スペイン旅行~その3~ドンキホーテの風車

今日はバレンシアから、グラナダまで移動(560km)。その丁度中間点ラ・マンチャ地方にドン・キホーテの街がある。マドリード出身のセルバンテス(1547~1616)、オスマンとの戦争に参戦し、功を上げたが帰りに捕虜になり、何とか帰国はできたがその後も牢に入るなど数奇な人生を歩んだ。その牢の中でドン・キホーテの構想を練ったともいわれている(映画「ラ・マンチャの男」)。ラ・マンチャ出身のドンキホーテ。狂気にとらわれるほど騎士道小説にはまり、自らが遍歴の騎士となって世の中の不正を正す旅に出る。二度目の旅にサンチョ・パンサを伴い出かけた際に風車群に出合わせた。ドン・キホーテはその風車を巨人と思い込み、全速力で突撃し、衝突時の衝撃で跳ね返され野原を転がった。それが、ラ・マンチャ地方にある風車だそうだ。近くで昼食をとったが、この庭にもドン・キホーテとサンチョ・パンサの像があった(町のあちこちにある)。

グラナダ到着、フラメンコショーが21時からのため、いったんホテルに寄り、外で食事の後小さなバスでフラメンコショーのお店へ。スペインでは夜の時間は日本の時間に比して遅く、夕食も20時ころから。18時ころは店も開いていない。フラメンコはグラナダのあるアンダルシア地方に19世紀ころスペインジプシー(ヒターノと呼ばれる)により生まれた民族芸だ。そのグラナダではサクラモンテの丘にある洞窟がショーの店になっている。長い間キリスト教徒による迫害と差別を受けていたアンダルシアのロマ族がイスラム教徒伝統の踊りや音楽を取り入れて生まれた。そのロマ族(ヒターノ)の村落が洞窟だったそうだ。洞窟の中に60~70名ほどの客席と部隊がある。シェリー酒などを飲みながら、女性3人、男性1人の迫力ある踊りが披露される。踊りはもちろん、つま先やかかとで床を踏み鳴らしてリズムをとり、手で出す音も迫力満点だ。外からはアルハンブラ宮殿の見事な夜景が見られる。

スペイン旅行~その2~バルセロナ

今回バルセロナは、時々弱い雨が降る天気だった。いよいよ待望のサグラダファミアリア(聖家族教会)見学です。バルセロナでは、サグラダファミリア建築にあたったアントニ・ガウディが注目されるが、当時(19世紀末ごろ)ガウディより著名なバルセロナの建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネールという天才もおり、二人は“いいライバル”関係だったそうだ。実はガウディはバルセロナの建築学校では、モンタネールの教え子だった。19世紀初頭モンタネール建築のサンパウ病院。イスラム建築様式とキリスト教建築様式が融合したムデハル様式、世界遺産です。「芸術は人を癒す力がある。」と患者を建築の力で癒そうと建てられたそう。実際2009年まで診療に使われていたとの事。

もう一つモンタネールの最高傑作建築物「カタルーニャ音楽堂」(1908)。当時フランスで花開いた「アールヌーヴォー」のスペイン版「モデルニスモ」という芸術様式だ。モデルニスモの中で最も美しく、モンタネールの最高傑作と言われており、1997年には世界遺産にも登録されている。残念ながら中には入れなかったが、毎夜21時以降、クラシック以外にもフラメンコやスパニッシュギターなどの演奏も行われているそうだ。

一方、ガウディの建築物も街のあちこちに特徴ある姿で存在している。1900年初頭建築の山をモチーフにした「カサ・ミラ(邸)」や、海をイメージした「カサ・バトリョ(邸)」が、山や海を表す独特の曲線をタイルやガラスを組み合わせて作られている。共に世界遺産だ。普通の通りに突如として現れるため、写真のタイミングを逸してしまった。
いよいよガウディのサグラダファミリア見学だ(予約時間に合わせて訪れる)。完成時には18本の塔からなる今世紀最後のモデルニスモ建築だ。
入場は“生誕の門”から。彫刻は「生誕のファザード」。キリストの誕生から幼少期を表現している。“生誕の門”の主任彫刻家が外尾悦郎氏。当ブログでも紹介(http://okinaka.jasipa.jp/archives/317)したが、25歳から40年近く掘り続けておられ、”生誕の門“の彫刻は外尾氏に任されている。“ハーブを奏でる天使”と“天使の合唱隊”を外尾氏が彫った。“生誕の門”の左にある小さな先頭の先にある色付きの果物も外尾氏のもの。

反対側にある“受難の門”はイエスの最後の晩餐からキリストの磔刑、キリストの昇天までの有名な場面が彫刻されている。もう一つの”栄光の門“は建設中だ。

内部に入る。
2010年には祭壇のあるメイン部分が完成したため、ローマ法王を招いてミサが行われ、教会がスタートした。自然を敬愛していたガウディは、教会の厳格な雰囲気を和らげるために、森のようにイメージした聖堂内はまるで白い杉林のよう。花形にくり抜いた窓にはめ込まれた色彩豊かなステンドガラスは、自然光を受けて万華鏡のように輝いている。完成モデル像を見ると、茶色の部分が既完成部、白色部分が今後10年で完成させる部分だ。白色部分が多く残っておりほんとに10年後完成するのか心配だ。

並木の美しいランプラス通りと、通りに面するバルセロナ最大の市場サン・ジョセップ市場や、ピカソなど19世紀末活躍の芸術家が集ったカフェ“クワトロガッツ(4GATS)”、13-15世紀に建設のカタルーニャ・ゴシック様式のカテドラルなどバルセロナには見どころは多い。ピカソの絵が建物の壁に何気なく書かれている。

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バルセロナからバスでバレンシアへ向かう(360km)。途中タラゴナでローマ時代紀元前1世紀に建設された水道橋を見学。2000年以上も経ってもいまだに立派に存在するのに驚く。当時の技術でしかも短期に作られたため悪魔の仕業と考えられ“悪魔の橋”とも呼ばれている。

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スペイン旅行~その1~序章

今年2回目の海外旅行先にスペインを選び、12月19日~26日の年も押し迫った年末に家内と共にツアーで訪れた。スペインの緯度は南は東京、北は札幌に相当するそうだが、地中海に面することもあり、北部のバルセロナでも東京の温度とほとんど変わりない感じで、どちらかというと内陸のマドリードの方が寒かった。クリスマスのイルミネーションを期待していたが、あまり派手なものはなく、逆にクリスマスイブからクリスマスにかけて店も閉まり、飲食にも事欠く状態だった。

行程は、まずは、羽田からドイツルフトハンザ航空でミュンヘン経由でバルセロナへ。1日目はバルセロナ観光(サグラダファミリア他)後、タラゴナ(水道橋)経由でバレンシアへ。2日目はバレンシアからラ・マンチャ(白い風車)経由でグラナダへ(フラミンゴショー)。3日目が白い村ミハス観光後グラナダに戻りアルハンブラ宮殿観光、その後セビリアへ。4日目が、セビリア観光後、コルドバへ。メスキータ見学後、超特急列車AVEにてマドリードへ。5日目がプラド美術館などマドリード観光。そして翌日マドリードからフランクフルト経由で東京羽田へ。

バルセロナはスペイン北部のカタルーニャ地方(フンスとの国境ピレネー山脈の南側)にあり、歴史的にもスペイン中南部との関係よりもローマ、フランスや、スペイン北部州との関係が強く、12世紀にはローマまで支配するアラゴン連合王国を作ったり、15世紀にはカスティーリア王国との連合国を作ったりしていた。そのため、今でも北部地方はカタルーニャ語とカスティーリア語のバイリンガルが多く、スペインよりの独立機運が高い。
一方でスペイン中南部では711年に北アフリカから侵入してきたイスラム勢力ウマイヤ朝時代が長く続き、その間レコンキスタ(国土回復運動:キリスト教復活運動?)でキリスト教社会を取り戻す活動が続けられ、11世紀から13世紀にかけて各都市をキリスト勢力が奪還した。最終的にはカスティーリア女王イサベルがカタルーニャのフェルナンドと結婚し、イスラム最後のナスル王朝のあるグラナダを陥落させイスラム教支配の終焉を迎えた(1492年)。1516年にハプスブルグ家のカルロス1世がスペイン王として即位し、1556年即位したフェリペ2世時代にかけて、“太陽の没することのない帝国”を築き、スペイン最盛期を誇った。イスラム長期支配からキリスト教支配に至った歴史を反映した建築物がグラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータに残っているのもスペインの大きな特徴と言えそうだ。
次回から、まずはバルセロナのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)を手始めに順次紹介していきたい。
本年もお世話になりました。良いお年をお迎えください。

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冲中一郎