過去の絆を深める場

哲学者森信三先生の言葉が、FaceBook(知知出版社)に紹介されていた。

幸福とは、
縁ある人びととの人間関係を噛みしめて、
それを深く味わうところに生じる
感謝の念にほかなりません

最近、昔の懐かしい方々と集まる機会が多くなった。というか、昨年来、自分に余裕時間が増えたことで、そのような場に参加することが出来るようになったということかも知れない。

  • 3月:新日鉄同期入社の会(入社後最初で最後の会:http://jasipa.jp/blog-entry/7377
  • 5月、10月:東京での高校同期の会
  • 6月:姫路で高校同期とゴルフ
  • 10月:新日鉄大先輩との会合(細川さんの受賞祝:http://jasipa.jp/blog-entry/8089
  • 11月6日:京大電気系S40~S44卒洛粋会の集まり
  • 11月15日:姫路での高校同期の集まり
  • 11月16日:新日鉄広畑システム部門OB会:姫路でゴルフ&宴会
  • 11月30日:高校同期との東京でのゴルフ(予定)

これまでこんな頻度で集まった年はない。特に11月は多い。先週は、広畑OB会で姫路に行く機会を利用して、高校同期が10数名集まってくれた。10数年ぶりに会った友もいた。東京でバリバリ働いていたが退職して姫路に帰った友人も多い。懐かしさで、16時30分から22時頃までだれ一人欠けることなく語り合った(飲んだ)。1枚目の写真は二次会の時のもの。

翌日は、高校同期が経営するゴルフ場で新日鉄広畑OB会のゴルフ大会があり、その夜はホテルでの宴会が催された。ゴルフは、絶好の天気に迎えられ、紅葉もすばらしく、スコアは別にして気持ちよくプレーが出来た。広畑OB会は、年1回開かれ今年で10回目を迎えた。東京からも毎回数人の参加があるが、今年は私含めて2名と寂しかったが、全体では60名近い人が集まり、昔の話に花が咲いた(2枚目の写真)。

冒頭森信三先生の言葉にあるように、縁あった人々との出会いを大切に、感謝の気持ちを持って生きていきたいと思う。

トルコ地震の犠牲者宮崎さんにトルコの人たちの熱い思いが!

今朝の日経34面に「“ミヤザキ”忘れない~トルコ地震日本人死亡1年~」という記事が掲載されている。まだ我々の記憶に鮮明に残っているが、昨年10月に起きた600人以上の犠牲者を出したトルコ大地震の被災者救援で駆けつけていた宮崎淳さん(当時41歳)が11月の余震で宿泊していたホテルが倒壊し、命を落とされた、その宮崎さんの話だ。

トルコ東部ワン地区の支援に当たっていたが、山奥の寒村まで出向き「何は必要ですか」と丁寧に聞いて回る宮崎さんの姿を村人も覚えている。宮崎さんを取材した地元カメラマンは「世界中からワンに来た多くの救出部隊の中で、宮崎さんの活動は特に印象に残った」と。地を這うような被災地支援は地元で大きく報じられたそうだ。そんな宮崎さんの訃報に、村人の多くが泣いたと言う。この悲報以降、「ミヤザキ」と命名した施設が各地で相次ぎ誕生している。ある大学の付属歯科病院が事故直後「アツシ・ミヤザキ歯学部クリニック」に改名した。歯学の副学部長は「遠い国から命がけでトルコを助けに来てくれた日本人に敬意を表するため」とその狙いを話す。同大では、宮崎さんの功績を記録した冊子の作成予定もあると言う。イスタンブールでも、防災施設の名称を「アツシ・ミヤザキ交通教育・防災公園」と改名したが、それ以降防災意識が高まり、受講者数が例年の7倍になったとか。

宮崎さんの所属していた「難民を助ける会」や、宮崎さんと同じホテルに宿泊していて奇跡的に助かった近内みゆきさんも、トルコで引き続き活動をされていると言う。「ミヤザキ」の名前はトルコで永遠に生き続ける」と宮崎さんのタクシーの運転手を務めた人は言う。

今回の件も、歴史が語る、世界が感嘆する「日本人の美質」の一つと言える。トルコは親日国として有名である。その事例としてよく言われるのが、1985年に勃発したイラン・イラク戦争の際の、トルコ航空による邦人救出劇である。イラクがイラン領空の全航空機を攻撃対象とする発表をしたために、テヘランにいた在留邦人250名が帰国できず孤立する恐れとなった。海外に自衛隊機を派遣できなかった日本の代わりに、トルコ政府はトルコ航空機をイランに派遣。結果、イラクの攻撃設定期限直前で在留邦人はイランから脱出できた。

その約100年前エルトゥールル号事件というのがあり、それが親日となった大きなきっかけと言われている。外務省ホームページによると、明治天皇の親書の答礼として1890年に、オスマン・パシャ提督率いる総勢650名の使節団が軍艦エルトゥールル号に乗り1890年に日本へやってきた。しかし、帰路、同使節団は和歌山県串本町大島の沿岸で台風により沈没してしまう。結果、オスマン提督含む587名の乗組員が死亡する惨事となったが、付近住民の献身的な救助により69名の乗組員を救出。後に日本海軍の巡洋艦によりトルコへ帰国した、というもの。

このことが、トルコでは教科書にも掲載され、教育にも使われているため、ほとんどのトルコ人は知っていると言う。

今朝の朝日新聞のスポーツ欄にもう一つ、日本人として嬉しい話が載っている。「模範プレー、藍に勲章」、宮里藍が米女子ツアーで、最も模範的なゴルファーとして全選手間投票で選ばれたのだ。「「ウィリアム&モージー・パウエル賞」である。このようなことの積み上げが、あるフランス詩人の言葉「私はこの民族だけは滅びて欲しくないと願う民族がある。それが日本民族だ(http://jasipa.jp/blog-entry/6167)」という言葉に繋がり、日本の世界における存在感を高めることに繋がっている。まさに日本人の誇りとして、我々もこの美質を引き継いでいかねばならない。

客があふれかえる居酒屋!!!

日経ビジネス(インターネット)の記事で、こんなタイトルの記事があった(http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121019/238306/)。ここ数年、居酒屋のデフレぶりがすさまじく、つぶれていく居酒屋も多い中で、一人あたりの単価が通常の倍以上(4000円前後)で、しかも客であふれている居酒屋チェーンがあるとの出だしだ。その名は、宮崎産地鶏「みやざき地頭鶏(じとっこ)」を使用した料理をメインに提供する居酒屋“塚田農場”だ。私も新宿の店に行ったことがあり、印象深かったため、一気に記事を読んだ。

社長は、まだ40歳を超したばかりの米山久氏。2004年に八王子に「じとっこ」を使う「我が家」を開店。2006年には、宮崎県日南市に自社養鶏場を開設。現在様々なブランドで128店舗を運営。運営の基本は「生産者の気持ちと苦労を消費者に伝え、お金儲けではなく、事業に関わる全ての人たちをハッピーにすること」と言う。生産者と消費者をつなげる、これが“塚田農場”のビジネスモデルだ。生産者のリアルを感ずるために、新人はもちろん、役員、事業部長、店長も現場に送り込み、生産者との交流を図ることとしている。掴んだリアルがパート主体の店員にも浸透していく。それが店舗でのサプライズにつながっていく。

この店では、アルバイトスタッフの裁量で、客一人当たり400円まで自由にサービスしてよいとのルールがあるそうだ。例えば「じとっこ炭火焼」を食べ終わったら、「炭火焼の脂がおいしく、その脂で焼き飯作っちゃいました」と、持ってくる。ゆっくり炭火焼を食べていると「冷めちゃいましたね。ポン酢をつけると冷めても、タタキ風においしく食べられますよ」とポン酢を持ってくる。こんな風なサービスを受けると、お客はリピーターになるのも分かる。リピーター率50~70%とか。

接客店員の7割がアルバイトだそうだ。研修制度も充実しているが、研修では「お客様と生産者のためのお店であり、それが世の中のためになる」との基本を教え、自ら考える研修だそうだ。100%満足に出来ているのは錦糸町店だけだが、他の店でも他店との差別化は出来ている。たしかに、新宿店に行った時、気軽に接客スタッフが話しかけ、雰囲気が良かったとの記憶がある。

先日「新幹線お掃除の天使たち(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/date/2012/11/3)」を紹介したが、パートの方やアルバイトの方々も、明確な企業方針の元で「喜び」や「感動」に生きがいを感ずれば、いい仕事が出来、結果として、処遇も含めていい循環が出来ることを示してくれている。社員が仕事に生きがいを持って働くことが出来ないはずがないと思うが如何?

冲中一郎