自責文化を吹かせろ!

以前も「全員経営」に関して記事を書いた(http://jasipa.jp/blog-entry/7685)が、その中で「リーダーは“自責”の文化を吹かせろ」(PHP Business Review松下政経塾2012.7・8号)という新将命氏の記事を紹介した。「全員経営」のためにも「自責の企業文化を作る」ことの必要性を説いている。全員経営とは、社員全員が自分が責任を取ろうとする態度であり、社内にそのような習慣が定着していることであると新氏は言う。さらに「会社の中に吹く風を「社風」という。社風が社内に定着すると、そこに企業文化が生まれる」とも。一人の人間が自責の風を吹かせ、3人、4人が真似するようになるとソヨソヨと自責の風が吹き始める。20人、30人になると、ザワザワと音が高まる。50人、100人になるとゴウゴウといううねりを立てて自責の風が吹き巡る。

論語でも、自責の文化を言う言葉があった。「致知2013.6号」に連載中の「子供に語り継ぎたい論語の言葉」(安岡正篤師の令孫、安岡定子氏著)より。

君子は諸(これ)を己に求む、
小人(しょうじん)は諸を人に求む

「諸を己に求む」とは何事も自分の責任で行動したりすること、「諸を人に求む」とは何か失敗した時に言い訳をしたり人に責任を押し付けたりすること。安岡氏が言うには、小さなお子さんでも本能的に善悪の判断が出来るのは、人間は生まれつき正しい心、清い心を持っているから。「失敗したり、友達との約束を守れなかっときどういう気持ちになる?」と問いかけ「まずい」「あんなこと言わなかったらよかった」と自分を顧みることが出来る。この素直な感情が湧きあがったあと、どうするかがポイント。間違いを反省してきちんと友達に謝れるか、それとも誰かのせいにして誤魔化してしまうのか?誤魔化すといつまでも後ろめたい気持ちを引きづる。寺子屋で子供たち相手にこんな教育をされている。

論語には、似た章句は多い。

過ちて改めざる、これを過ちという

過てば則ち改むるに憚ること勿れ

このことを噛みしめ、会社でも、失敗した人を責めるのではなく、「折角失敗してくれた」教訓を、みんなが自責の念を持って、みんなで反省し教訓とすることが出来れば、強い会社文化が作れるのではなかろうか。

心に響く言葉(5月5日日経朝刊より)

今日は子供の日。「端午の節句」でもある。朝いちばんに致知出版社の「おかみさん便り(メルマガ)」から、「坂村真民の一日一言」より心に響く言葉が届いた。

大いなる一人のひととのめぐりあいが,わたしをすっかり変えてしまった
暗いものが明るいものとなり
信ぜられなかったものが、信ぜられるようになり
何もかもがわたしに呼びかけ
わたしとつながりを持つ、親しい存在となった

人とのめぐりあいの大切さを説く。

日経の1面「春秋」より、本田宗一郎氏の言葉。

研究所は人間の気持ちを研究するところであって、技術を研究するところではない

とかく先端技術を追求したがる開発者たちに言った言葉として紹介されている。「マーケティングの神髄」ではないだろうか。

日経9面「日曜に考える~日本の個性 世界にどう売り込む」で工業デザイナーの奥山清行氏の言葉。ものづくりで世界に勝つためには創造力とビジョンが必要との主張で、アップルのiPhoneやダイソンの羽根のない扇風機など、ヒットの多くが海外で生まれていることが残念と言いつつ

想像力は日本人の得意分野。相手の心情を推し量る能力は世界でもトップ級だ。自己中心的ではない客目線のものづくりが求められている。海外に出で自分を客観視する訓練を積まなければ日本のものづくりに未来はない

と言う。

同じく11面「日曜に考える~経済史を歩く」で世界初の即席めん「チキンラーメン」を生んだ日清食品創業者安藤百福氏の言葉。

ラーメンを得るな。食文化を売れ

「チキンラーメン」を出したのが東京タワーが出来た昭和33年。世界ラーメン協会の発表では、インスタントラーメンの世界需要が2012年初めて1000億食を超えたと。

20面「リーダーの本棚」で、出光興産で初めて創業者以外で社長になった天坊昭彦氏(現相談役)が「菜根譚講話」の中から心にとめてきた言葉を紹介している。

人定まれば天に勝ち、志一なれば気を動かす
(人心を掌握して政治が落ち着けば天災があっても打ち勝てる。志が一つになれば何事も動かせる)

経営者として、企業理念の大切さ、そして全員経営の精神を説いているのだと思う。

日々、言葉以外にも心に響くものが一杯ある。冒頭の「おかみさん便り」のおかみさんから。「緑燃える好季節・・・。自然のエネルギーが溢れる緑の散歩道の中で、光のシャワーと、木漏れ日のワルツを充分お楽しみくださいませ。」

「たのしみは・・・」で始まる独楽吟(橘曙覧)

エニアグラムで有名なシスターで文学博士の鈴木秀子氏が「致知」の連載記事「人生を照らす言葉」で紹介されている(2013.5号)のが幕末の歌人で国学者の橘曙覧(あけみ)だ。平成六年に、天皇皇后両陛下が訪米された際、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチの締めくくりに「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用して、「日米両国民の友好の心の中に、一日一日新たな日とともに、確実に新しい花が咲くことを期待する」と述べたことで再び脚光を浴びた歌人だ。また、彼の死後明治になって32年、正岡子規は源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛したと言う。その作品に「独楽吟」という歌がある。

その歌は「楽しみは」で始まる短歌だが、読んでみると、日常のさりげない出来事の中に楽しみや、喜び、感動を見出す歌で、鈴木氏は「人生を幸せに生きる大切なヒントを与えてくれる」と言う。いくつかの歌を紹介する。

たのしみは 3人の児ども すくすくと おおきくなれる 姿見る時
たのしみは 空暖かに うち晴れし 春秋の日に 出てありく時
たのしみは 心をおかぬ 友どち(友達)と 笑ひかたりて 腹をよるとき
たのしみは まれに魚煮て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時
たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かえりけるとき

「曙覧は「清貧の歌人」と呼ばれている。その生き方は貧富と言う概念すら超え、貧しさそのものを味わっていたようにも思える。彼は凡人が見過ごしてしまいそうな何気ない日常に贅沢を見つけ出す達人でした。それはモノの豊かさでは推し量れない心の豊かさを楽しむことであった」と鈴木氏は言う。さらに『忙しい日常に振り回されていると、なかなか意識することができませんが、いま「当たり前」のように目の前に繰り広げられている現実は本当は大変な奇跡です。その命を生かしてご飯を食べ、歯を磨けることも、家族団欒を持てることも、通勤・通学できることも。』日々感謝の気持ちを持って過ごすことの大切さが、曙覧の歌を詠むと蘇って来る。

私も短歌は初めてであるが、挑戦してみた。恥ずかしながら披露する。

たのしみは 毎日ジムで 目いっぱい 汗かいたあと 汗ながすとき
たのしみは アンテナ高く ブログネタ 探してアップ コメントある時
たのしみは 人と人との 絆にあふる NPOの あつまりの時(JASIPA)
たのしみは そぞろ歩く みちばたで ひそかに咲く花 見つけしとき

日常の感動や、ささいな楽しみを思い出すために、「たのしみは・・・」と、まずは始めると面白いかも・・・。駄作でも、鈴木氏の言う「心豊かな生活を送る一つのアイディア」であることを実感できた。

冲中一郎