錦秋の信濃路、越後路を満喫(その2)

前回の高瀬渓谷(長野県大町市)、戸隠の鏡池の紹介に続き、今回はパワースポット戸隠神社と「日本の秘境100選の1つ」である長野県と新潟県の県境をまたがる中津川沿いの地域、秋山郷を紹介したい。

戸隠神社

「ブログその1」で紹介した鏡池も戸隠神社にある(ここも大型バスは入れずタクシーで行く)。戸隠神社は、霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社(ちゅうしゃ)・宝光社(ほうこうしゃ)・九頭龍社(くずりゅうしゃ)・火之御子社(ひのみこしゃ)の五社からなる、創建以来二千年余りにおよぶ歴史を刻む神社だ。今回は中社、奥社を訪ねた。奥社参道は約2キロ、中程には萱葺きの赤い随神門(ずいじんもん)があり、その先は天然記念物にも指定されている、樹齢約400年を超える杉並木が続き、神々しい空気を漂わせている。ここをJR東日本のジパング倶楽部の宣伝で、吉永小百合さんが歩いたとか。その時立ち寄った戸隠そば屋が、今も行列を呼んでいると言う。写真は杉並木の光景で、不思議なのは木の幹の皮が右渦巻き状になっていること。杉並木に行く歩道の横の林は、紅葉に覆われていた。3枚目は戸隠そばを食べた店の横にあったもみじだ。

秋山郷

飯山線を戸狩野沢温泉駅から森宮野原駅まで乗車し、沿線の山々の紅葉を楽しんだ。森宮野原駅には、昭和20年の豪雪で7.85mの積雪(日本新記録)があったそうで、駅の外にそれを示す木柱が立っている(1枚目)。そこから日本秘境100選の一つ秋山郷に行くことにした。大型バスは入れず、マイクロバスで1時間ほどの行程だったが、紅葉の素晴らしさに見とれていた。乗用車やバスとの谷底を見ながらの擦れ違いはスリルがあった。秋山郷は信濃川の支流、中津川の上流域に点在する平家の落人集落の総称で、長野県と新潟県にまたがる狭谷地帯。迫る山肌と深い雪にとざされ、歴史にとり残された様に昔の生活を色濃く残しているらしい。前倉橋と蛇淵の滝の写真を掲載する。

次回は八海山と奥只見湖を紹介する。

錦秋の信濃路、越後路を満喫(その1)

28日ー30日紅葉を求めて、信濃路~越後路へ行ってきた。高地では少し峠を過ぎたとは言え、名勝地を訪れる道すがらの、全山黄色、赤色に燃える光景は圧巻だった。当ブログでも紹介した北海道黒岳、旭岳(http://jasipa.jp/blog-entry/6844)もすばらしかったが、見渡す限りの山々が紅葉に染まる光景は初めての経験だった。

高瀬渓谷(大町)

まず長野県大町市にある、高瀬ダムを訪れた。高瀬川にかかる大町ダム、七倉ダムを経由しながら高瀬ダムに到着する。高瀬ダムと七倉ダムは、湖底から出た石を積み上げて作った珍しいロックフェル型ダムで、特に高瀬ダムは176メートルの高さがあり、日本一のロックフェル型ダムだそうだ。七倉ダムから高瀬ダムへは大型バスは入れず専用のタクシーで行くことになる。歩いている人もいたが、徒歩1時間半の工程だ。時折雨が降るあいにくの天気だったが、タクシーの運転手曰く「今日のお客さんは恵まれている。これだけの紅葉が見られるのは珍しい」と。確かに、バス、タクシーの車窓から見る紅葉は、乗客の皆さんが歓声をあげるほどのすばらしさだ。カメラ技術不足で、あまり上手に取れていないが、その一端を紹介する。3枚目は、高瀬渓谷のつり橋からとった光景だ。1枚目は高瀬渓谷に行く途中の車窓写真。

鏡池(戸隠)

大糸線の神城から白馬大池まで乗ったが、晴れておれば既に雪が降った北アルプスの絶景ポイントらしいが、残念ながら見られなかった。翌日は、戸隠高原の鏡池がすばらしかった。時折陽がさすと、背景の山々の紅葉が美しく映え、湖面に映る木々と合わせて素晴らしい光景が見える。当日は曇ったり、晴れたりで、タイミングを取るのが難しく、その一端しか紹介できないのが残念だ。

戸隠神社、秋山郷、そして新潟県の八海山、奥只見湖を訪ねたが次回紹介することとする。

第7回JASIPA経営者サロン実施(10月25日)

今回は、第一部にJASIPA関西支部長杉本浩氏(スキルインフォメーション㈱社長)に登場いただき、いろんな事業に積極的に挑戦され、自社ビルまで持たれた成功体験をお話しいただいた。いわゆる派遣事業を主体とする「ソフトハウス」事業はますます厳しくなってきているが、その時々の環境を考えチャレンジされてきた杉本氏から頂いたテーマは「ポスト・ソフトハウス経営」だった。

組み込みソフトをコア技術として、若干24歳で元同僚と3人で起業されたのが1986年。その後、事業の成長と安定を考慮し、事業の柱を複数作ることを目指し、医療関連に進出。そのきっかけになったのが、IPAの公募プロジェクトに採択され開発した医療パッケージ。しかし、社としての知見不足で苦労し、医療関連ソフトの得意な企業のM&Aや、医療業界と接点の多い医療品卸、販売企業との業務提携を行い、医療関係を一つの柱とすることに成功。フォント事業に関しても、今ではドバイからアラビア語のフォント依頼が来るまでに成長。事業のポートフォリオとして3本柱が出来、事業の安定性が格段に増したと杉本氏は言う。途中紆余曲折も経験され、ツールベンダー華やかなりし時、手を出したが、ダメと見るや素早く撤退。

「ポスト・ソフトハウス経営」として、新たな事業に進出するにしても、やはりお客様から認められている技術をコアにしつつ、官学も含めた人脈を大切にすることによって、新たな事業を発掘する。そして新たな事業を進めるにも、自社でのノウハウがない場合は、人脈を通じてノウハウを補強するための施策(M&A,業務提携など)を打つ。医療関係の学会に、大学の先生の論文作成をお手伝いし、共著として発表し、そのブランドで北海道大学病院から声がかかり、お客様となって頂いたとの話もされた。フォント事業でもJETROとの人脈でドバイにつながったそうだ。

第二部は、「何を持って競合他社との差別化を図るか」とのテーマで、討議資料を用意したが、第一部の杉本氏から、事業の要諦を引き出すことが、当テーマの神髄でもあり、杉本氏との議論にかなりの時間を割くことになった。ガートナーが「事業の成長を目指すプロセスは①既存事業の拡大(既存商品&既存顧客)→②機会の拡大(既存商品&新規顧客)→新規事業の開発(新規商品)というのが、成長と安定のバランスのとれたプロセスだ」と言う。自らにノウハウも技術もない分野に行くのは、挑戦というより「無謀」と言うのだろう。杉本氏も紆余曲折を経験されているが、その経験を活かした新たな事業の創出方法は「ポスト・ソフトハウス」を検討する上で大いに参考になる話と思う。

今回は杉本氏含めて参加者は9名だった。次回は11月21日(水)開催予定です。

冲中一郎