万年BクラスのDeNAがなぜ蘇ったか?(プロ野球)

ちょっと古い記事だが、8月29日の日経に「”勝利の文化”が変える経営 世界の強豪に学べ」(本社コメンテーター中山淳史)の中で標題の話が載っていた。「“万年Bクラス”だった横浜DeNAベイスターズにここ数年勢いがある。2016年ラミレス監督就任以降Aクラス入りが2度、17年には日本シリーズに進出し、今年もチャンスをうかがっている」と。DeNAは6年前から元早稲田大学ラグビー部監督の中竹竜二(日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクター)による助言を受けている。
中沢氏は、「チームボックス」と言う会社を設立し企業に対するコンサルも実施している。その中沢氏が、助言の下敷きにしているのは、サッカー名門の”FCバルセロナ“とラグビーの”オールブラックス“だ。両者に共通するのは、「勝ち続ける文化」だと言う。「勝ち続ける文化」とは、配下の育成チームも含めスタッフコーチなど全員が持つ共通の勝ちにこだわる文化(理念)だ。FCバルセロナでは「ボールは100%キープして当たり前」で「5秒ルールを守る(5秒を超えて相手に占有されたら全力で取り戻しに行く)」を共通認識としてボールを奪われない練習に精力を注ぐ。
DeNAの話に戻れば、選手の指導法で言えばコーチの”オレ流任せ“が主流の中、中沢氏の指導により、レギュラーと控え、選手とコーチ、コーチと裏方の間の意思疎通や共通の思いをはぐくむことの重要性について、最初は半信半疑だったが、筒香選手らの中軸が刺激を受け、コーチやスタッフ向けだった研修に1,2軍選手も加わることになった。1軍選手が強く希望したと言う。

ビジネスの世界にも参考になる話で、グーグルとフェイスブックでは「ウィニング・カルチャー」と言う言葉が日々の組織運営にはっきりと存在し、グーグルには文化の醸成を担う「最高文化責任者(チーフ・カルチャー・オフィサー)」のポストが常設されているそうだ。奇想天外な機内サービスで知られるLCCのサウスウェスト航空は「定時発着率で常にトップを」と言う経営目標と、「乗客をわくわくさせる」と言う創業以来の文化で大手航空会社より高い運賃でも選ばれる航空会社に進化している。
ボストン・コンサルティング・グループによると2020年代の勝利の要件として、学習するスピード、エコシステム、リアルとデジタルのハイブリッド、想像力、レジリエンス(回復力)を挙げる。GAFAでも20年代は事業の領域や組織の形を大きく変えないと生き残れない可能性があると指摘する。デジタル化が産業を変える速度はますます増していく中で、「企業は変化を積極的に取り込む文化があるかどうかを試される」と記事は締めている。

これからの時代の変化を先読みし、「勝利の文化(ウィニング・カルチャー)」を打ち立て、経営者・社員を含め全員が共有する文化として定着させる。20世紀を勝ち抜くための“働き方改革”の一環として一考の価値あると思うが・・・。

白黒写真をカラー化すれば・・・(戦争体験を引き出す)

8月15日の終戦記念日を中心に、戦争に関する報道が盛んだ。戦争(被爆)体験者が高齢化するにつれ、後世に悲惨な体験を継承する機会が減ることが懸念されている。そのような中で、戦争体験者に詳しく体験を語ってもらうためのある活動がテレビで報道されていた。
東京大学大学院教授渡邉英徳氏で、情報デザインとデジタルアーカイブによる記憶の継承のあり方について研究されている方の話だ。
以下、渡邉氏と、地元の広島において、戦前に撮影された写真をカラー化し、戦争体験者との直接の対話の場をつくりだすことで、実空間における“フロー”を生成する活動に力を入れている若干19歳の庭田さんのインターネット記事(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66484)から抜粋して報告する。

戦前・戦中の写真はもっぱらモノクロフィルムで撮影されている。カラー写真が当たり前の日常となっている今、白黒写真を見てもあたかも時代が止まっている感じを受け、記憶が凍結してしまうのではとの問題認識があった。そこで、筑波大学の飯塚里志氏らが開発したAI技術を応用し、白黒写真のカラー化を2016年から始めた。これは、約230万組の白黒・カラー写真から学習したAIによって写真を着彩するというもので、ウェブサービスとして誰でもかんたんに利用できるとの事だ。
原爆投下の写真、空爆で炎上する呉の街、焼きただれた広島の市街地を眺めるカップルの姿、また戦前の桜見に行った家族の写真など、白黒とカラー化されたものを比べると、確かに現実味を帯び、記憶が蘇る契機になると思える。上記記事に掲載の写真の一部を紹介する。

渡邉教授は現在も、主にパブリックドメインの写真をカラー化し、Twitterに投稿することで“記憶を引き出す”活動を続けている。ユーザからは大きな反響を得ており、多数のリプライをいただいているそうだ。
庭田さんは、広島平和記念公園が所在する中島地区中心に、元住民の協力を得て、 戦前に撮影された白黒写真をカラー化し、所有者との直接の対話を続けている。高齢となった元住民たちを何度も訪ねて、じっくりと対話を重ねながら、今まで思い出せなかった「記憶」を蘇らせてもらい、その記憶を「記録」し、次世代へと継承していく活動を継続している。

戦後74年、当時20歳の人が今は94歳。もう10年もすれば戦争体験を語れる人はいなくなる。二度と悲惨な戦争をしないためにも、また核廃絶のためにも、上記のような活動は、次世代の子供たちのためにも非常に意義ある活動である。応援したい。

地方創生策を追求し、実行支援する平田オリザ氏

8月8日の日経夕刊1面のコラム“あすへの話題”に劇作家平田オリザ氏の「大学で演劇を学ぶ」を見た。兵庫県北部の豊岡市に2021年4月に観光と舞台技術を軸にした専門職大学の新設を構想し、平田氏はその学長候補との記事だ。まだこれから文科省への申請手続きが始まるそうで、まだ不確定要素はあるようだが、日本初の演劇やダンスの実技が本格的に学べる公立大学だとのこと。多くの国では、日本と違って、高校の選択必修科目は「音楽」「美術」「演劇」(日本では演劇ではなく「書道」)で、国公立大学には必ずと言っていいほど「演劇学部」が存在するらしい。国公立大学に「演劇専攻を」と言うのは演劇界の悲願だったが、4年制大学がなく、若者の多くがこの地を離れることになる宿命にあった兵庫県北部の但馬地区にできることになる。
「地方を元気にする」ための平田氏の活動は、各地に広がっている。この記事にはないが、平田氏著作の「下り坂をそろそろ下る~新しい”この国のかたち」(2016.4刊、講談社現代新書)を見ると、小豆島、讃岐善通寺、東北女川・双葉などでもその活動が実り、あるいは実りつつある。
平田氏の活動の思いは、「日本はもう成長社会に戻ることはない。世界の中心で輝くこともない。私たちは”成熟“と言えば聞こえはいいけれど、生長の止まった、長く緩やかな衰退の時期に耐えねばならない。その痛みに耐えきれず、多くの国が、金融操作・投機と言う麻薬に手を出し、その結果様々な形のバブルの崩壊をくりかえしてきた。人口は少しずつ減り、物は余っている中で大きな成長は望むべきもない。成長を追い求めるのではなく、生長しないことを前提にしてあらゆる政策を見直すならば様々なことが変わっていく。」と。

平田氏は自分の主張を、畏友藻谷浩介氏の「里山資本主義(角川新書)」の文化版と言うが、その藻谷氏は平田氏の本への推薦文を書いている。
避けてきた本質論を突き付けられた。経済や人口に先立つのはやはり”文化“なのだ”と。

平田氏は、日本の人口減少は今の政策では止まらない。少子化速度を緩めるためには、文化政策を充実させ、”出会いの場“を増やすことが肝要という。この20年間でスキー人口は3分の一となったそうだ(スノボー人口と合わせても半分以下)。平田氏は「少子化だから減った」と言う意見に対して、「スキー人口が減ったから少子化になった」と考える。かって20代男子にとってスキーは女性を一泊旅行に誘える最も有効で健全な手段だったから。西欧では、社会保障、生活保障の中には、きわめて当たり前に”文化へのアクセス権“が含まれている。公立の劇場や美術館には、学生割引や高齢者割引、障害者割引があるのと同時に、当然のように失業者割引が存在するそうだ。低所得者向けのプログラムを持っている施設も多数あると言う。平田氏は少子化対策で最も欠けている点を下記のように表現する。
“子育て中のお母さんが、昼間に、子供を保育所に預けて芝居や映画を観に行っても後ろ指をさされない社会を作ること”
文化的素養が、地域の対話を促し、出会いの場を増やすことになるとの発想だ。豊岡市では、以前の国の地方創生策で作られた1000人収容のコンベンションセンター(目論見は外れ全く機能していない施設)を改修し、平田アドバイザーのもとで、6つのスタジオ、最大28名が泊まれる宿泊施設、自炊設備を完備した国内最大級のレジデンス施設、“城崎国際アートセンター”を作った。芸術家には、施設利用料無料、格安宿泊費、外湯周りも市民扱い、と破格の待遇にしている。2015年から応募を始めたが、国内外から多数の応募があり、今では豊岡、城埼は世界のアーティストの憧れの地となりつつある。アーティストは成果発表会やワークショップ、小中学校でのモデル授業など地域還元事業も行っており、城崎の小中学生は常に世界のトップクラスのアーティストとふれあい、作品を見る機会に恵まれる。城崎は、NOMOベースボールクラブも誘致している。カンヌ国際映画祭で賞を獲得した女優や、野茂選手などと日常的に出会える街となった。

平田氏は「若者たちを地方に回帰させ、そこに”偶然の出会い”を創出していくしか、人口減少問題を根本的に解決する方策はない」と言う。若者が、自己肯定感を持って、自分の街を語れる、そのための方策が「文化の創生」であり、文化が人を呼び込むことになるとの主張だ。

今も、日本は昔の「JAPAN as NUMBER 1」時代が忘れられず、安倍総理も「日本を再び世界の中心で輝く国としていく」と経済成長最優先の政策を進めている。今一度、冷静に将来を見つめて、日本のあるべき姿を考えねばならない時期に来ているのではなかろうか。

冲中一郎