世紀にマドリッドが首都になるまで都として栄えたトレドにも行きたかったが教会や大聖堂がクリスマスで休館との事で残念ながら行けなかった(それでも行った人もおり、街の美しさは感動的とのことだった。残念!)。ハプスブルグ家が実権を握った16世紀からスペイン王国として栄え、新大陸から流入する富によって栄え、セルバンテスやベラスケスなどの文化人がマドリードで活躍した。しかし、19世紀フランス支配からのスペイン独立戦争、20世紀のスペイン内戦、民主化運動などでマドリードは翻弄されたが、ファン・カルロス1世のもと民主化は進んだ(現在は2004年就任のフェリペ6世)。
まずマドリード見学。すでに無電柱となり、洗濯物を干すことも規制されており、景観を国家政策として大切にしている。まずはドン・キホーテ像のあるスペイン広場へ。次に10世紀にイスラム教徒により建立された王宮へ。16世紀にはハプスブルグ家の居城となる。その後火災で焼失し(1734年)、フランスブルボン家のフェリペ2世の時に再建された(1755年)。後方にマドリード唯一の大聖堂“アルムデナ大聖堂”(1995年)尖塔が見える。王宮には現在王家は住んでおらず、公式行事にのみ利用されている。

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次は“マヨール広場”と“太陽の門広場(プエルタ・デル・ソル)”だ。“マヨール広場”は、赤い壁の建物に囲まれ、マドリッドで最も古く17世紀初めに作られた広場だ。この広場を作ったフェリペ3世の騎馬像が立つ。近くに交通の要衝ともいえる“太陽の門広場”がある。この公園に面して、マドリード自治州政府があり、その建物の時計が有名だ。毎年12月31日、新年を告げる鐘の音が鳴り響き、建物の下に集まった大勢の人々が12粒のブドウを食べるのが、伝統的な行事という。旧郵便局の前には、0 km地点を示すプレートがあり、マドリッドから放射線状に延びる国道の基点を表示している(日本の日本橋のようなもの)。この公園には、熊とぶどうの像もある。熊とぶどうはマドリード市の紋章でもあり、マドリード市民に大変人気があり、待ち合わせによく使われる場所となっている。

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いよいよ本命のプラド美術館に向かう。カルロス3世の命で1785年に自然科学展示場として設計された、歴史あるプラド美術館。プラド美術館入り口の階段をあがったところに、マドリッドで唯一のゴシック形式の教会がある。“サン・ジェロニモ・エル・リアル教会”だ。プラド美術館の外にはゴヤの像が立っている。入り口は長い行列だ。内部は写真撮影禁止のため、説明だけになることをお許しください。

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プラド美術館に飾られている3巨匠は、16世紀のエル・グレコ、17世紀のディエゴ・ベラスケス、18世紀のゴヤだ。
スペインバロック絵画の巨匠ディエゴ・ベラスケスの最大にして不朽の名作『ラス・メニーナス(女官たち)』。門外不出でプラド美術館でしか見られない。当時のスペイン国王フェリペ4世の娘である皇女マルガリータを中心に、数人の女官たちを描いた集団肖像画で、スペイン独自の厳しい明暗対比(陰影法)による写実性豊かな描写手法を用いながら、当時の王室の生活の情景を、見事に計算された構図として評価されている。太陽光線を使った遠近法に秀でた“バッカスの勝利”、ベラスケスを代表する歴史画“ブレダの開城”もある。
ギリシャのクレタ島出身のエル・グレコ。1560年ごろイタリアに渡り絵画を勉強した後、1567年ごろ当時スペイン内で宗教の中心地だったトレドへ。彼の作品の大半は宗教画で残りは肖像画だと言われています。イエス・キリストが天に昇っていく様子を描いた幻想的な宗教画の「三位一体」や、雲に乗って現れた天使ガブリエルと驚く聖母マリアを描いた「受胎告知」が代表的な作品だ。
ゴヤも長い下積み生活を経て、カルロス4世に仕えた宮廷画家。しかし後に聴力を失い、次第に社会批判の風刺へ傾倒していった。プラド美術館では、そんなゴヤの人生を作品を通して眺めることができる。有名な「裸のマヤ」「着衣のマヤ」。50歳過ぎての作品で、モデルはゴヤと深い関係にあったアルバ侯爵夫人との説がある。当時は女性の裸体表現は厳しい規制下にあったため、すぐさま「着衣のマハ」を制作したとも言われる。宮廷画家の任命を受けたカルロス4世の家族を描いた「カルロス4世一家の肖像画」、実質権限を握っていた女王を主体に描くなど、家族の力関係を忠実に描いた手法が面白い。聴覚の喪失、知識人との交流を経て、強い批判精神と観察力を会得、「マドリード1808年5月3日プリンシペ・ピオの丘での銃殺」は、フランスによるスペイン征服に対する反乱への報復として、銃殺される風景を描いた衝撃的な作品だ。今まさに銃殺されようとしているマドリッド市民にスポットライトが当たっており、その表情が切なく心に響く。その後、「我が子を喰らうサトゥルヌス」「砂に埋もれる犬」などのそれまでの絵からは想像できない “黒い絵”シリーズで現状批判をし、82歳で幕を閉じた。
他にもボッテイチェリ、ラファエロ、ヂューラー、ブルューゲルなどの作品や、「モナリザ」のもっとも古いと言われる模倣品もある。

マドリードの遅い昼食は、スペイン広場の近くのサン・ミゲル市場で。市場の中の各店でパエリアなど適当に買い揃え、売り子からワインなど飲み物を買いながら食べる(市場の真ん中に席が用意されている)というめったにない経験をした。地下鉄でホテルへ。夕方、クリスマスイブいうことでホテルよりスパークリングワイン(CAVA)とお菓子の差し入れがあった。

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翌日無事マドリードを経ち、フラントフルト経由で羽田に着いた。バルセロナ以外は天候にも恵まれ、いい旅だった。食事もパエリア(スペインではパエージョ)やタパス料理が主体だったが前評判よりも良く、満足できた。

スペイン旅行~その5~セビリア・コルドバ

セビリアに宿泊し、今日はセビリア観光後、グラナダに行きメスキータ(イスラム教寺院)見学をする。セビリアは「セビリアの理髪師」の舞台であり、ベラスケス、ムリーリョなどバロックの巨匠の生誕地でもある。まず、セビリア観光で行ったのが、1929年セビリア万博パビリオンで、現在は軍と州庁舎として使われており、市民から“スペイン広場”として親しまれている所だ。建物の壁面に幾何学文様の装飾を施しているムデハル様式(バルセロナのサン・パウ病院が典型)で、両翼に半円形に延びる回廊と、スペイン各県の歴史的出来事を描写した壁面タイル絵が特徴的だ。

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大聖堂への通り道、特徴的な街並みがあった。まず驚くのは街路樹のミカンの木だ。ちょっとした音がしたので振り向くとミカンが落ちていた(夏みかん程度の大きさだから、頭に当たるとショックは大きい?)。1000年前の水道管や、公園にタイル張りの椅子があったり、街並みも独特だ。スペイン最大、世界でも3番目に大きい大聖堂(カテドラル)に着いた(世界一はバチカンのサンピエトロ、二番目はロンドンのセントポール大聖堂)。時間の関係で外から眺めるだけだったが、隣接して建てられたヒラルダの塔をバックに目を見張る大きさだ。この大聖堂も、カトリックの聖地カテドラルと、イスラム教のメッカ、モスクがミックスしたカテドラルだ。ヒラルダの塔もイスラムの塔ミナレットだったそうだ。

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大聖堂の隣に、913年イスラムの王アブデル・ラマーン3世の命で建設された要塞兼宮殿でキリスト教徒による国土回復運動の後に再建されたこともあり、イスラムの漆喰の装飾とカトリックのゴシック、ルネッサンス様式が混ざったエキゾチックな雰囲気の建築物だそうだ。今回はその入り口だけの見学だ。クリスマスで、入り口両横にポインセチアが飾られている。グァブキビル川のシンボル“黄金の塔”、川の航路監視の塔で、昔は壁面に張り巡らされたタイルが陽光で金色に輝いていたことから黄金の塔と名付けられたそうだ。すぐ近くにスペイン一番、世界で二番目の闘牛場がある。その入り口だ。

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セビリアを後にしてコルドバへ(137km).グラナダではやはり「メスキータ(イスラム教寺院)」だ。後ウマイヤ朝支配時代の785年に建てられたモスクで、その後も増築を続け数万人を収容できる巨大なモスクとなった。レコンキスタが完了後、キリスト教統治時代に内部にキリスト教カテドラルが造られ、イスラム教・キリスト教が共存する世界でも珍しい建物となった。紀元後1世紀に建てられたローマ橋を渡るとグアダルキビル川の岸辺にメスキータはある。メスキータ西側のファザードを通っていくと、ミナレット(塔)が現れる。塔のある中庭はミカンの木で覆われているが、“みそぎの空間”だったところだ。

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内部に入る。『礼拝の間』の空間を支える無数の円柱(現在845本)は、世界各地から集められた時代、様式、場所の異なる他の建物から転用されたもので、転用するために寸足らずとなった円柱の上部10m程度の高い天井を支える部分の工夫が、特徴となる二重アーチを生み出した。アーチは白い化粧漆喰と赤い石(レンガ)を交互に楔状に配した構成となっており、大理石の柱は、ローマ時代や西ゴート時代から転用された。アーチ状の天井も面白い。

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次はミフラーブと言い、イスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示すくぼみだ。馬蹄型アーチには金色のビザンチン・モザイクが施されており、周囲にはコーランの一節も刻まれている。金と青で美しく装飾された八角形のドーム型天井は非常に高さがあり、窓から光が差し込む設計になっている。ミフラーブの隣にあるサンタテレサ礼拝堂は聖具室(宝物室)として利用されており、中央には金と銀の豪華な聖体顕示台が展示されている。

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メスキータの中にあるキリスト教礼拝堂、マヨール礼拝堂だ。まさにメスキータのど真ん中にキリスト教の礼拝堂を作った。天井の彫刻にも眼を見張る。反対側に中央祭壇と聖歌隊席(マホガニー製)、パイプオルガンがある。祭壇にクリスマス用の特別な飾りがあった。

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外に出て、すぐ近くのユダヤ人街に行く。中でも“花の小経”が有名だ。小さな小路にいろんな店もある。

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コルドバ見学を終えて、コルドバ駅からスペイン高速鉄道AVEでマドリードへ。

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スペイン旅行~その4~ミハス&グラナダ

グラナダに泊まれば、ホテルからすぐのアルハンブラ宮殿に朝一番に行くのが普通だが、予約時間が午後しかなく(混雑していてなかなか予約が取れない)、仕方なく、170㎞先の高級リゾート地ミハスに先に行くことになった。車中からの眺めは、オリーブの樹が連なる光景で、バルセロナからバレンシア、グラナダに至る道中の景色も見事なオリーブの樹の森だった。景色で印象的なのは、スペインでは立て看板が禁止されていること。観光立国を目指す日本も見習うべきと思われる。

ミハスは地中海に面した町で、「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」と言われる350㎞にわたる白く美しい町の一つだ。スペイン第3の空港があるマラガも有名だが、山の中腹になるミハスの眺めが良く、賑わう町となっている。車中からのマラガとミハスの光景だ。


ミハスは小さな町だが、ともかく白い家、白い壁が坂道の両側に並ぶ。山の中腹にも白い家並みが見事に並ぶ。

街並みの中に小さな美術館があった。中に入ると隣のマラガ出身のピカソの展示物が主体だった。

同じ道を一路グラナダに帰り、アルハンブラ宮殿を目指す。途中3000mを超えるシェラネバダ山脈の雪景色が見事だ(年中雪をかぶっているそうだ)。

いよいよアルハンブラ宮殿見学だ。イスラム芸術の最高傑作と言われ、スペイン最後のイスラム王朝ナスル朝の王宮だ。1492年、キリスト教復活のレコンキスタ運動が完結した場所でもある。ガイドから見学は約2時間、4kmの行程と聞き、最初は驚いたが、糸杉など緑の多い庭園など、気持ちよく散策できる環境だった。最初に、ナスル朝時代の王が造成した“夏の離宮”ペネラリフェ庭園を見学し、その後アルハンブラ宮殿に向かった。この離宮の特徴は、たくさんの水路や噴水が設けられ、水をふんだんに使っている点で、「水の宮殿」とも呼ばれている。北アフリカの乾燥した大地からやってきたイスラムの民は、水のある景観をこよなく愛した(水はシェラネバダ山脈から取り込んでいる)。

アルハンブラ宮殿の原型は9世紀末に建設されたアルカサーバ(砦)で、イスラム王国時代の後半13~14世紀に拡張された。キリスト教徒の手に渡った直後に、カルロス5世がこの地を避暑地として選び、カルロス5世宮殿を建設した。アルハンブラ宮殿はスペインに屈服させられたイスラム教徒の宮殿であるが、現在はカトリック教国でありながら、イスラム時代の建築が数多く残されていることは、現実にはスペインをスペインたらしめる数多くの文化がイスラムにその多くを負っているということを物語っているのではなかろうか。いよいよアルハンブラ宮殿に入場する。サン・フランシスコ修道院など、グラナダを征服したキリスト教徒によって築かれた建物を眺めながら、先に進む。まずルネサンス様式のカルロス5世宮殿に行く。最初に作られたアルカサーバ(砦)も見える。

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次にナスル朝宮殿メスアール宮に到着。この部屋の天井も、ナスル王朝の時代はステンドグラスだったものが、キリスト教徒によって現在の木の天井に変えられてしまった。

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次が外交と政治の場であるコマレス宮。壁のアーチ状の開口部分や光が差し込む窓、貝殻、花、星などのモチーフの石こうで飾られた壁、青いタイルで飾られた壁の下部など、細かいデコレーションに圧倒される。コマレス宮に面してアラヤネスの中庭がある。池の両脇にあるアラヤネスの生け垣が名前の由来で、日本名“天人花”。

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コマレス宮を抜けるとライオン宮。アベンセラッヘスの間の天井には鍾乳石で作られた豪華な装飾が見られる。その中庭に12匹のライオン像がある。口から水を出すライオンの数で時を知らせるそうだ。最後にアルハンブラ宮殿からみるアルバイシン地区だ。アルハンブラ宮殿とダーロ川を挟んで反対の丘にあり、イスラム教徒勢力がイベリア半島の大半を支配していたころ作られたグラナダで一番古い街並みだ。

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(写真と名前を一致させるためにインターネットで調べたが、完全に一致しているかどうか不安なところがある。ご勘弁願いたい。)

アルハンブラ宮殿見学を終えて一路セビージャ(セルビア(へ(240km)。

冲中一郎